第17話 少し離れるという選択
店の中は、静かだった。
グラスの音だけが、小さく響く。
「このまま続けるのか」
「少し距離を取るのか」
その言葉が、まだ残っている。
あすかは、ゆっくりと息を吸った。
そして――
顔を上げる。
「……少しだけ」
声は、思っていたよりも落ち着いていた。
「距離を取りたいです」
その一言で、空気が変わる。
しょうたろうは、何も言わなかった。
ただ、静かにその言葉を受け止めている。
「……嫌いになったわけじゃないです」
あすかは続ける。
「むしろ……」
言葉を探す。
「大事だから、ちゃんと向き合いたいんです」
その言葉は、本心だった。
逃げたいわけじゃない。
ただ、このまま曖昧に進むのが怖かった。
しょうたろうは、ゆっくりと頷く。
「……分かりました」
その声は、静かだった。
「自分も、その方がいいかもしれません」
少しだけ、意外だった。
「……いいんですか」
「はい」
彼はグラスを見つめながら言う。
「このまま無理に続けても、どこかで崩れる気がするので」
その言葉は、冷たくはなかった。
むしろ、誠実だった。
「……すみません」
また、口にしてしまう。
「だから、謝らないでください」
少しだけ強い声。
あすかは、はっとする。
「……ちゃんと考えてくれた結果ですよね」
「……はい」
「それなら、それでいいです」
その言葉に、胸が少しだけ痛む。
優しいのに。
その優しさが、逆に距離をはっきりさせる。
沈黙が落ちる。
もう、何を話せばいいのか分からない。
それでも――
嫌な沈黙ではなかった。
ただ、少し寂しいだけ。
「……どれくらい」
あすかが、小さく聞く。
「……時間、ですか?」
「はい」
しょうたろうは、少しだけ考える。
「決めない方がいいと思います」
「……え?」
「決めると、それに縛られるので」
その言葉に、少しだけ納得する。
「自然に、また会いたくなったら」
彼は続ける。
「そのときでいいと思います」
あすかは、ゆっくりと頷く。
「……分かりました」
それが、ふたりの答えだった。
店を出る。
外の空気は、いつもより冷たく感じる。
並んで歩く。
けれど――
手は、繋がれていない。
それだけで、こんなにも違う。
分かれ道。
いつもの場所。
「……じゃあ」
しょうたろうが言う。
「また」
その言葉は、曖昧だった。
約束ではない。
けれど、完全な別れでもない。
「……はい」
あすかは、小さく頷く。
少しだけ、視線を合わせる。
それだけで、胸が締めつけられる。
言いたいことは、たくさんあった。
けれど――
どれも、今は言うべきじゃない気がした。
「……気をつけて」
「はい。あすかさんも」
背を向ける。
歩き出す。
振り返らない。
振り返ったら、戻ってしまいそうで。
冬の夜。
冷たい風が、頬を打つ。
白いマフラーを、少しだけ強く握る。
そこに残る温もりが――
逆に、寂しさを強くする。
(……これでよかった)
そう思う。
けれど――
心は、まだ追いついていなかった。
ふたりは、同じ時間を離れた。
終わりではない。
けれど――
確かに、一歩離れた。
冬は、まだ続いている。
その中で。
それぞれが、自分の気持ちと向き合う時間が始まった。




