排除したのが男爵令嬢の場合
「アリア・レドル男爵令嬢を未来の王妃にしたいのでしょう?でしたら、わたくしは婚約解消して下さっても良いではありませんか?」
ヘレンティア・マルデリス公爵令嬢は、思わずハリス王太子殿下に向かって叫んだ。
カロリーヌ・ユリリク公爵令嬢も、ハリス王太子殿下を見つめて、
「そうですわ。わたくし達の婚約を解消して下さいませ」
そう、ハリス王太子は二人の公爵令嬢と婚約をしていた。
どちらかを王太子妃に、どちらかを側妃に。
ハリス王太子は二人の令嬢に向かって、
「お前達のどちらかが王太子妃にどちらかが側妃にという話だったな。なら、話は簡単だ。
お前達が側妃になって、アリアを支えればいい」
ヘレンティアは、怒りまくった。
「男爵令嬢の下につけとおっしゃるの?カロリーヌの下に着くのだったら、わたくしだって納得致します。カロリーヌは優秀で、わたくしはカロリーヌの為ならば側妃だって我慢致しますわ」
カロリーヌはヘレンティアの手を握り締めて、
「わたくしだって、ヘレンティアが王太子妃だったら、側妃だってよろしくてよ。貴方が王太子妃なら、わたくしも手伝いがいがあります。なんですって?男爵令嬢?なんで何も出来ないそんな女をわたくし達が支えなければならないのです?」
ヘレンティアはハレス王太子に迫って、
「そうですわ。わたくし達を馬鹿にしておいでですの?あの女が何が出来るというのです?社交は?マナーだってまったく出来ていないではありませんか?学園の皆がなんて言っているか知っております?あんなどうしようもない男爵令嬢が先行き王妃になったら王国は終わりだと言っておりますのよ」
カロリーヌはホホホと笑って、
「わたくしとヘレンティアは周辺諸国の5か国語を幼い頃から勉学に励んで、習得しておりますの。それに比べて、アリアと言う女はどうですの?日常会話も酷いではありませんか。
王太子殿下ぁ。アリア、胸が重くて重くてぇ。あああ、抱き着いちゃった、ってなんですの?」
ヘレンティアも大きく頷いて、
「それを学園の廊下で、まったく恥ずかしいですわ。それを社交界で行ったら、どうなるか解っておりますの?ハリス王太子殿下の名に傷がつくのですわ。あんな女と結婚して。
わたくし達だって、あんな女を助けたくはありませんっ」
ハリス王太子は、二人の令嬢に詰め寄られながらも、
「でも……アリアは可愛いのだ。大口を開けて笑って、身体を密着させて。私にとって、可愛くて仕方ないのだ。だから、お前達。しっかりとアリアを補佐して側妃として頑張って欲しい。お前達は私にとって必要なのだ。解ったな。これは命令だ。」
そう言って、学園の教室を出て行ってしまった。
放課後、教室で三人は言い争っていたのだ。
二年前に結ばれた婚約。
どちらかを王太子妃に、どちらかを側妃に。
二人の令嬢は高位貴族で、優秀だったから。
王家に目につけられたのだ。
断る事も出来ない。
王族の命令は絶対だから。
二つの公爵家はそれでも、自分の家から王妃が出るのだ。
王妃にならなくても側妃に。
王家は約束してくれた。
ハリスの次の国王は、二人が産んだ男の子の優秀な方が、先行き、国王になると。
だからとても喜んだ。
二人の令嬢達の気持ちは無視して。
だから、二つの公爵家は、自分の孫が国王になるかもしれないという期待を抱いて、この婚約を承知した。
ヘレンティアはイライラした。
王家の命令で仕方なく嫌々婚約者になった。本当はとても嫌だったのに。
ああ、何の為に今まで頑張ってきたの?
この王国の王妃になる為に。できればカロリーヌに勝って、この王国の頂点になる為に頑張ってきたのではないの?
ハリス王太子殿下への愛?
