スパイスのないおままごと
よく見かけるクズ男設定の話で疑問に思っていたことをそのまま作品にしてみました。
「私は生涯貴様を愛することはない!私は私の最愛を見つけた!お前とは形だけの結婚だ!」
「……はぁ」
婚姻を結び、式を挙げ、さあこれから初夜の時間だというタイミング。
初夜の新妻にふさわしい薄手の服を着た書類上の妻の気の抜けた返事に、夫となった男は苛立ちを募らせる。
「所詮、貴様とは政略結婚。何故か父上が『お前にふさわしい』などと勝手に決めてしまったが、婚姻さえ結べばそれでいいだろう!私は貴様とは寝ない!私の後継は我が最愛が生んだ子がなるのだ!」
「かしこまりました」
ここで涙の一つでも見せればまだ可愛げがあるものを。いや、下手にすがられても鬱陶しいだけである。
無表情にガウンを羽織る妻を一瞥し、男は鼻をならすと彼の最愛の元へと向かった。
本当は本邸に愛しい女性を住まわせたいところだが、いくら愛しくとも彼女の立場は愛人である。さすがにそのくらいは弁えていた男は王都の治安のいい場所の借家を借り、そこで本当の新婚生活を楽しむことにした。
少々傾きつつあるがそれでも侯爵家なのだ。最愛の女性と二人きりの甘い時間を過ごすくらいの資金は潤沢にあった。
妻に見せた冷たい表情とは全く違う蕩けるような笑みを浮かべながら男は借家の扉を開ける。
「帰ったよ、我が最愛!」
「まあ、もう帰っていらしたの?今日は初夜でしょう?」
「ハハ、私があんな女を相手にするわけがないだろう?才女だなんだといわれているようだが勘の悪い地味な女だったよ。君の美しさとは比べるのも失礼な話さ。さあ、本当の初夜を始めよう」
「嬉しい。愛しているわ」
「私もだよ」
実際のところ彼女との行為は初めてでもなんでもなく、数えきれないほどあるのだが、燃え上がった二人にその指摘は野暮であろう。
それから二人は肉欲に溺れつつ観劇にショッピングにと望むがままに自由で甘く、爛れた生活を送るのであった。
こうして二人は幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。
…とはならなかった。
本妻が邪魔をしたとか、両親から叱責があったとか、そんな事件があったわけではない。
双方は気味が悪いほど沈黙を貫いている。
では、何が起こったのか。
やることがなくなったのである。
いくら愛し合う二人でも年がら年中睦み合うわけでもない。そんな日々は最初の一週間もあれば充分だった。
それから観劇やショッピングを楽しんでいたが、それも一月もすれば飽きてしまった。
劇の演目は早々変わらず、店の商品も日々の潤いになるほどに代わり映えがするわけでもない。
気に入ったものはすでに購入済みで、あとは見覚えのある商品ばかり。
女性はまだ楽しんでいるようだが、男は女ほど装飾品が多くなく、また興味関心があるわけでもなく、男は手持ち無沙汰になってしまったのである。
「さて、そろそろ家の様子でも見に行くかな」
なんだかんだ蜜月だからと侯爵家の仕事を放置している。父親の現侯爵から諸々を引き継がなければならない。
そろそろ頃合いだろう。
夫が不在で困り果てている妻の姿を見るのも一興かもしれない。
そんな勝手なことを思いつつ男は本邸へと足を踏み入れたが、最初、帰る家を間違えたかと思った。
あまりにも自分の知る家と異なっている。
「な、なんだこれは!?」
カーテンにカーペット、家具に調度品、煌びやかだったそれらは落ち着いた、悪くいえば妻そっくりの地味なものに替わっていた。
男が知るものは何一つ置いていない。これでは他人の家ではないか。
「まあ旦那様、先触れもなく帰られては困ります」
執事から夫の帰宅を知りやって来た妻は、彼の最愛とは正反対な地味な装いで、髪を色気なく一つにまとめあげ、おまけに眼鏡までしていた。
