【供養版】学校一の人気モデルは、SNSを手伝う俺を彼氏扱いしている自覚がない
「相良くん、帰る前にちょっといい?」
放課後。榊原凛華が俺に声をかけているとは思わなかったが、しっかりとこちらを見ていた。
同じクラスになって二か月ぐらいか。
話した回数は片手で足りるほどで、一番記憶に残っているのは……体育でボールを拾って渡した時の「ありがとう」だ。
現役モデルとして活躍している彼女と、減塩醤油が好きな相良透とでは天と地ほどの差がある。あらゆる面で。
名前を呼ばれて顔を上げた俺は、返事をするより先に榊原の後ろを見た。
「呼んだの、私だけど」
「……そうじゃないかと思ったけど、榊原が俺を呼ぶ理由が思いつかなかったんだ」
「それは、用があるからに決まってないかしら?」
「その用すら、俺である理由がなさそうだって事」
「自分を卑下しすぎじゃない?」
榊原はため息を吐いてから、俺の机へスマホを置いた。
表示されているのは彼女自身の写真だった。
肩にかかる髪は明るいミルクティーベージュで、癖のないストレートが揺れるたび、耳の後ろから淡いラベンダーグレーのインナーがちらりと覗く。
輪郭はすっきりと小さく、少し目尻の上がった瞳と薄い唇のせいか、黙っていると高校二年生には見えない。
背も女子の中では高い方で、制服の上からでもスタイルの良さが目についた。
三十八万人のフォロワーがいるモデル。疑う奴はいないだろう。
そして、画面の中の彼女は白いシャツの袖を肘まで捲り、片手に小さなチューブを持っている。
このチューブ——日焼け止めのようだ——の宣伝モデルに選ばれたということか。
普段から隙のない美貌を見せつけている榊原だが、教室で見る時より髪も肌も更に整っていて、ふだん俺と同じ制服を着ている人間とは思えない。
問題は、写真の下にある文章だった。
『皆様、いつも温かいご声援をいただき誠にありがとうございます。この度、素敵なご縁をいただき——』
「結婚の挨拶?」
「それは……私も書きながら思ったわ」
自覚はあるのか。続きを読んでみる。
『皆様にもぜひお手に取っていただけましたら幸いです。今後とも、よろしくお願いいたします』
日焼け止めを紹介するために榊原を撮って、文章は町内会長にバトンタッチしたような感じだ。
「最後まで読んだかしら?」
「読んだよ」
「…………そんなにひどい?」
俺が無意識のうちに苦虫を噛み潰したような顔をしていたのか、榊原の自信が目に見えて衰えた。
「その……榊原が普段から“今後ともよろしくお願いいたします”って言うなら、何も問題ないと思う」
「言ったことはないわね。言うとしたら今日かしら」
「誰に言うんだよ」
「相良くんに」
「……一番言わなくないか?」
榊原は自分の文章を見下ろしたまま、指で画面を上へ送った。
「これ、直してほしいの」
「なるほど」
直してほしいというのは理解した。
分からないのは、どうして俺に頼んだか、だ。
「事務所の人に見てもらえばいいんじゃない?」
「今までそれでやってたの。私が書いたのを担当さんに送って、直してもらって、それを投稿っていう流れで」
「……その結果がこの文なのか?」
「いや、これは私が書いたやつ。最初は別に気にしてなかったんだけど、最近コメントで『またスタッフが書いてる』とか『本人こんなこと言わないでしょ』って増えてきて」
それを真に受けたのか、担当から「本人発信を増やしたいから何回か自分でやってみよう」と言われたようだ。
「でも、私が一人で書くと、今見せたような感じになってしまうの」
「急に謝辞みたいになるわけね」
「......そこまで言わないでもらって良い? 私も結構、頑張ったんだから」
「申し訳ない」
確かに、彼女が頭を捻って書いたものを悪く言うのは良くないな。
そんなことを考えていると、彼女は自分の鞄から一枚の紙を取り出した。
教室近くの連絡ボードに貼ってある、校外学習の係の紙だ。
「これ、昼休みに直してたわよね」
「山内に頼まれたからね」
委員の山内が書いた元の文章は長かった。
集合時間、遅れた場合の連絡方法、当日の注意事項。
その全てを一文に詰め込んだ上に「責任を持って」だの「時間厳守」だのが二回ずつ入っていたので、読んでいる途中で何を守ればいいのか分からなくなってしまう。
なので、俺は必要な情報を三つに分けた。
「見てたのか」
「たまたま目に入ったのよ。あなたが貼り直した後、前のより格段に分かりやすくなったから。こういうのが得意なら、私のも何とかしてくれないかなって思って」
説明し終えたところで、榊原は俺の顔を見た。
「……別に、ずっと見てたわけじゃないからね」
「そんなの疑ってないよ」
「淡白な反応をされると、ちょっと悔しいわね」
勝手に付け足したのは榊原だろうに。
「話を戻すけど……俺さ、姉が店のSNSとか手伝う仕事してるんだよ。俺も文章だけ見せられることがあるから、多少なら分かるっていうか」
「あら、先に言ってくれればよかったのに。頼む相手、ちゃんと合ってたじゃない」
「まだやるなんて言ってないだろ?」
「やってくれないの?」
彼女は座っている俺と目線を合わせるようにしゃがむと、上目遣いでこちらを見つめた。
ははーん。こうやって色仕掛けで俺を落とそうってつもりか。
甘く見られたものである。吸い込まれてしまいそうな大きな瞳を潤ませて、口なんかきゅっと結んだところで、俺の鋼の心は——
「……読みやすくするだけならできるかもな。それでいいか?」
「ありがとう。本当に困ってたから」
