いじめ報道で思い出した過去
私は中学時代にいじめを受けていた。
いじめが原因で錯乱し、家族を殺めようとし、自殺を企てた過去がある。
『今生きているのが奇跡』と先日母からメールが来たのだ。実際だいぶ追い詰められていた。
なぜ生きてこられたのかと考えなおせば、物欲で生きていたことが原因だろう。
あたご型護衛艦というイージスミサイル艦がある。この船の1/700模型がリリースされるまで生きようと決心したのがそもそもの始まりだった。
神経を擦り減らしながら毎日学校に通い、たえに耐え抜いたが、心身ともにボロボロになり、記憶力を半ば失い、思考を放棄してまで耐えたわけだ。
満身創痍の中で偏差値55~60程度の中堅の高校に受かったこと自体奇跡に等しいだろう。
公立校は落ちたが、合否報告の電話口で母が痛烈に皮肉を言っていたのが記憶にのこっている。
実際途中から『勝者は生存者。自殺は敗者がするもの』という価値観が確立されていた。
どこかいまだにいじめた人間に対する復讐を考えてしまう。
セムテックスなり、C4なり、トカレフやマカロフなりが欲しくもなるが、手に入らないものはしょうがない。私はヤクザもんではないのだ。
いじめていた奴がクスリで廃人化していることを切に願っている、と書くと『とんだ屑野郎だ』という人もいるだろう。
だが、真人間をそこまで貶める、いじめという犯罪を行った人間こそ屑以下の存在ではないだろうか。
いじめをした生徒を弁護した担任の言葉が今でも耳を離れない。
「あいつは、そういうやつですから」
犯罪者の行為を野放しできるほど社会は緩くできてはいない。なぜそうなる。
刑事事件化も検討したが、相手のパンチが中途半端に弱く、凶器も使わないために外傷が存在せず、カルテ作成は不可能だった。
筆入れは大便器に突っ込まれ、中のペンや鉛筆類は軒並み折られ、用を足していればサンドバック代わりにされ、靴も大便器に突っ込まれ、さんざん暴言を吐かれたのでこっちが怒りにまかせて暴言を吐くと帰りの昇降口でゲリラ的待ち伏せを大人数でしてリンチ。
彼らは半ば犯罪者集団でしかない。しかもヤクザやマフィアというよりギャング。快楽のためなら何でもやる集団だ。むらっときたら馬鹿な女侍らせて孕ませて捨てるくらいのことはするだろう。
多くの学校でこのような事案があるのに、警察は教育現場への介入をしようとしない。学校教育現場は聖域という間違いだらけの認識が世間を覆っているのだ。
教育現場だって日本の領域であり、大使館や国際空港や米軍基地ではない。日本の司法が適応されるのだ。
警察行政はいじめに対して強力かつ強制的な圧力をかけるべきだ。
第一いじめという言葉が問題だ。『いじめ』とは『苛め』であり『虐め』である。何故漢字を使わないのか。どちらも報道で使う漢字だ。
これができないのなら『いじめ』に代わる新しい言葉――集団虐待や心身蹂躙という言葉を作って置き換えていくべきだはないだろうか。
なんにせよ、いじめに対する世間の考えの甘さが今回の大津の事件を引き起こしたのではないだろうか。
日本国民全体でいじめに対する反省をしなければならない。
尊き犠牲を踏み台にして、新しい価値観を作るのだ。




