その一のニ 少女 + 落下 = 物語の始まり
なかなか寝付けなかった。もうベッドに入ってから1時間近くが経っている。なんだか今日はとても疲れた。俺達は途中で口論になった結果、彼女は怒って家を出て行ってしまった。
今の時刻、午後十一時。彼女は今頃どうしているだろうか。暗い夜道をあてもなく一人で彷徨っているのか。なんだか罪悪感がひょっこりと顔出してきたが、悪いのは彼女の方だ。そもそも、どこの誰だか分からない人間(神様?)を家に止めるなんて危険ではないか。しかも彼女は天井を壊して家に侵入してきたのだ。例えそれが、ちょっとくらい(正直に言うとかなり)可愛いからって油断はできない。
彼女には何だか得体の知れない感覚を感じる。性格も横暴だ。或いはもう少し素直だったら泊めてやらなくもなかったかもしれないけど・・・。
「私の名はソフィー。愛の女神様だよ」
「え?」
「次はこちらの質問だ。まずここはどこだ?それと、お前の名前は?」
ちょっと待て、まだこちらには聞きたいことが山ほどあるんだが。
「俺の心を読めば良いだろ」
「もう読心術は使わんと言っただろう」
その言葉、信用して良いのだろうか。
「ここは、A市だよ」
「A市?聞いたことないな。国は?」
「国?日本に決まってるじゃないか。さっきから日本語使ってるし」
「これは自然にお前に合わせているだけだ。特に意識している訳ではないので何語を使っているのかなんて分からん」
どうやら電波ちゃんが家に迷い込んで来てしまったようだ。
「名前は?」
「海吉ユウト」
「ユウトか。よし、かなり狭いし汚いし何もかも私には不釣り合いだが、仕方ない。今日はユウトの家に泊ることにする」
「は?」
「もうだいぶ暗いではないか。暗くては任務が遂行できんからな。それに、夜は寝るものだろう?」
だめだ、付き合っていられない。早くこの女をなんとかしないと。そうだ、警察を呼ぼう。なぜ早くこのことに気が付かなかったのか。というか、そもそもなぜ俺はこの女に飲み物まで出して、呑気に一緒にテーブルを囲んでいるんだ。さっさと警察に電話すれば良かったのだ。
そうと決まると、すぐに席を立った。
「おい、どうした」
「ちょっとトイレ」
「トイレ?嘘だな」
「嘘じゃない。お前、もしかしてまた俺の心を?」
「そんなことはしていない。だがその焦った様子を見ると、どうやら図星のようだな」
どうやら鎌をかけられたようだ。
「警察にでも電話するつもりか。だとすればやめておけ。面倒な事になるだけだ」
「面倒なことって?」
「何度も言っているが、私はこの世界の人間ではないんだぞ?ユウトが私を警察に突き付けても、私はこの国の人間ではないからな。警察も困るだろう。一緒にいたユウトも色々と調査されるだろうしな。何一つ良いことはないぞ」
「実際にやってみれば分かるさ」
俺が電話の方へ向かうと、彼女もゆっくりと立ち上がった。
「まだ私の話を信じてないのか。本当に疑り深い男だな。ならもう一つ、私の力を見せてやろうか」
私の力?今度は何をする気だ?
「ユウト、眼を瞑れ」
「なんでそんな事しなきゃいけないんだ。やだね」
こいつに隙をみせたら、何をされるか分かったもんじゃない。
「頑固な奴だ」
彼女はそう言って肩をすくめると、俺の方へとゆっくりと近づいてきた。思わず後ずさる。
「逃げるなよ」
そう言った瞬間、彼女は俺の視界から消えた。一瞬の出来事だった。
「消え・・・た?」
どういうことだ?何が起こった?その出来事が、すぐには理解できなかった。今日は本当に色々と不思議な事が起こる。つい今さっきまで目の前にいた人間が、一瞬で、消えた。
激しく狼狽していると、俺の肩を誰かが軽く叩いた。慌てて振りかえるが、誰もいない。
「どう?これでもまだ、人間と一緒にするのかな?」
突然耳元で囁かれたので、咄嗟に跳び上がってしまった。慌てて部屋の隅に逃げると、彼女はもう姿を現していた。
「そんなに怯えるなよ」
そう言いながら、彼女は近づいてきた。
「おい、こっちくるなよ」
「心配するな、ユウトに危害を加えるつもりはない」
「こっちにくるなって言ってるだろ!」
「別に食べたりしないから」
「近づくな、化け物が!」
「化け物?」
彼女の眼光が一気に鋭くなるのが分かった。顔が徐徐に紅くなっていく。
「人の心読んだり姿消したりって、完全に化け物じゃないか」
「私が化け物?ああそうか、お前の性格がよく分かったよ。さすがの私でも、人間がまさかここまで臆病で惨めな生き物だとは思わなかったがな!」
「ふ、普通の反応だろ」
「もういい」
彼女は声を荒げると、勢いよく部屋から飛び出していった。
今までの出来事を何度も何度も思い返しているせいか、全く眠れる気配はない。このまま天井を見つめながら、日の出を迎えそうだ。
化け物、とは少し良い過ぎたかもしれない。しかしあんなものを眼の前で見せられれば、誰だって驚くし、怖くもなるもんじゃないのか?
