逃げる市木と、追いつめる市木①
このお話は、buddy ~絆の物語~ 本編完結後のお話です。
ネタバレがたくさん含まれておりますので、本編読了後に読むことを強くお薦めします。
ドンドンドンドンッ!
土曜日の昼下がり。明日香は蛍を寝かしつけ、リビングのソファで一息ついていた。隣では僚がコーヒーを飲みながら、お気に入りの本を読んでいる。
なのに、それを打ち破るかのような音が、葉山家に響き渡る。
「なっ!なに⁉」
「明日香っ、俺が行くから!」
インターフォンがあるにも関わらず、それを押さずに玄関の扉を叩くなんて、一体どういうことだと警戒しながら僚が玄関へ近づく。
するとまた、ドンドンドンドンッと叩かれ、そのあとによく聞いたことのある声が聞こえてきた。
「葉山っ!頼む!助けてくれっ!」
「市木.......?」
僚は相手が市木と分かり、すぐにドアを開ける。
「おいっ、静かにしろ.......」
「すまんっ葉山!お願い匿って!」
慌てて玄関に入ってきた市木は、はぁ、はぁと息も絶え絶えで、その顔は明らかに焦っていた。
僚は怒るのはとりあえず置いといて、市木を家の中にあげた。
市木の住むマンションは同じ新興住宅地内にあり、徒歩で7~8分、走れば3分ほどの場所にある。
どうやら市木は、そこから全速力で走ってきたらしい。
「どうしたんだよ、市木」
「何があったの.....?」
ソファーに倒れ込むように座る市木に、僚と明日香が声を掛ける。
市木はやっと呼吸を整えると、ソファに座りなおし、2人に事情を説明する。
「実は、俺の母親が勝手に見合いを進めてて、俺はそれをずっと拒否していたんだ。そしたらついさっき、その見合い相手が俺のマンションに来てて、それをたまたまコンビニ帰りに見かけて、それでここに......」
僚と明日香は、市木の突然の見合い話に驚いた。
「逃げてきたってことは、お前は相手の方を知っているっていう事だよな?」
「うん.....。父親の病院と取引のある、医療機器メーカーの社長令嬢だ。中学生の時に何度か会ったことがあるくらいで、それ以降は会っていない」
僚は、市木の家の事情を知っていたので、それを聞いてなるほどなと思った。しかし明日香は、市木家の事情を知らない。
「そこの社長の奥さんと、俺の母親が古い友人で、それで勝手に進められて.....もう、最悪だよ.....」
いつも明るい市木が、頭を抱えて項垂れてしまった。
すると明日香が突然、
「蛍が起きちゃった!」
と言って、2階の子供部屋へ走って行ってしまった。
僚と市木が、テーブルの上に置いてあるベビーモニターを見ると、ベビーベッドの柵につかまって立ち上がっている蛍が見えた。
明日香が蛍を抱っこしてリビングに戻ってくると、なぜか市木が喜んで両手を広げて待っていた。
「蛍く~ん、パパだよ~」
「お前、追い出されたいのか?」
「ごめんなさい」
いま市木は完全な弱者だ。葉山家の主の機嫌を損ねたら、とっとと追い出されるのは目に見えている。
「蛍、よかったな。今日は市木のおじさんが、遊び相手になってくれるらしいぞ」
「うーーーーーまっ!」
「そうか、そうか、うれしいなー?」
「しぃーーー!」
「よかったな市木。蛍が遊ぼうってさ」
僚は、今日ぐらい市木に蛍の相手をさせてやろうと考えた。
「葉山......俺に子守を押し付けたな」
「匿ってやるんだから、安いもんだろ。見ろよ、こんなに可愛い天使の相手をするんだぞ」
僚は市木に見せつけるように、蛍のやわらかいほっぺたをふにふにする。
「俺が知らないとでも思っているのか?蛍くんが、とんでもない体力お化けだということを.....」
僚と市木がなにやら子守で揉めていると、明日香が市木に聞いてきた。
「市木くん、もしよかったら夕飯食べていく?」
「えっ?いいの?」
「いいよ。いつも通り、普通のご飯だけど」
「やったぁ!明日香ちゃんはやっぱり優しいな~」
「それじゃあ悪いんだけど、夕飯の準備をしている間、蛍の相手してくれないかな?僚はいまからジョギングに出ると思うから.....」
「あっ......う、うん......」
結局、明日香に言いくるめられている市木を見て、僚は内心ほくそ笑んでいた。
そのあと、僚は本当にジョギングに出ていってしまった。
体力づくりと体力維持のため、10㎞走るのを日課にしているようで、1時間は帰ってこない。
それから市木は、お昼寝をして元気いっぱいの蛍の下僕となっていた。
「きゃははははっ!だっこ!」