そんなのないわ。
男爵令嬢の下につけと?わたくしのプライドが許さない。
だから、自由にしてと言ったら、それも許さないだなんて。
カロリーヌが肩に手を置いて、
「ヘレンティア。そんなに怒っては駄目よ。わたくし達を解放してくれないと言うのなら、わたくし達は王国の為に、ハリス王太子殿下と結婚するしかないの」
「カロリーヌ。貴方はそれでいいの?」
「仕方ないじゃない」
カロリーヌはヘレンティアの耳元で囁く。
「でもね。わたくし、男爵令嬢の下につくなんて耐えられないの。貴方と一緒だわ。だから……任せて頂戴。わたくしに全て……いいわね」
ヘレンティアは驚いた。
カロリーヌはとても優しい令嬢だ。
クラスの中で困った人がいたら、見ていられないとさりげなく助けに入る。
だからクラスの中でとても人気があった。
そんな優しいカロリーヌが、どんな手を使うと言うの?
数日後、ハリス王太子に再び、ヘレンティアとカロリーヌは放課後、教室に呼び出された。
「アリアが学園に来ないのだが、お前達、何かしたのか?」
カロリーヌが首を傾げて、
「さぁ知りませんわ。ヘレンティア。貴方、ご存じかしら」
ヘレンティアは本当に知らなかったので、
「わたくしも知りませんわ。あの方、お休みでしたの?」
高位貴族と下位貴族では教室も違うのだ。
休んでいても、ヘレンティアには解りようがない。
ハリス王太子は、二人を睨みつけて、
「お前達、まさかアリアに何か……」
慌てたようにハリス王太子は部屋を出て行った。
ヘレンティアは、カロリーヌに聞いてみる。
「あの女はどうなったのです?」
「明日には学園に出てくるでしょう。もう、安心ですわ。ヘレンティア」
カロリーヌは何をやったのか、凄く怖くなるヘレンティアであった。
翌日、カロリーヌに誘われて、窓から中庭を見ていれば、頭を地につけたアリアがハリス王太子に謝っていて。
「今まで、馴れ馴れしくして申し訳ありませんでした。身の程、知らずでした。私は学園を退学して遠くへ参りますっ。どうかお許しを」
ハリス王太子はぽかんとした顔をして、
「カロリーヌかヘレンティアに何かされたのか?」
「とんでもないっ。何もされておりません。ただ、ただ、私は今までの事を大いに反省していてっ。本当に申し訳ございません」
凄い勢いで、アリアは走り去って行ってしまった。
ヘレンティアはカロリーヌに、
「何をしたの?」
カロリーヌはにこやかに、
「ただ、身の程を思い知らせてやっただけですわ。これで、邪魔者はいなくなりましたわね。後は、わたくしと貴方。どちらが王太子妃になるかですわ」
カロリーヌは、ヘレンティアの頬をそっと撫でながら、
「わたくしは、ヘレンティアの事が大好き。わたくし達は助け合って来た親友ですもの。でも、王太子妃になるのはこのわたくし。お父様に怒られたの。自覚が足りないって。もっとしっかりしろと、ユリリク公爵家の事を考えろと。だから、わたくしは王太子妃になる。確実に貴方より上に立つわ」
ぞっとした。
ヘレンティアは思った。
彼女には勝てない。
ヘレンティアは、カロリーヌのように非情になりきる自信がなかったから。
王妃という者は時には非情にならなければ、ならない時もある。
ヘレンティアは思う。
自分は非情になれるかしら。
ハリス王太子の事は今でも大嫌いだ。
婚約者の交流も、イヤイヤながらやってきた。
勉学だって、公爵令嬢だからと、先行き、王妃になる事が目標だから、真剣に取り組んできたけれども。
器が……カロリーヌとの間に、器の違いを感じた。
この後、父であるマルデリス公爵に叱られた。
「お前は自覚が足りない。婚約を解消して欲しいと言ったそうだな。王太子殿下に。我がマルデリス公爵家をお前は背負っているのだ。カロリーヌは今回の男爵令嬢の件、手を打ったそうじゃないか。お前より余程、自覚をしている。お前も、もっと自覚を持ってくれないと困る。お前の生きる道は王家に嫁ぐしかない。先行き、王妃になれ。カロリーヌなんぞに負けるなど許さぬ」
カロリーヌとは辛い王妃教育も共に手を取って頑張ってきた。
学園でも仲良かった。
父に言われて、自分の自覚が足りないと反省した。
カロリーヌはしっかりと邪魔者を排除したのだ。
婚約を解消して下さい?
