しっぺ返しはワンショットだけ
――の影響により、列車の運行に遅れが生じております。最新の運行情報につきましては、駅の掲示やアナウンスを――
駅のホームは苛立った空気が満ちていた。一時間以上の運行遅れの見通し、つまり何処かの誰かが電車にハグを試みたらしい。そいつたった一人のせいで、私を含め数えきれないほどの人間がこうして迷惑を被っている。
多くの人がそうするように私もスマホで学校に電話をかけ、事情を話して遅刻することを伝えた。
電車はいつ復旧するのかわからないので、いったん家に帰って自転車に乗って学校まで行くしかない。教師から許可も取った。
問題は行きは良くても午後に体育があるので、そこから自転車で帰宅しなければいけないのかと考えると今からもうウンザリだ。
「エラいぷんすかしとるなぁ。せっかくなんやからのんびり行かへん?」
横から女の子の声が掛けられて、振り向けば同い年くらいの子が指を自分の目元に向けてなんだかにやついた笑みを浮かべていた。
「若い内からそうしかめっ面ばっかしとるとここらへんに小皺出来るんやで? 知ってた?」
「余計なお世話。ってか馴れ馴れしい。アンタ誰よ?」
「んー、個人情報うっかり漏らしたら怖い世の中やからね。まぁウチのことはお節介な関西弁ガールとでも思といてくれたらええわ。ちなみにこれの究極進化形態があの大阪のおばちゃんや」
ヒョウ柄のなぁ、と一人でケラケラ笑っている。イントネーションからして、本当に近畿地方出身で引っ越してきたのだろう。
私とは違う高校のセーラー服で、みんなどこか殺気立った空気の中で愉快そうにしていることを除けばごく普通の、地味な女子高生にしか見えない。
すっ、と目元を指差していた腕を階段のあたりに向けて関西弁女子は真顔になった。
「ほら、もうあんなに混んどるわ。ウチ、揉みくちゃにされたないからな。自分結構髪型に気ィとか遣っている方とちゃうん? やから、ゆっくり人空いてから行こやないの」
確かに女子の言うように階段もエレベーターも人でごった返していた。あの中に突入するのが気が滅入ると言われたら、そういう気分にもなってくる。
どうせもう遅刻は遅刻なのだ。投げやりというか開き直りというか、焦っても仕方ないと言う関西弁女子に私も同調してきてしまった。
彼女はベンチに座り、横をぽんぽんと手で叩く。話好きなのだろう。私も立っているのは億劫になってきたので、座ることにした。
ただ、まともに会話しようという気はとくに起きない。
「ごめんな。あれウチが殺してもうたねん」
そう思っていた矢先に、何か物騒な物言いを今までと同じ調子で関西弁女子は呟いた。
思わず横を見て表情をうかがったけれど、そこにはやっぱりにやついた笑みが私を待っていた。
「どゆことか聞きたい?」
「聞きたくない。っていうか、仮にも人が死んでいるんだから、そんな話題振って来るのって、不謹慎。良くないよそういうの」
「んー、でももしウチがこうやって話し掛けてへんかったら、『人身事故のせいで足止め食らった。最低』とかスマホ弄って愚痴ってたと思うんやよね」
「だから?」
「いや同じやない? 不謹慎さで言うんやったら」
「同じなわけないでしょ。愚痴と当人の、その、ほら、さぁ」
実際口にしようとすると、具体的な単語が見つからなかった。何か怖い気がした。
自分で言っておいてなんだけど、これは誰かが自殺して起こっていることなんだと今更ながらに自覚した。その自殺という行為を、いじるかのような関西弁女子の言い分は、気持ちが悪かった。
関西弁女子は鞄の中から棒付きキャンディを出して包装を破り、口にする。もう一本私に向けて来たけど、無視した。
「ウチは一緒やと思うけどね。でも自分真面目なええ子やな。ウチ好きやで自分みたいな子」
「はぁ。私はアンタみたいなの好きじゃないけど」
「ウチかて学校でこんなキャラせぇへんよ。行き連れ他人の自分やから素ぅやの。せやからちょっと、やっぱ、重なってな。まぁ話くらい聞いてや。暇なんやから」
「自主勉くらいできるんだけど」
「真面目やなぁ。ますます気に入ってしもたやんか」
面倒くせぇなこの女。
「こういう人身事故の損害額っていくらくらいなんやろね? タクシー使て出勤している人も多いやないの。でもそのお金って会社が出してくれるかどうかもケースバイケースやん? そんなん積み重なって、めっちゃ大勢の人が迷惑して、まっとうに動くはずやったお金が動かへんなるわけや」
それは私も思っていたけど。
「オマケに損害賠償は、本人死んどるわけやからね。払うに払われへん。遺産でもあったら別なんやろけど、遺族が負担するんやて」
「だから止めろってみんな言ってるんじゃん」
「せやね。山や海で遭難したら救難ヘリとか捜索隊出すお金いるし、飛び降りたら事故物件と器物損壊、下手したら他人も巻き込むわ。そりゃ車で練炭炊いたり、樹海で首吊ったりするのもわかるわ。他人様にできるだけ迷惑かけへんよう自分自身の人生に幕閉じんの大変やもん」
「アンタさぁ、止めようよ。この話題」
「せやったらここから立ってくれるだけでええで。ウチも無理に聞いてと言わへんよ」
鞄の中からノートを取り出して何かを書きながら、関西弁女子は言う。
「でもまぁ今日みたいな話の場合、もうとっさになんも考えずに飛び込んだんやろね。そういう諸々めんどいこと考えるコト無い瞬間、パッと行動だけ起こす時。そういうのを魔が差すって言うねん」
「……でもアンタさぁ」
自分が殺したとか言っていなかったか?
