5話
風呂から上がり、用意された新品の下着と、部屋着を身に付ける。
下着はコンビニで買ってきた簡易的なものだけど、清潔で肌触りがいい。
リビングに戻ると、己影さんがテーブルにアイスを並べていた。
「さっぱりした? はい、これ」
手渡されたのは高級アイスの代名詞、ハーゲンダッツだった。
「お風呂上がりはやっぱりアイスだよね。抹茶とバニラどっちがいい?」
「・・・・・・こんな高いアイス、自分で買った事ないです」
「そうなの? ならよかった。一緒に食べよ」
そう言って向かいの席に座るよう促すので、僕は椅子を引いて腰掛けると、スプーンを手渡された。そして抹茶を選択すると、己影さんはバニラのフタを取り、フィルムを剥がすと、スプーンを一掬いする。
僕も有難くいただく事に。アイスを一口頬張ると、上品な甘さが広がる。なにを持ってして上品なのかは分からないけれど、きっとこれが上品な味なのだろう。
しかし、それにしたって不思議だ。 ついさっき、火事で住む家を亡くしたばかりなのに、今はこうして己影さんの家で、高級アイスを頬張っている。
あまりの現実感のなさに、ここは夢じゃないかと錯覚する。
「どう、美味しい?」
逐一、反応を窺う己影さんを不思議に思いながら「美味しいです」と答えると、己影さんは嬉しそうにはにかんだ。僕なんかの一言で、そんな風に幸せそうに笑う彼女を見て、僕は少し照れ臭くなる。
「私のお家はどう? 少しは気に入ってくれたかな?」
己影さんはスプーンをくわえながら上目遣いでそう訊ねるから、僕は思わずかぶりを振った。
「そんな、気に入るとか上から目線な事は思いませんよ。ただただ住まわせてもらえるだけで有難いですから」
「ふふ、気を遣わなくていいのに。遠慮しないで、自分の家だと思ってくつろいでいいから」
そう言ってくれるのは有難いけれど、落ち着かないというのが本音だ。 僕は二口目、アイスを食べる。冷たい刺激が僕の頭をクリアにした。
「あの、己影さん。家賃と生活費はちゃんと払いますから」
「そんなに気にしなくていいんだよ? 別にお金に困ってる訳じゃないし」
「いえ、そういう問題では・・・・・・」
「それに君との暮らしは、私にイマジネーションをくれるから。君は私にとって主人公だから。君の一挙手一投足がアイデアの源泉になるの。それで十分な等価交換になってるけどね」
「そんな事は・・・・・・てゆうか別に、僕は人と違うところなんてないですよ」
「そんな事ないよ。もう既にあるよ。君はアイスを食べる時、縁に沿って食べてるとか、一口が小さくて味わって食べてるとかさ」
「変なところ見ないで下さいよ・・・・・・てゆうか、言葉にされると意識して自然に食べられなくなるんですけど・・・・・・」
「照れると指で頬を撫でる癖とかね」
「! からかってますよねっ?」
僕が抗議すると、己影さんは実に愉快そうに笑っていた。完全に遊ばれてる・・・・・・。
「ともかく、家賃や生活費は必ず払いますから」
「ちなみにうちの家賃は二十万だよ」
「え・・・・・・」
「単純計算、半分支払ってくれるとしても月十万。さらに生活費、ガス、水道、電気代、生活費も含めるなら月十五万くらいになるけど」
「十五万・・・・・・」
僕の手取りが十八万だから、手元に残るのは三万円・・・・・・。いや、払えない額ではない。
「大丈夫です、払えます」
「歩夢くん、無理しなくていいんだよ? 君の収入は大体見当が付くし、月十五万も支払ってたら貯金出来ないよね?」
「収入は問題ないです。ダブルワークするか、今より収入のある仕事を探せばいいですし・・・・・・」
「さっきも言ったけど、私にとって君はアイデアの源泉なの。漫画家にとってアイデアってお金より大事なものなんだ。だからね、ダブルワークで仕事を増やすくらいなら、その時間を少しでも私といる時間に使って欲しいの。そしたらそれは創作の糧になるし、漫画が売れればそれは間接的に歩夢くんのお陰って事で、家賃や生活費を払ってもらうよりもリターンが大きいからさ」
「・・・・・・でも流石に、タダで住まわせてもらう訳には」
「そこまで言うなら折衷案。家賃、生活費は免除する代わりに二つの仕事をしてもらうのはどう?」
「二つの、仕事?」
己影さんはそう言ってピースサインを作るので、僕は首を傾げる。
「そ。まず一つ目は家のお手伝い。別に家事は苦じゃないんだけど、でも仕事の都合で忙しくて疎かになる事もあるからね。家事のお手伝いをしてくれたら助かるな。それと猫ちゃんたちのお世話ね」
「はぁ」
なにかと思えば、家事のお手伝いか。それは等価交換以前に、一緒に暮らす上で当たり前の事のように思うけれど、ひとまず頷く。
「そして二つ目、こっちが本命。君には専属モデルをしてもらいます」
「専属モデル、ですか?」
「うん。漫画でポーズを描く時、鏡に映る自分や、自撮りしてそれを参考に描く事が結構あるんだけど、それを君にお願いしたいの」
「なるほど」
それは漫画家らしい提案だ。
「私のリクエストに答えて色んなポーズや表情を作る事。それと、私生活にも付き合ってもらう」
「私生活?」
「買い物や食事に付き合ってもらうとか、一緒にお出かけするとか。私の脳に刺激を与える、つまりインスピレーションを供給する役目よ」
「そんな事でいいんですか?」
「大事な事よ。という訳で、以上の二点を折衷案として提案したいんだけど、どうかな?」
己影さんはそう言って僕の答えを待つ。
この折衷案、果たしてこれは等価交換と言えるのだろうか。専属モデルはまぁ、納得するとして、私生活に付き合うって別にお金に代わる価値があるだろうか。そんなの別に、頼まれればするのに。
でも僕は断れる立場にはない。ただただ自分にとって虫のいい提案に戸惑う。
「・・・・・・分かりました。己影さんがいいなら」
「うん、契約成立だね」
己影さんは満足げに笑うと、残りのアイスを口に運んだ。
――結局のところ、この契約は僕の気持ちを満たす為のものでしかない。タダで住まわせてもらうのでは僕の気が済まない。己影さんはそうした僕の気持ちを汲んで折衷案を用意してくれたのだ。実際、己影さんの提案は等価交換として成り立っていない。彼女はただ、僕の負い目を拭い去る為だけに虫のいい提案をしてくれただけなのだ。
敵わない、と思う。
僕は負い目を感じたくないが為に抵抗してみせただけで、それすらも包み込んでしまう己影さんの器の大きさに、敵わないと思う。
夜も更けて、次第に抗い難い睡魔が僕を遅う。張り詰めていた糸が切れる音がする。
「君は私のベッドで寝るといいよ」
「己影さんは・・・・・・?」
「私は仕事部屋で少し作業してから寝るから。――歩夢くん、おやすみ」
寝室に案内されると、僕はベッドで横になる。すると雲のようにフカフカして柔らかかった。セミダブルで寝返りもしやすい。
キャッスルで使っていた薄揚げみたいな布団とは雲泥の差だ。
これなら夢見心地で眠れそうだ。
目を閉じると、すぅぅぅぅ、と意識が沈み込むような感覚があった。それはとても心地よく、安堵感に包まれた。
やがて僕は、深い眠りに落ちていった。
こうして、僕と彼女の奇妙な同居生活が幕を開けた。