カロリーヌは望んでいなかった。
カロリーヌは王太子殿下に婚約解消を断られることを解っていた?
カロリーヌは王妃になりたかった?
だから本当は自分なんて邪魔者だった?
友情が、カロリーヌを信じていた心が崩れていく。
疑えば疑う程、カロリーヌが信じられなくなっていく。
その日以来なんとなく、カロリーヌと距離を取るようになった。
自分と同じだと思っていた。
本当は婚約解消して、王妃になる重圧なんて、欲しくはなくて。
カロリーヌの事を信じていた。
でもでもでも……
カロリーヌなんて友ではなく、敵なのだ。
そして、月日は経って、王立学園の卒業式。
国王陛下から、どちらが王太子妃で、どちらが側妃になるのか発表があった。
「どちらの令嬢もとても優秀で甲乙つけがたい。だが、カロリーヌ・ユリリク公爵令嬢。そなたを王太子妃にすることをここに発表する」
ヘレンティアはほっとした。
自分が王太子妃に選ばれたら、殺される?
これから先、息子が産まれたら、その子だって無事ではすまない?
カロリーヌは幸せそうに、ハレス王太子に付き添って、
「わたくしがこれから先、ヘレンティアと共に王太子殿下を支えますわ」
「有難う。カロリーヌ」
ぞっとした。
カロリーヌは卒業式の後、マルデリス公爵家に訪ねてきた。
客間で一緒にお茶をしてきた。
カロリーヌはヘレンティアの傍に来てその手を握り締めて、
「わたくしは貴方を殺さないわ。一緒に勉学に励んで来たわね。わたくしは貴方とは親友だと思っているの。だから、心配しないで。貴方の子だって殺さないっ」
ヘレンティアは、カロリーヌの手を振りほどき、
「貴方の事が信じられない。貴方は邪魔者のわたくしを殺すのだわ。わたくしの子だって殺されるっ」
バシっと頬を叩かれた。
カロリーヌに怒られた。
「しっかりしなさい。ヘレンティア。貴方は、かといって逃げられない。側妃になるしかないの。わたくしはしっかりと自分の運命を受け入れている。ハリス様を愛そうと努力した。貴方のことだって大好きよ。だって、大好きな人たちと一緒に過ごしたいじゃない。だから、だから、だから、殺すだなんて事言わないでっ。わたくしの子だって殺さないでっ。わたくしは貴方と仲良く過ごしたいの。甘いと言われたって。仲良く過ごしたいのよ。一緒に沢山勉強した。一緒に泣いたりしたじゃない。貴方とわたくしは友達よ。わたくしを信じて頂戴。貴方が信じられないと言うのなら、わたくしは……」
カロリーヌが抱き着いてきた。
ヘレンティアは、それでも……
「貴方は怖い人だわ。だって、邪魔者を排除したじゃない。わたくしは貴方の邪魔者でしかないの。怖いっ……」
「どうすれば信じてくれるの?貴方とわたくしの友情はどうしたら……」
立ち上がると、カロリーヌは懐から小瓶を取り出して、中身を一気に煽ろうとした。
ヘレンティアは驚いて、その手を叩き、瓶は床に転がった。
しかし、飲んでしまったのか?カロリーヌは床に崩れ落ちた。
医者を呼んで、瓶の中身は毒だという事が判明した。
カロリーヌは意識が戻らないらしい。
ヘレンティアは見舞いに行きたかった。
でも、ユリリク公爵に疑いをもたれたのか、家に入れて貰えない。
毒を用意したのはカロリーヌ。
もしかして、この毒は……
ぞっとした。
自分は殺されるはずだった?
カロリーヌの手によって。
黒い闇が広がる。カロリーヌの事が信じられない。
疲れ切って、ふと、机で転寝をする。
そう言えば、具合が悪くなって、倒れたカロリーヌに付き添ったことがあった事を思い出していた。
王妃教育が厳しくて、二人してよく愚痴を言い合った。
カロリーヌがある日、倒れてしまって、心配して付き添ったことがあった。
ベッドで目を覚ましたカロリーヌは、嬉しそうに、
「付き添ってくれて有難う」
と、手を握り締めてくれた。
どうして、こんなことになってしまったのかしら。
もしかして、カロリーヌの意志ではなく、ユリリク公爵の指示?毒で自分を殺そうとした?