そんなことを考えていると喉が渇いたので、一旦一階に降りることにした。階段を降りていくと、雨の降る音が聞こえてきた。そういえば、今日は夜から雨が降るんだったな。
「あっ」
階段を降り切ると、思わず声を上げてしまった。穴の開いた天井から雨が吹き込んで、廊下が濡れていたのだ。急いでバケツを持ってくると、丁度雨が吹き込んでくる辺りに置いた。しかしこれでは気休め程度にしかならないだろう。両親にはなんて説明すればよいのだろうか。
ふと、ソフィーの顔が頭に浮かんだ。そういえば彼女は傘を持って行ったのだろうか。もしかしたら今頃、雨に打たれているかもしれない・・・
「一体、俺はこんな時間に何をやっているんだ?」
携帯の時計を見ると、既に深夜一時を回っている。正直自分でも、なぜ今ここにいるのかよく分からなかった。気付いたら傘を持って家を出ていたのだ。
もう一時間近く探しているが、ソフィーの姿は一向に見付からない。もう遠くへ行ってしまったのだろうか。そもそも彼女が姿を消していたら、絶対に見付けることはできないだろう。もう諦めて家へ引き返そうとしたその時、バス停に設置されている椅子に腰をかけている女の子の姿が見えた。その姿はとても儚げで、今にも消えてしまいそうな蝋燭の火のようで、それでも必死に輝きを失うまいとしているようだ。
俺は後ろからゆっくりとその女の子に近づいて行くと、そっと彼女を傘に入れた。長い髪は雨に濡れて、服は体に張り付いている。
「そんな所で風邪をひきますよ、お嬢さん」
「なんで追ってきたんだ?」
「そりゃあ、こんな時間に、しかも雨の中へ飛び出して行った人を心配しない程、俺の心は荒んじゃいないぜ」
少しおどけて言ってみたが、彼女は反応しなかった。重たい空気が二人の間に流れる。
「なんで雨を凌げる所に居なかったんだ?あそこのコンビニは二十四時間営業だったはずだけど」
「鳥を、見付けたんだ」
「え?」
「傷付いた小鳥だ。もう、飛ぶ事もできないみたいだ」
そう言うと彼女は、大切そうに手に持っていた小鳥を見せた。
「自分ではどうもできないから、コンビニに行ったよ。この子を助けてくれないかってね。そしたら中にいた人間に怪訝な顔された」
「・・・」
「しかも、店内への動物の持ち込みはお控下さいって追い出されたんだ。冷たい奴だなと思ったよ。その後ここら辺をうろついていたんだが、どこも閉まっていて入れそうな所はなかった。その内なんだか疲れてきてしまって、それでここで休むことにした」
何も言えなかった。というか何と声をかければ良いのか分からない。
「私のことはいいから、この子を連れ帰ってあげてくれないか」
俺に小鳥を差し出してきた。それはとても真剣な眼差し。彼女の大きな瞳は、真っ直ぐと俺の眼を射抜いてきて、見つめていると吸い込まれそうになる。俺はなんだか、この子に対して少し勘違いをしていたようだ。
「いやだね」
「えっ?」
彼女の顔が曇る。
「そういう動物はな、拾ってきた人が責任を持って世話するんだよ」
「どういう、こと?」
自分の言ったことに恥ずかしくなってきてしまった。なぜこういう時だけ鈍感なのか。
「さっさと帰るぞって言ってるんだ!」
彼女は少し驚いたようだった。潤んだ瞳が微かに揺れた。
「化け物に、喰われるかもしれないぞ」
「それは、俺が言い過ぎたよ。悪かった」
これは素直な気持ちだった。本当に何かするつもりだったのなら、彼女にはそのタイミングがいくらでもあったはずだ。しかし、家から出て行ったのだ。
「い、いまさら素直に謝ったって、遅いぞ」
「それに、」
「?」
それに・・・
「早く家に帰りたいんだ」
「ん?今何か誤魔化しただろ」
「そそんなことないさ。早く、俺の気が変わらない内に帰るぞ」
一つの傘で、二人並んで家まで帰った。冷たい雨の降る、皐月のことだった。
「ユウトの家を出て、雨の中ふらふらと歩いていた時、色々考えたんだ」
「うん」
「確かに、いきなり知らないやつが家に来たら、誰でも驚くだろうなって、思った」
「・・・」
「だから、追い出されても仕方なかったかな、とも思った」
「・・・」
「だから・・・ユウトが来てくれた時・・少しだけ・・嬉しかった」
なんだよ少しだけって。彼女の方を見ると、すかさず眼を逸らされた。
「ごめん、よく聴こえなかった」
「お、同じ事は二度は言わないからな」
「なんだよ、教えろよ」
「い・や・だ」
読みやすさばかりに気を取られていると、やっぱり色々な描写が甘くなってしまいますね;