「えぇ~~~.......もう一回.....?」
「ん!ん!」
蛍は市木に抱っこをせがんで、短い両手を一生懸命伸ばしている。
市木はかれこれ30分近く、蛍を抱っこしては高い高いしたり、飛行機と言って走り回ったりと、軽いウェイトトレーニングをしている状態だった。
「ただいまー」
玄関から僚の声が聞こえてくると、蛍はぴくっとなって、それまではしゃいでいたのに、今度は市木に下ろせと暴れ出す。
「うわぁっ、蛍くん落ちるっ」
なんとか支えて蛍を下ろすと、蛍は玄関へダダダッと走って行く。
「ぱぱ!ぱぱ!」
「おぉ、蛍。ただいま」
汗だくの僚の足元に、蛍が飛び込んでくる。するとすかさず蛍は、
「だっこ!」
と、僚に甘えてくる。
「蛍、パパはいま汗びっしょりだから、一緒にじゃぶじゃぶする?」
「ん!じゃぶじゃぶ!」
その様子を見て市木は、心底羨ましいと思ってしまった。
明日香と結婚して、かわいい子供にも恵まれて、仕事も順調で。
ここ数年、僚に対しての嫉妬心など感じることはなかったが、今日この光景を目の当たりにすると、再燃してしまいそうになる。
「市木くん、蛍の相手疲れたでしょ?お茶どうぞ。それとも、ビールがいい?」
市木の心に嫉妬心が湧き出ようとしていると、そばから明日香が声を掛けてきた。その声を聞いて、市木も少し冷静になってきた。
「ありがと。ビールは、あとで葉山と一緒に飲むよ」
「うん、わかった。いまから僚は蛍と一緒にお風呂に入るはずだから、夕ご飯までゆっくりしてて」
明日香は市木にそう言うと、僚と蛍の着替えを準備しに出ていってしまった。
明日香にゆっくりしててと言われたので、市木はソファーに座り遠慮なく一息つく。
僚と明日香の子供の蛍は、市木にとっても可愛い存在だ。まさか自分がこんなに子供好きだったなんて知らなかった。それを自覚させてくれた、大切な親友の大切な宝物。それと同時に、やっぱり自分も欲しくなる。
それは誰とでもいいわけではなく、自分が本当に好きになった人との証として守りたい。
市木は最近ずっと、そんなことばかり考えていた。
しばらくすると、玄関のインターフォンが鳴った。
キッチンに戻っていた明日香は、誰だろう?と言いながらモニターを見る。
そこには、白のワンピースに白の日傘を差した、若い女性が1人立っていた。
モニターを見ながら明日香が訝しんでいると、市木がそばに寄っていく。
「明日香ちゃん、どうしたの?」
「この女性、誰だろうと思って.....もしファンとかだったら、出ない方がいいかなぁ?」
そう言って明日香が見ていたモニターを覗いて、市木は腰を抜かす。
「ダ、ダ、ダ.....ダメッ!絶対開けたらダメだっ!」
「どうしたの?市木くん。知ってる人?」
市木の驚きようを見て、明日香は何事かと聞く。
「.......この子だよ。俺のお見合い相手」
「...............えぇ⁉」
今度は明日香が驚きの声を上げる。
「なんで、ここにいるのがバレたんだ⁉」
「それより市木くん、どうするの⁉」
「どうするも、こうするも.......」
2人がオロオロしているうちに、再度インターフォンが鳴る。
「市木くんっ、とにかくインターフォン越しに話すから、静かにしてて」
明日香にそう言われた市木は、自分の両手で自分の口を押え、コクッコクッと頷く。
「.......どちらさまですか」
「あの....突然、このような形で大変申し訳ございません。わたくし、白井鈴乃と申します。葉山僚さんのお宅で間違いございませんか」
「.......そうですが.......」
「わたくし、葉山僚さんのご友人である、市木颯太さんの許嫁でして、そちらに颯太さんがお邪魔していないかと思い、お伺いした次第でございます」
「.......市木くんはこちらに来ていませんが」
「左様でございましたか。では、もし颯太さんがおみえになりましたら、伝言をお願いいたします。鈴乃はずっと待っております、と。それでは失礼いたします」
言うだけ言って、鈴乃は葉山家の前からいなくなった。
「市木くん......許嫁って言ってたよ?」
「違う違う違う!絶対に違うっ!」
明日香もなんだかんだ言って、市木との付き合いが長い。市木の様子を見ても、嘘をついているようには見えなかった。
「明日香ーっ、蛍がでるぞー」
風呂場から僚の声が聞こえてきて、明日香は「はーい!」と返事をする。
「市木くん、話はまたあとでね」
明日香にそう言われて、市木も素直に頷いた。
