50 迷宮にて
ルスは今、迷宮島に来ている。
迷宮島は、ルシオさんの異空間のはずなのに、ここから出ることもできないし、入る事も出来ないという。
ここには強固な結界が張られているからだ。それは獣人やエルフ達を人族から守るために、ルシオさんが張ったものだそうだ。
だからルスは、ルシオさんが作った、認識を誤魔化して人族に見える”コンタクトレンズ”という物を目の中に入れている。
初めは怖かったが、「これだけはどうしてもしなさい」と言われ、渋々装着した。
人族は体格が良い。回りを見まわせば、皆恐ろしげな杖を持っていたり、剣をもったいたりする。
そして堅固な防具に身を固め、迷宮へ入っていく。
そこまでしなければ、この迷宮は危険だ、と言うことなのだろう。
迷宮島には町があった。沢山の人族がここの運営をしている。宿、武器屋、食料品店や小間物屋――そして酒場。
アレハンドロさんは、何時もここにいる。
お酒は時おり皆で呑む程度だけど、ここにいる戦闘兵の話をそれとなく聞いて、問題はないかと気を配っているそうだ。
見た目によらず細やかな気配りができるんだなと、心の中で思ったが、口にはしない。
迷宮島には宿屋があるが、ルスはこの宿屋に泊まることはない。何故なら泊まる場所は、アレハンドロさんの異空間だからだ。
アレハンドロさんの異空間は、ルシオさんの異空間とは趣が違う。
丸く区切られた見た目は島のようだが、異空間の端へ行っても海はない。薄ぼんやりとした空間が先に見えるけど、その先へは行けないようだった。
島の中央には大きな穴が開いていて、暗い洞窟になっており、下に降りていくと、深い湖……池? 兎に角、ちょっとだけ薄暗い場所だ。
池の水はタダの水で、精霊水はこの異空間には湧いていない。
ルスの生きる糧である精霊水は、ルシオさんからもらった、時間停止の付いた収納鞄に入れて置いたので、困らないけど。
アレハンドロさんの異空間には大きな古い屋敷が三棟建っている。
その内の一つに、バレリアさんとアレハンドロさん、そしてルスが寝泊まりしている。
この屋敷には、年老いた夫婦とその親戚がいて屋敷を切り盛りしているから、生活に不自由はなさそうだ。
この異空間の入り口はいつも開け放たれていているが、許可がある者しか入ることが出来ない。
時おりアレハンドロさんが出かけてしまうときは、この異空間も一緒にここから移動する。
今日もその異空間で、弓を引く訓練をしている。
ルスの腕の力は弱い。一番小さな弓でも、やっと引いている有り様だ。
それを暫く見ていたアレハンドロは、
「ルス、お前そんな水ばかり飲んでいるから力が出ないんだ。肉を食え、肉を」
「……僕は、精霊水だけで十分なんだ。肉は食べたことがないし……」
「肉を食べない……エルフはそれで生きていけるのか?」
「うん、今までは、問題なかったよ。そもそも肉はハーフリング達が自分達で食べるものだし、妖精達は水だけで良いんだ。だから……僕……考えたことも無かった」
その話を聞いたアレハンドロさんは、ルスの身体を隅々まで見てくる。
「やっぱ、お前、肉を食え! まずは試してみろ。食わず嫌いは大きくなれないぞ」
「……大きく……なる?」
「ああ、まずは食いもんだ。それから身体を使う。そうすれば筋肉が付いてくる。身体が健全に成長してくれば、魔力も伸びるんじゃないか」
――アレハンドロさんの言ったことは本当だろうか? アルマを大きくするために肉を食べる? 肉なんて食べてお腹が痛くならないのかな。
「あ、あの……ルシオさんに聞いてみてからでも良いかな」
「めんどくせぇな。良いか、俺も魔導師だ。治癒は得意じゃネェが腹を壊したくらいは治せる。騙されたと思って喰ってみろ。まずは試してみないと話にならねぇだろ」
ルスは、恐る恐る目の前に出された皿を見て「ゴクリ」とつばを飲み込んだ。
「分かった、た、食べるね」
口に入れた瞬間、血の味が一杯に広がり、思わず吐き出しそうになる。それでもルスは何とか飲み込んだ。
じっくりと咀嚼し肉を飲み込むルスを、まじまじとアレハンドロさんが見ている。
「……どうだ? 腹、痛くなったか?」
「ううん、大丈夫みたい。でも気持ち悪い食感だね。グニュグニュしている」
「気持ち悪いって……それが旨いんだろうが!」
アレハンドロさんはそう言いながら握っていた拳をゆっくりと緩めた。指先が僅かに震えている。
厳つい顔が何となく和らいだように感じた。
怒っているのか、ホッとしているのかルスには分からない。
「兎に角どんどん喰え。そして稽古をする。迷宮へ入るのはその後だ」
★
その夜、ルスは夢を見た。
遠い遠い昔。ルスが、精霊樹にやっと宿った赤い実だった頃の光景だ。
精霊樹の周りで、エルフの長老が大勢の妖精の子供達にしていたおとぎ話だ。
はじめに神が、空と地をひらいた。
水の道をつくり、風を流し、
山を起こし、森を植えた。
世界は数多の命が齎された。
東は人の民
西は獣の民
南は水に生きる民
そして北にはちいさな妖
妖たちは光をまとって舞い、
水に遊び、風に笑い、
その声は澄んでいて美しかった。
神は、精霊をお据えになり、
この世界を委ねた。
精霊達は世界を廻り、
やがてこの北の地へ辿り付いた。
そしてこの地に住む妖をたいそう気に入り、
抱き、撫で、名をつけ、
その姿をひとつ、またひとつ、
やさしく変えていった。
森の民、水の民。
地の民、空の民。
みな、妖から生まれた精霊の子らだった。
けれど精霊は、妖ばかりをかわいがり、
ほかの命の声を聞かなくなった。
世界のならびはくずれた。
神はそれを見て、大いに怒り、
精霊を厳しく打ち据えた。
風は吹き荒れ、水は荒巻き、
山は震え、森は凍った。
精霊は光の粒になって散り、いずこかへ消えた。
我らは住処を追われ、
今は昔の名残をたよりに、細く生きながらえている。
エルフは精霊の愛から生まれた。
されどその愛の手が遠く離れ、
今はいずこともなく消え去った。
実のルスはじっと子ども達の話を聞いている。
「じじ様、それはいつのお話?」
「儂のじじ様のそのまたじじ様から聞いた話だ。いつの頃かの……よう、分からん……」
そこでルスは目が覚めた。
――随分昔の記憶だ。こんな記憶があったなんて……いや、夢か。単なる夢だ。
ルスは、木の実の頃の記憶など信じられなかった。聞いたこともない。
「僕……肉を食べて、おかしくなった?」




