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43 閑話 テセロの変化

 ボクが泉へ行って綺麗な石を口に入れてから、記憶が曖昧だ。

 ボンヤリとして身体がふわふわする。どうやって森から帰ったのかも覚えていない。


 ベッドに寝かされていたようで、目を開けた瞬間、世界が少し違って見えた。


 窓のカーテンは引かれて薄暗い室内のはずなのに、部屋中に光が柔らかく揺れている。

 然も光には様々な色があって、空気の流れに沿ってゆっくりと流れて、波紋のような模様を作っているのが見える。


 ボクはゆっくりと手を持ち上げた。(身体は問題なく動くようだ)

 指先が、ほんのりと光っていた。(アルマが不安定だ)

 光といっても、炎のような強いものではない。

薄い膜のように、皮膚の下で淡く脈打つ光。

――何これ?(これは私の身体か?)

 

 手の甲に意識を向けると、血管に沿って光が流れている様子が見える。

――(私には、意識がある、身体も手に入れた!)

「ッ!! 誰か、ボクの中にいる!!」

 

 ボクは混乱して、か細い声でバレリアを呼んでも、誰も来てくれない。部屋が明るいから気付かなかったが、どうやら真夜中のようだ。

 段々意識が鮮明になっていく。まるで世界がボクに話しかけてきているようだ。

 さっきまでボクの中にいた何かが、ボクに溶け込もうとしているようだ。声が感じられなくなってしまった。


 ボクは……本当にボクなの? それとも何かと入れ替わってしまったの?


 魔素の揺らめきがボクの心臓の鼓動と重なり、ひとつのリズムを作っていた。


 魔素と一緒に風の流れるリズム。屋敷の中の人の気配まで、何となくわかる。皆眠っている。

 魔力の気配がボンヤリ感じられる。隣の部屋にはバレリアがいる!


 ボクにはバレリアの魔力の気配が、“見えた”? 感じた?

 不可解な感覚が、段々と肌に馴染んでくる。


 ――こんなふうに世界を見たこと、あったっけ?


 遠くの音が、以前よりもはっきり聞こえる。ボクはベッドから起き上がり部屋から出た。

 後ろから、バレリアが息を呑む音がする。


 ――バレリアが起きてきた!


 嬉しくなって振り向く……ん?(嬉しい?)ボクは(私は)まだ同化しきっていない。感情が膨れると分離してしまうようだ。ボクは(私は)気を失ってしまった……ようだ。


 ルシオさんが上の部屋から駆け下りてくるのが感じられる。

 外で風が木の葉を揺らす音。森の方からは懐かしい愛する者のアルマが感じられる。


 私は一体何者になってしまったのか?


 いつの間にかまたベッドに寝かされていた。今度の目覚めは以前よりも鮮明だ。私の感覚がやっと表面に出ることが出来た。ピッタリと収まるべき場所に収まったと教えてくれる。


 手を持ち上げてもう一度確かめてみると、薄茶色だった肌は白く薄く透き通っている。

 手の甲に浮かぶ血管が、淡い光の線になって見える。


 ――私は、自我を手に入れたと言うことか。以前より、なんと小さくなってしまったことか。だが、愛する妖精達が側にいてくれる。


 ”ルシオさん”が部屋に入ってきた。”ルシオさん”の身体は薄い青と金色そして銀色に輝いて見える。

 特に両手からは、圧倒される神の気配が感じられた。

 私は途端に怖くなって総ての感覚を閉ざす。


 突然、ボクは、以前のようにボンヤリとしか世界を認識できなくなってしまった。


 ――何故だろう? 凄くルシオさんが怖い。今までそんなことは一度も感じなかったのに。凄く優しくて好きだったのに。今でも好きなのだが、心の奥の方で何かが縮こまって震えているのだ。


「テセロ、気分はどうだ? 熱は下がったようだ」

「今、気付いたんだけど、ボクは……人間なの?」



  ◆  ◆  ◆


――ここは……温かい。


暗闇の底から浮かび上がるように、私は目覚めた。

けれど、目という器官は持っていない。

“視る”という行為は、光の流れを感じることだった。


この身体は小さい。

けれど、驚くほど静かで、柔らかくて、脆い。

私はこんな場所に宿ったことがない。


……これは、誰の鼓動?


トクン……トクン……

規則正しく響くその音に、私は包まれている。

ああ、これは“彼”の心臓の音だ。

私を拾い、口に含み、温めてくれた人間の――テセロの。


私は彼の中に溶けていく。

彼の感情が流れ込み、私の記憶が揺れ、境界が曖昧になる。


怖くはない。

むしろ、懐かしい。

私はずっと、誰かの中に帰りたかったのだ。


……けれど。


あの光――

青と金と銀の、神の気配を纏った“ルシオさん”が近づくと、

私の内側が震える。

身体が縮こまり、世界が閉ざされる。


私は神を恐れる。

それは過去の記憶。自我がなく、暗い混沌の中を長い間漂っていた、ボンヤリとした何者にもなれないただの靄。


テセロは怯えていると思っている。

違う。

怯えているのは“私”だ。この、やっと手に入れた自我を再び消されてしまうかもしれないという恐れ。


私は彼を傷つけたくない。

彼の心を曇らせたくない。

だから、私は沈む。

深く、深く、彼の意識の底へ。


――でも、消えたくはない。


私は彼の中で生きたい。

彼の目で世界を見たい。

彼の声で風を呼びたい。

彼の歩く道を、共に歩きたい。

今度こそ、あらゆるものを愛し慈しむと誓おう。


私は奪わない。

私は侵さない。

私はただ、寄り添いたいだけ。


テセロ。

あなたが私を拒まない限り、

私はあなたの中で静かに息をする。


どうか、怖がらないで。


私はあなたの敵ではない。

あなたの光を曇らせる影でもない。


私は――

あなたの中に居場所を見つけた、

ひとつの小さな精霊の残り滓。

お願い消さないで。拒まないで。私を受け入れて欲しい。


  ◆  ◆  ◆


 皆に見つめられて、ボクは、身の置き場がなくなった。変な言葉を発したためだ。


「ごめんなさい。馬鹿なことを言って」

「……何、気にするな。でも、何故震えている? 僕が怖いのか?」


 ルシオさんが近くに来ると身体が反応してしまう。どうしてしまったんだろう?


「……何故か……ルシオさんが怖くって……変だな……」


「ルシオ、あまり怖い顔で睨まないで! 折角熱が下がったんだもの。さあ、少し休んでから、美味しいご飯にしましょう。まずは水分を取らなければダメよ」

「ウン」


 ルシオさんの方をそっと伺うと、ボクをじっと見ている。するとまた背中がゾクゾクしてしまう。だからボクは目を反らしてなるべくベッドの端に縮こまる。

 仕方がないんだ、身体が言うことを聞かないんだから。

 ごめんなさい。ルシオさん。


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