一般的な男子である俺には断れないというのが常識だ。
しかし——
「今の文章を俺が綺麗にしたら、多分もっと榊原が書いた感じがなくなると思うよ」
「......綺麗にするのに?」
「綺麗にするからだよ。俺が榊原っぽい文章を勝手に作ったら、それこそ今までと同じだろ」
文章が苦手な人から「上手くして」と頼まれることは多い。
言葉を足して、順番を整えて、固いところを柔らかくすれば見栄えは良くなる。
だが、出来上がったものを本人に返すと「私こんなこと言わない」と言われてしまう。
本人が言わないことを足したのだから、そうなるのは当然だ。
文章として正しくても、それは本人の言葉ではない。
「……担当さんには自分で書けって言われてる。でも、私が書くとこれで、誰かに全部直してもらったら今までと変わらない......私、どうすれば良いのかしら」
彼女の声は切実で、本気で悩んでいるのだろうと伝わる。
だからこそ、俺という接点のない人間にも声をかけたのだろう。
「文章を一人で完成させる必要はないと思う。元になる話を榊原が出せばいい」
「元になる話って、商品説明ってこと?」
「それは資料に書いてあることで……そうじゃなくて、榊原が実際に使ってどうだったか」
「……焼けなかった」
「それ、一日で分かったのか?」
「......撮影が終わった時は焼けてなかったけど、日焼け止めのおかげかどうかまでは分からないわ」
「じゃあ、それは書かないほうがいいな。分からないことを感想にしたらヤバいし」
「分かった……白くなりにくいとか、伸ばしやすいとか、匂いが強くないとかは?」
「そうそう! そういうのだよ」
「あとは……私は香りが残るやつ苦手だから、そこはよかった。外だったんだけど、風がすごくて」
要領を掴めてきたのか、榊原はつらつらと喋り出した。
撮影は朝早く、現場へ着いた時点ではまだ眠かったこと。
風が強く、せっかく整えてもらった前髪が何度も頬に張り付いたこと。
メイクを直すついでに日焼け止めを塗り直したが、急いでいても広げやすかったこと。
香りが強いものだと、その後ずっと気になってしまうこと。
最初の文章に入っていた情報より、今の一分で出た話の方が遥かに多い。
「今の方が何百倍も書けそうだな」
「え、今のでいいの?」
「むしろ、この方がいい」
「風で髪がぐちゃぐちゃになった話まで? 商品の良さじゃなくないかしら……」
「こういうリアルな感想の方が、本当の良さが伝わるんだよ」
「仕事の投稿って、もっとちゃんと褒めないといけない気がするのだけど」
「褒めるところを褒めればいいだろ。ただ、榊原の感想は榊原にしか出せないものだから」
「……真面目なのね」
彼女は少し考える素振りを見せてから、スマホを自分の方へ戻す。
「一回やってみるわ。今の話で」
数分経って、画面がこちらへ向けられる。
『早朝より屋外にて撮影を行いました。強風の中ではございましたが——」
「なんで記者会見になるんだよ!」
「私にも分からない。文字にしたらこうなるの!」
「さっきは普通に喋れてただろ?」
「しゃ、喋るのと書くのは違うじゃない。相良くんだって、友達に送るMINEと体育祭の紙は同じ書き方しないでしょう?」
「残念だけど、俺にはメッセージを送るような友達はいない」
「そこで勝ち誇られると困るんだけど」
これは俺の負けだった。
そして、榊原は教室の時計を見て、スマホを鞄へ入れた。
「六時半に事務所に行くの。図書室の前の自習スペースなら放課後は人が少ないし、そこでもうちょっと見てもらえない? 今のまま担当さんに送ったら、たぶん全部直されるだろうし」
「今日中なのか」
「明日の投稿なのよね。だから本当に困ってるの」
最初にそれを言わなかったのは、俺が断る余地を残すためだろうか。
俺が黙っていると、榊原の方から続けた。
「無理ならいいの。急に頼んだのは私だし」
俺は机に残っていた教科書を鞄へ入れた。
「一時間くらいなら。引き受けるかどうかは、それから決める」
「……本当に? 助かるわ。写真も見てほしいの」
「写真も?」
「文章だけ直しても、写真と合ってなかったらまた変になるでしょう?」
「……確かに。何枚あるんだ?」
「今日の候補なら十三」
「候補で十三!?」
「撮ったのはもっとあるんだけど、担当さんが絞ってくれたの」
「モデルって大変なんだなぁ……」
「さ、自習室に行きながら見てちょうだい。まずはMINE交換しないとね」
彼女はそう言って、半ば強引に俺とアカウントを交換した。
昼休みになると教室の外に人だかりができる美少女の連絡先を知れるだなんて、本来は喜ぶべきことなのだろう。
しかし、今の俺は全然嬉しく——スマホが震えた。
一枚、二枚と写真が送られてくる。
俺は廊下へ出た榊原の後ろを歩きながら、十三枚目まで開いた。
『ちゃんと全部見た?』
送った本人は一メートル先にいる。
「見たよ」
声で返すと、榊原が足を止めて振り返った。
「メッセージで返して」
「いや、聞こえる距離だろ」
「聞こえてるけど、今から文章を見てもらうんだから、相良くんが普段どう書くのかも見たいの。お姉さんの手伝いをしてるって言われても、私、まだ相良くんの事をほとんど知らないし」
悔しいが、ちょっとそれっぽい意見だ。
俺はトーク画面を開く。
『全部見た。四枚目がいいと思う』
送った瞬間に既読がつく。
前を歩いていた榊原が速度を落とした。
『理由は?』
……写真を選ぶだけで一時間が過ぎそうな気がしてきた。




