逃げる市木と、追いつめる市木②
市木の言う「美乃梨さん」は、竣亮の8歳年上の実姉であり、もちろん葉月の義姉だ。
僚、明日香、隼斗、深尋、誠も、6人で一緒に遊び始めた頃から、美乃梨のことはよく知っている。
なぜかというと、美乃梨は竣亮のことが大好きな、ブラコン姉だったからだ。
竣亮を遊びに誘いに行くたびに、どこで何をするのかしつこく聞かれていた。
そんな美乃梨は、今年で38歳になるのだが、いまだに独身だった。
大学卒業後から、大手化粧品会社に勤めるバリバリのキャリアウーマン(死語)で、現在は広報部の課長にまでなっている。通称「鋼の女」。
国分美乃梨は、誰よりも強く美しく気高き女性として名を馳せていた。
見た目はかわいい系の竣亮とは違い、美乃梨は迫力のある美人だ。
もし、ここが異世界ならば、悪役令嬢のようなタイプ、それが美乃梨だった。
「お前......美乃梨さんと接点があったのか......?」
僚には2人が親しくなるほどの接点が思い浮かばず、若干混乱気味だ。
「ほら、俺、竣くんにお料理習っているだろ?その時に、たまに美乃梨さんがくっついてくるんだよ。まあ、葉月さんが連れてくることの方が多いんだけど......」
「それ、続いてたの......?」
僚も明日香も、竣亮による市木への個人料理レッスン(別名:葉月教)が続いているとは思ってもいなかった。
「そうだね~。前ほど回数は多くないけど、月に1~2回くらいはしているよ。おかげでさ、ご飯炊いて味噌汁作って、卵焼きを焼くことくらいは出来るようになったから、竣くんには本当に感謝してるよ」
実際市木は、料理など全くできないまま1人暮らしを始めたのだが、竣亮の教えのおかげで、味噌汁と卵焼きを作れるようになったのは、大きな進歩でもあった。
「その料理レッスンの時に、美乃梨さんが来てたのか?」
「そう、それが大きなきっかけかな」
「竣亮、美乃梨さんにまで料理教えてたんだね.....」
「俺らの知らないところで、葉月教の信者が増えてたんだな」
「あっ!誤解のないように言っとくけど、美乃梨さんは決して料理が出来ないわけではないからな!竣くんのオムライスを伝授してもらうために、来ていたんだからな!」
市木が必死にフォローする姿を見て、2人は(マジか......)と心の中で同じことを思っていた。
思い返せば、6人の話の中心はいまや子供の話なので、こういった日常の話や人間関係の話などは最近してなかったなと考えさせられた。
「じゃあ、その時に美乃梨さんに好意を持ったと......?」
「あーーーまぁ......それもそうなんだけど、一番は美乃梨さんのヤケ酒に付き合った時かな......」
それから市木は、美乃梨とのエピソードを話し始めた。
~.・☆・.~.・☆・.~☆~.・☆・.~.・☆・.~
いまから約3か月前。
外科の専攻医となっていた市木は、大学病院から他の病院へ異動しており、その日は大学の同期3人と久しぶりに、以前勤めていた大学病院近くのレストランで食事をしていた。
「バカにしないでよっ!」
突然、大きな声が店内に響き渡り、その場にいた客が全員ざわつく。
市木たちも、楽しくしゃべっていたのにそれを遮られたため、声の主は誰だと探す。そこにいたのはカップルで、男の方が女に何かを言ってそのまま店を出て行った。
「痴話ゲンカみたいだな」
「いや、別れ話だろ」
市木の同期がそう話している中、残された女の方を見た市木は目を大きくする。
その残された女が、竣亮の姉の美乃梨だったからだ。
(美乃梨さんだ......でも、いま声を掛けるのはまずいよな......)