それをカロリーヌは、自分で毒を飲んだ?
頭がぐるぐると回る。
男爵令嬢がいなくなってから、ずっとカロリーヌを疑って来た。
野心の為に何でもする人だと、友情はあったはずなのに……
涙が零れる。
一月後、カロリーヌが王太子妃を辞退したと、ヘレンティアが王太子妃になる事が決定したと王家から知らされた。
カロリーヌが公爵領に静養に行くと言う。
カロリーヌの望みで、ヘレンティアは見送りに行くことになった。
護衛騎士を伴ってである。父であるマルデリス公爵が護衛をつけてくれた。
青い顔をして、侍女に支えられながら、馬車に乗ろうとしたカロリーヌに声をかける。
「どうして毒を飲んだの?貴方の望みが叶うはずだったじゃない?王太子妃に、後の王妃になる望みが」
「わたくしは、自分で毒を用意したの。貴方はわたくしを信じてくれなかったから。どっちにしろ、お父様は邪魔者は排除する人。わたくしと貴方の立場は食うか食われるか。でもね。わたくしは貴方と過ごした王妃教育。そして学園での日々がとても幸せだった。貴方と戦うなんて絶対に嫌だったの。だったら、わたくしが毒を飲むしかないじゃない。わたくしは貴方の事もとても好きだった。一緒に支えたかった。この王国を」
そう言って、カロリーヌは涙を流した。
ヘレンティアはぎゅっとカロリーヌを抱き締めて、
「疑ってごめんなさい。わたくしも貴方との日々は楽しかったわ。本当にごめんなさい」
「いいの。さようなら。ヘレンティア。良き王国を……作って頂戴」
そう言って、カロリーヌは馬車に乗り込み去って行った。
数年後、王太子妃として、しっかりと社交をこなしているヘレンティア。
ハリス王太子との仲は表向きは良好である。
ハリス王太子の事は相変わらず、大嫌いだけれども、ヘレンティアはハリス王太子の子を産むことが、マルデリス公爵家の為にもなるのだ。だから、子作りにも神経を使った。今はまだ出来る兆候はないのだけれども。
そんな中、久しぶりにカロリーヌに会った。
「王太子妃様。お久しぶりです。カロリーヌです」
そう言って、挨拶したカロリーヌ。
「今は元気になって伯爵家に嫁いで、とても幸せですわ」
にこやかにそう話すカロリーヌ。
カロリーヌが幸せそうな様子に、安堵すると同時に、うらやましく感じた。
王太子妃として、今まで王宮で苦労してきた。
足を引っ張ろうとする貴族だっている。
王妃や父マルデリス公爵と相談して、排除してきた。
王国を背負ってこれからハリス王太子と共に生きていかねばならない。
この手を血で染めることだってあるだろう。
カロリーヌはヘレンティアの手を握り締めて、
「結果的に、貴方に重荷を背負わせてしまってごめんなさい。わたくしはいつでも、ヘレンティア様の幸せを祈っておりますわ」
「有難う。カロリーヌ」
礼は言ったけれども、心はとても複雑で。
自分の為に王妃になる道をあきらめたカロリーヌ。
結果、カロリーヌは幸せそうなのだ。
素直に感謝出来ない。素直に幸せを喜べない。
素直に素直に……
ああ、なんてわたくしの心は醜いの?
カロリーヌの手をヘレンティアは握り締めた。
改めて礼を言う。
「有難う。カロリーヌ。貴方は永遠にわたくしの親友だわ。貴方が幸せそうで良かった。心からそう思えるの」
そう言って、その背を抱き締めた。
カロリーヌも背を抱き締めてくれて。
「有難うございます。王太子妃様」
親友の幸せそうな様子に心の底から神に感謝した。
後に、ヘレンティアは、ハリス王太子が国王になった時に王妃になり、ハリス国王を助けて王国の為に働いた。
王子を二人産んで、後にその息子が王国の太陽と呼ばれる素晴らしい国王になるのは、かなり先の話である。
ヘレンティアはカロリーヌと死ぬまで文通をし、交流し続けたと言われている。