それから夕飯を食べ、僚が蛍を寝かしつけた後、市木が2人に白井鈴乃について話し始めた。
「彼女に初めて会ったのは、俺が中学1年の時だよ。葉山は知ってると思うけど、あの頃から俺、なんというか......親への当てつけでひねくれててさ。そんな時に、あの子の親があの子を連れてうちに来たんだ」
「あの女性、インターフォン越しにしか見えなかったけど、結構若かったね」
明日香にそう言われて、市木はフッと鼻で笑う。
「そりゃそうだよ。だってあの子まだ19歳だもん」
「ええ⁉」
「マジか市木!」
自分たちがいま30歳なので、一回り近く年下の女の子になる。
お見合いというから、てっきり自分たちの年齢と近い女性だと思っていたのに、予想外の若さだった。
「え......てことは、中学1年の初対面の時、彼女は......」
「まぁ、普通に考えて2歳くらいだな」
「そんな年で許嫁だったの?」
明日香はどうしても、「許嫁」という言葉が忘れられなかった。
「それは断じて違うよ。あっちが勝手に言ってるだけ。それに俺は彼女と結婚する気なんてないんだ。だって.......」
「だって?」
市木は2人に意を決して打ち明ける。
「.......いま、その......気になる人がいて......だから.......あの子とは結婚できないんだよ......」
僚と明日香は、恥ずかしそうに言う市木を見て、何とかしてやりたいと思った。そんな人がいるのに、好きでもない相手と結婚するなんて、あまりにも可哀想だと思ったからだ。
「だったら尚のこと、逃げ回ってないで、きちんと話して断るべきなんじゃないか。彼女のためにも」
「わかってる。だから最初の時点ですぐに断ったんだ。俺には大切な人がいるから結婚できないって。でも、いままだ相手と付き合ってないなら、自分にもその権利があるとかなんとか言いだして、終いには、子供の頃から俺と結婚するって聞かされてきたのにって言われて......」
そこまで言うと、市木は昼間と同様に再び項垂れてしまった。
市木の話を聞いて、彼女が許嫁だと主張したことも、なんとなく理解した。
「それにしても、なんでウチが分かったんだろ?」
「それは......たぶん、俺の親から聞いたんだろう......」
「市木くんのご両親?」
明日香は、市木との付き合いは長いものの、家族の話はほとんど聞いたことがない。大きな総合病院を経営している医者一家で、相当なお金持ち。これくらいの情報しかなかった。
「まあ、お前の親父さんなら簡単に調べるだろうな」
僚は市木の家族のことも知っているので、ここが市木の親友の葉山僚の家であることを知っていても、なんら不思議ではないと考えた。
それはたぶん僚の家だけでなく、木南や隼斗、誠、竣亮も調査済みであることは十分に考えられた。
「市木くん、その......気になっている人に、告白とかって....しないの?」
明日香に聞かれて、市木は困ったような顔をした。
「うーーーん.......あんまり明日香ちゃんの前で言いたくなかったけどさ、俺、自分から告白したのって、今のところ明日香ちゃんだけなんだよね。だから、なんというか......ちょっとトラウマというか......」
「う.......ごめんなさい.......」
あの夏祭りから10年以上経つというのに、市木は明日香への想いとは別にトラウマを抱えていたようだ。
そんな2人を見て、僚は面白くないという顔をする。
「一体どんな人なんだよ?お前が気になるなんて、これまでそんな風に言う人なんて(明日香以外に)いなかっただろ?」
僚に聞かれた市木は、今度は顔を赤くして俯いた。
「..............絶対に、引かない?」
市木は打ち明ける前に確認を取りたかった。特に、この2人には。
「なんだよ引くって......まさか、未成年とか......」
「違うっ!その逆!年上なんだよっ」
年上にしても、その反応は何なのか.......余計に疑問に思ってしまう。
「もったいぶらずに言えよ。どんな人なんだ?」
「...................美乃梨さんだよ」
市木が小さな声でぼそっと言う。
「「...............え?」」
僚と明日香は、一瞬誰のことかわからなかったが、その名前で思い当たるのはどこを探しても1人しかいない。
「美乃梨さんなんだ。俺がいま気になっている人。というか、もう好き.....になってるかも......」
「「ええええええ⁉」」
結婚して以来2人は、夫婦で初めて大声で叫んだ。