いくら市木でも、この状況で美乃梨に声を掛ける勇気はない。声を掛けられた方も、気まずいに決まってる。
ここは、見なかったことにしようと美乃梨から視線を逸らす。
連れの男の方もいないんだし、美乃梨もそのうち帰るだろう。そう思っていた。
しかし1時間経っても、2時間経っても、美乃梨は帰ることなく、まるで何事もなかったかのように1人で食事をし、ワインを飲んでいた。
「なあ、あの女。あんなことがあったのに、よく1人で食事できるな」
「だよな。俺だったら、絶対無理だよ」
同期たちがそう言うのも無理はない。実際そうだから。
でも市木は、美乃梨が「鋼の女」と言われていることを知っていたので、そのことについてはさほど驚きはしなかった。
しかし、市木たちが会計を済ませて店を出た直後、その後ろから出てきた美乃梨の顔を見て度肝を抜かれた。
美乃梨の目は真っ赤に腫れあがり、両目の下にはいくつもの涙のあとが残っていた。
そんな顔を誰にも見せたくなかったのだろう。美乃梨はすぐ近くに市木がいるにも関わらず、まっすぐ前を向いて1人街の中へ歩いていく。
あの泣き顔を見た瞬間、市木は「美乃梨を1人にしてはいけない」と、なぜかそう思ってしまい、同期たちに適当なことを言って別れた後、急いで美乃梨の後を追った。
「美乃梨さんっ!」
呼ばれた美乃梨は、ゆっくりと振り返る。その顔はさきほどと同じく、ひどい泣き顔だった。
「あら、市木くん......」
「はぁ......美乃梨さん、その......大丈夫......じゃないですよね......?」
市木にそう言われた美乃梨は、なぜか優しく笑っている。
「もしかして......見てた?」
「.......はい。すみません......」
「別に謝らなくてもいいわよ。大したことないわ」
あの状況で、いまも泣き腫らした顔をしているのに、大したことないと言って強がっている美乃梨を、市木は独りにしておけなかった。
「あの、美乃梨さん......明日はお仕事お休みですか?」
「ええ、休みだけど......」
「それじゃあ、2軒目付き合ってもらえませんか?」
「......市木くん、わたしそんな気分じゃ......」
「30分でいいのでっ!」
パンっと市木は両手を顔の前で合わせて、美乃梨にお願いをする。
それを見た美乃梨も、仕方ないとばかりに「いいわよ」と返事をした。
それから2人でビルの地下にあるBarに入った。
市木はハイボールを、美乃梨はロングアイランドアイスティーを注文し、乾杯する。
最初のうちは、他愛もないことを話していた。
主に、幼少期の頃の竣亮の可愛さについての話がほとんどだったが。
それから酒が進み、3杯目を飲むときには、美乃梨の方からあのレストランでの出来事を話してきた。
「あの一緒にいた男。わたし、あの男と10年付き合ったの。でも、ここ3年くらいはなんというか......マンネリで。ズルズル付き合っている状態だったわ。当然、体を重ねるどころか、キスすらない。そして今日言われたのが、他に好きな女が出来たって、しかも妊娠してるって。相手は同じ会社の総務の若い女で、たぶんもう何年も関係があったみたい。そんなことも知らずに、久しぶりにあの思い出のレストランに呼び出されて、関係改善を提案されるのかと思ったら、全く違うことを言われたのよ.......そして、最後にあのクソ野郎何て言ったと思う?」
「なんて.....言われたんですか?」
美乃梨は鼻でフンっと笑って、元カレの捨て台詞を口にした。
「お前は強いし、俺がいなくても1人でも生きていけるだろ。彼女は、俺がいないとダメなんだ。お前も守ってあげたいと思われるようになれれば良かったのになって。......バカみたいでしょ?」
市木は美乃梨の話を聞いて、その男をぶん殴ってやりたいと思った。
結婚適齢期の女性を10年も縛り付けた結果がこれかと。
「俺は、美乃梨さんが強い人だとは思いません。本当に強い人は、そんなに泣きませんよ」
市木は美乃梨にハンカチをそっと渡す。
美乃梨は自分でも気づかぬうちに、また涙を流していた。
「ありがとう.......」
ハンカチを受け取りながら礼を言う。
「美乃梨さん、今日は付き合いますよ。とことん飲みましょう!」
「.......わたし、酒癖良くないわよ?」
「知ってます」
市木はそう言って、美乃梨にニコッと微笑む。
「あとで後悔しても知らないから」
それから2人は、朝方まで飲み明かした。
美乃梨が1人で食事を続けたのは、こんな騒ぎを起こしてはもうあのレストランに行けなくなるので、最後に味わいたかったのと、食べ物を粗末にすることが出来なかったからだと聞いた市木は、自分と一緒にまた新しいレストランを探そうと提案した。その提案を、美乃梨もすんなり了承した。
