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あすかの幸せについて第一章題「白いマフラーの冬」  作者: こうた


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第3話  再会の夜

あの夜から、数日が過ぎていた。

日常は、何事もなかったかのように淡々と流れていく。

仕事をして、家に帰る。

食事をして、眠る。

ただ、それだけの繰り返し。

けれど、あのバーで過ごした時間だけが、どこか切り取られたように心に残っていた。

――しょうたろう。

名前を思い出すだけで、少しだけ温度が上がる気がする。

理由は分からない。

けれど、その感覚を否定することもできなかった。

その日も、仕事を終えた帰り道だった。

冷たい風が街を流れ、人々は足早に歩いていく。

いつもなら、そのまま帰るだけのはずだった。

けれど、足が自然と別の方向へ向く。

あの店へ。

理由を考える前に、もう店の前に立っていた。

少しだけ迷って、扉に手をかける。

カラン、と鈴の音。

前回と同じ、落ち着いた空気。

カウンターに目を向けると――

そこに、彼がいた。

グラスを手に、静かに座っている。

「……あ」

小さく声が漏れる。

彼がこちらに気づき、視線が合う。

一瞬だけ驚いたような表情。

そして、すぐに柔らかい笑みに変わった。

「……来るかもしれないって、言ってましたよね」

「……はい」

なぜか、少しだけ気恥ずかしくなる。

彼は軽く手を挙げた。

「どうぞ」

示された席に座る。

前回と同じ位置。

けれど、空気は少しだけ違って感じた。

「今日は、偶然ですか?」

彼が尋ねる。

「……はい。たまたま、です」

自分でも曖昧な答えだと思う。

本当は、少しだけ違う。

けれど、その理由を言葉にするのが怖かった。

「そうですか」

彼はそれ以上、深くは聞かなかった。

その距離感が、心地よかった。

グラスが運ばれてくる。

私はそれを手に取り、少しだけ口をつける。

前回と同じ味。

けれど、なぜか今日は少し違って感じた。

「また会えるとは思ってなかったです」

彼が言う。

「……私もです」

そう答えると、彼は少しだけ嬉しそうに笑った。

「じゃあ、今日はちょっとした奇跡ですね」

その言葉に、胸がわずかに動く。

奇跡。

そんな大げさなものではない。

ただの偶然。

それなのに、その言葉が妙にしっくりきてしまう。

「……こういう偶然って、よくあるんですか?」

私が聞くと、彼は少し考えてから答えた。

「自分はあまりないですね」

「そうなんですね」

「だから、ちょっと嬉しいです」

その言葉に、思わず視線を落とす。

嬉しい。

その一言が、静かに心に残る。

しばらく、他愛のない話をした。

仕事のこと。

日常のこと。

互いに深く踏み込むことはない。

けれど、確かに会話が続いていく。

その時間が、不思議と心地よかった。

「りょうさんは……」

彼が少しだけ間を置いてから言う。

「前に話してたこと、少し気になってます」

「……介護のことですか?」

「はい」

一瞬、言葉が止まる。

けれど、私はゆっくりと頷いた。

「大変だったと思うんですけど……」

彼は少しだけ視線を落とす。

「それでも、ちゃんと向き合ってたんだろうなって」

その言葉に、胸が締めつけられる。

誰かに、そんなふうに見てもらえたことがなかった。

「……ありがとうございます」

それ以上の言葉が見つからなかった。

彼は軽く首を振る。

「いや、なんとなくです」

そう言って、少しだけ照れたように笑う。

その表情を見ていると、不思議と安心する。

会話の途中で、私はふと気づく。

この人と話しているときだけ、自分が少しだけ軽くなる。

長い間、閉じ込めていた感情。

それが、少しずつ外に出ていくような感覚。

「……しょうたろうさんは」

「はい」

「どうしてここに来るんですか?」

その問いに、彼は少しだけ考える。

「……落ち着くから、ですかね」

「落ち着く?」

「はい。何も考えなくていい時間というか」

彼はグラスを見つめながら言う。

「家と仕事だけだと、少しだけ窮屈で」

その言葉に、少しだけ共感する。

「ここにいると、ちゃんと“自分”でいられる気がするんです」

その言葉が、静かに響く。

「……私も、少しだけ分かる気がします」

そう答えると、彼は少しだけ嬉しそうに頷いた。

やがて、時間が過ぎていく。

気づけば、周りの客は少なくなっていた。

そろそろ帰る時間。

「……また、来ますか?」

彼が聞く。

今度は、すぐには答えられなかった。

来るかどうかではなく、来たいかどうか。

少しだけ考えてから、私は言う。

「……来たいです」

その言葉に、彼は少しだけ驚いたような顔をして――

すぐに、柔らかく笑った。

「じゃあ、待ってます」

その一言が、やけに優しくて。

胸の奥に、静かに残る。

店を出ると、冷たい夜風が吹いていた。

けれど、もう寒さはあまり感じなかった。

歩き出す。

帰る方向は同じ。

けれど、さっきまでとは少しだけ違う道に感じた。

誰かと出会うことで、こんなにも世界が変わるものなのか。

その感覚に、少しだけ戸惑いながら――

それでも、悪くないと思った。

冬の夜。

静かに、何かが始まりかけていた。

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