そこまでは言えなかった私の顔を、屈んでニヤニヤ見上げてくる。関西の女子高生はこんな感じなのか?
「嬉しいなぁ。ちゃんと話覚えてくれてるなんて。
さっき言うた話もそれやったら忘れてへんな? そうやねん。人身事故はめっちゃくちゃ迷惑やねん。もう四方八方あちこちにな。
でも考えてもみーや。自分がそのうち就職して、稼げるお金。納める税金。それと今日のウチらが迷惑してる状況でパァになってもうたお金。それ差し引き計算、してみる?」
「したくない。っていうか、どこに就職するんだかもわからんし意味ない」
「せやね。でももう働いとる社会人の皆様はこれ簡単に計算できるんやな。せやったら、な? 自分の命の値段が割り出せてまうんやな」
「アンタ性格悪いって言われない?」
「やからこんなウチ、普段のウチやないんやって。行きずりの自分やから話してるし、聞いてくれるから喋っとんの。
話戻そか。せやから、札束で人は殺せるで。じゃあ逆に考えへん? 桃鉄でどこまで借金出来るかやってみたことあらへん? それ全員に押しつけてみんな借金地獄に叩き落とすとかできるやろ? お遊戯やなくても自分の命使たらそれできるんや」
私は隣にいる女子の顔を改めて見た。
どこかぶっきらぼうに棒付きキャンディを咥えて何処でもない所を見ている様子だった。
キャンディを口から出して、唾液の糸を引いた舌のまま女子は喋る。
「せやったら、迷惑は迷惑やなくなるねんな。ちゃんとした目的になる」
「言ってる意味、わかんないんだけど」
「親ガチャに失敗してもーた。だぁれも助けてくれへん。算数したらお先真っ暗や。せやからこの世からバイバイしよ思たらアレコレ文句つけてくる連中ばっかや。がんじがらめやな。ほれやったらもう、お前らみんな不幸になればいい。人間誰でも一回限り使えるしっぺ返しの弾丸や」
私は、唾を飲み込んだ。
「テロじゃん、それ」
「せやよ」
「アンタ、それ、そそのかしたっての?」
「どやろね? ウチがあんまりにも可愛い自分の気ィ惹くためにホラ吹いているだけかもしれへんなぁ」
ケラケラとキャンディを口に咥えたまま笑っている。
私はベンチから立った。もう付き合っていられないし、十分人は引いた。
ちゃんと学校に行こう。
「話聞いてくれてありがとうな。飴ちゃん、お近づきの印にあげるわ」
「いらんっての」
「まぁまぁ」
今までとは打って変わった積極的な様子で私のポケットに無理矢理棒付きキャンディを突っ込んでくる。
返すためにこれ以上話すのも時間を割くのも無駄なような、怖いような気がして、私は関西弁女子に背中を向けて階段へと歩き出した。
「ウチも毎日この駅で学校行ってるから、また会えるかもしれへんな」
嬉しそうな笑い声が私の背中を叩き続けていた。
※
自転車で頑張って登校すれば、私以外にも同じ理由で遅刻している生徒は少なからずいた。
けれど昼頃になれば今朝方のことなど日常の中で忘れていった。
ただ、体育の授業に備えて更衣室で着替える時、私はスカートのポケットに棒付きキャンディが突っ込まれたままだったことを思い出した。
ノートを破った紙切れが、キャンディの包み紙の上に覆い被されていた。
背筋が冷えた。けれど好奇心が勝ってしまい、私は紙切れを開いていた。
放課後、私は自転車置き場に向かっている。
紙切れは、なぜか捨てられなかった。
そこに書かれていたのは11桁の数字。
おそらく、携帯番号。
明日も、駅で、私はアイツに会うのだろうか?
挿絵はAI生成画像です(そのままではなくちょいちょい加工してます)。
もしかするとシリーズとしてこの二人のお話は続くかもしれませんし、これで終わりかもしれません。