そのあとも美乃梨は、10年待たされるだけ待たされた愚痴を思いっきり吐き出したおかげで、店を出るころには心が軽くなっていた。
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「そういうことがあって、あれからちょくちょく2人で食事に行ったり、飲みに行くようになったんだ。でも、最初は本当に飲み友達みたいな感覚でいたんだけど、美乃梨さんって8こも年上なのに、見かけによらず可愛いところがあって、表情も豊かで、頭も回るし、目が離せなくて、それで.......気づいたら.......」
僚と明日香は、それまでの市木の話と、いまの市木の様子を見て、完全に美乃梨に落ちていると確信した。
しかし、美乃梨の方の気持ちは、いまの話では分からない。
一緒に飲みに行くくらいだから、嫌いではないと思うが、それ以上の気持ちは誰にもわからなかった。
「正直さ、お前が美乃梨さんとって思った時、やめとけよって言いそうになった。俺らがガキの時から見ていた美乃梨さんは、竣亮のことが大好きで、何かと邪魔してくるような鬱陶しいお姉さんだったからさ。加えて、あの負けず嫌いで物怖じしない性格だから、たぶん俺ら竣亮以外全員、苦手だったんだ」
「ははっ、それは俺もわかる。初めて会った時、こわって思ったもん」
2人は、二十歳になって居酒屋に行き始めた時のことを思い出す。
僚は明日香と付き合う前で、市木もまだ明日香に思いを寄せていた頃だ。
明日香が、カナダに留学していた時の話だった。
3人で蛍のベビーモニターを覗きながらリビングで飲んでいると、だいぶいい時間になってきた。
すると僚が、市木にめずらしいことを提案してきた。
「お前、今日泊まっていくか?」
「ふえっ?」
まさか僚からそんなことを言われると思っていなかった市木は、気の抜けた声を出してしまう。
「このまま帰って、明日またそのお見合い相手が来たら、お前ひとりで対処できるか?ここまでくるような度胸のあるお嬢さんだから、何をするかわからんだろ?」
僚にそう言われて、市木も一理あるなと考える。
「でも、迷惑じゃ.......」
「迷惑だと思っていたら、とっくに追い出してるよ。それに、これに関しては、お前に協力しようと思っているんだ。だから......」
僚が最後まで言い終わらないうちに、ガバッと市木が僚に抱きついてきた。
「葉山ぁ......ありがとうっ!」
「わかったから、離れろっ!」
そんな2人を見て、明日香は楽しくて、羨ましくて、クスクス笑っていた。
「市木くん、僚のだけどサイズは同じだから、大丈夫だよね?」
明日香はそう言って、市木にTシャツとスウェットパンツ、そして未使用の男性用下着と歯ブラシを市木に渡す。
「ありがとう明日香ちゃん。何から何まで」
「水臭いこと言わないでよ。僚は市木くんのことが心配なんだよ。もちろん、わたしもね。あっ、いま着ている服、洗濯機に放り込んでここのボタン押してね。そしたら、乾燥までしてくれるから」
明日香はそこまで説明すると、脱衣所から出て行った。
市木は心の中で2人に再度お礼を言うと、服を脱ぎ、言われた通りに洗濯機へ入れると、風呂場の中に入っていった。
風呂に浸かりながら、市木は考える。
白井鈴乃への対応と、美乃梨への気持ち。
鈴乃には申し訳ないが、彼女と結婚する気は全くない。
小さい頃から、俺と結婚すると言われていたなどと言われても、正直、そんなこと俺は知らないし、俺が言ったわけでもない。
第一、当時2歳の鈴乃が、俺のことを覚えている訳もないのに、どうしてここまで言い寄ってくるのかわからなかった。
「なんか、葉山の気持ちが少しだけ分かったかも......」
女性に対して潔癖な僚が、言い寄ってきた女性を次々と振っていく様子を見てきた市木は「なんてもったいない!」と当時は思っていたが、いまではその気持ちを少し理解できた。
いまの自分の心の中には、美乃梨が大きく存在している。
「鋼の女」なんて呼ばれているけど、実際美乃梨は鋼でも何でもない、普通の女性だ。ただ、人より少し仕事が出来る、ブラコン気質な自立した女性だった。あえていうなら、甘え下手なところがあるくらいだ。
一緒に飲みに行っても絶対に奢らせてくれないし、帰りに送らせてくれることもなかった。
「ど~やって落とそうかなぁ~.......」
最近考えることはこんなことばかりだ。
明日香に失恋して以降、これでもモテるので何人かの女性とお付き合いはしてきたが、全部女性から言われて付き合ってきた。
でも今回は、絶対に自分が頑張らないといけない。
明日香に振られたというトラウマはあるが、そんなことを言っている場合ではなかった。
「腹括るか.......」
市木は独り言ちると、大きな決心をして風呂から上がった。