つくづく夫の好みとは真逆の女性である。
「おい!なんだこの家は!元々あったものはどうした!」
「お義父様とお義母様の許可は得ています。そしてこれらは全て持参金と私の私財で購入したものですので、侯爵家の財産は使っておりません」
「家主の許可はとるべきだろう!」
「この屋敷の権利者は現侯爵であるお義父様ですわ」
「くっ、ああいえばこういう…」
なおも文句を重ねようとしたところで、使用人が妻に何か耳打ちする。
「どんなご用事かは知りませんが、私はこれから人と会う予定がありますの。時間が迫っていますのでこれで失礼します。ちなみにお義父様とお義母様も出掛けております。これからは事前にご連絡ください」
申し訳程度に礼をして妻が去っていく。
使用人たちも忙しいようで皆次期侯爵であるはずの男を無視して各々の仕事に戻ってしまう。
家令や執事の名前すら知らない男はまるで知らない本邸にいるのも居心地が悪く、どうすることもできずとぼとぼと最愛との愛の巣へと帰ることとなる。
家に着くも最愛の彼女は不在だった。
何ヵ月も生活を共にすれば男もいささか熱が冷めてくる。
不美人とはいわないが、あの輝くばかりの美貌が化粧によるものだと知ったのはいつだったか。
案外彼女は寝相が悪い。
家事は通いの使用人を雇っているが、この前横柄な態度で接しているのを見てしまった。
それに最近、買い物に夢中で男を蔑ろにしつつある。
することがないせいか、彼女の悪いところばかり目についてしまう。
「はぁ…」
思わずため息をつくが、それを拾う相手は誰もいなかった。
「な、なんだって!?」
数ヶ月ぶりに会った妻は、男の叫びに不思議そうに首をかしげた。
二人が形ばかりの結婚をして三年が経った。二人の仲は相変わらずで、夫は常に屋敷におらず、妻はそれを気にも止めずにいた。
二人が会うのは夜会など公的な場のみ。それだってエスコートだけ終えればそれぞれ知り合いのもとへ行ってしまう。
社交界で一時噂になったものの、双方のあまりの事務的対応にこれも貴族の結婚の一つの形ではとまでいわれてしまっている。
しかし、結婚当初と比べ、男の生活は一変していた。
最愛だったはずの女性は結婚して一年ほどで金目のものと共に出ていった。
本邸に居場所はなく、今さら頭を下げるのもプライドが許さず、彼は未だに借家にいる。
日々の生活に困らないが、女を捕まえてもどうにも長続きせず、無味無臭なつまらない毎日を送っていた。
今日はいつぶりかも思い出せないほど久しぶりに妻に本邸に呼ばれたのだ。
やっと夫に泣きついてきたかと意気揚々と帰ってきたのだが、現実はそう甘くはなかった。
「ですから、この際娼婦相手でもいいですから、いい加減子どもを作ってください」
仮にも妻のいうことか。
男は目眩に襲われる。
「そんな回りくどいことをしなくても、君が私の子を産めばいいじゃないか」
「あら旦那様、私とは寝ないとおっしゃったのは旦那様です。ご自分の言葉は守っていただかないと」
「あ、あの頃と状況が違うんだ!夫婦として歩み寄ろうとしているのだからありがたく、」
「お断りします」
二の句も告げない妻の冷淡な声。
しかし、不思議と嫌悪も憎悪もなく、ただただ凪いだ声だった。
「今さら旦那様と閨を共にする必要がありません」
「だ、だが!女性にだって性欲はあるだろう。ようやく女の悦びを知ることができ、なおかつこの私が相手をするといっているのだ。喜ぶべきだろう」
「確かに性欲はありますが、そういう時は男娼を呼んでいますので。あ、ちなみに一線は越えていませんので万が一にも孕むことはありません。ご心配なく」
「なっ!?不貞ではないか!!」
「…確かに世間一般的にはそうでしょうけど、旦那様にいわれましても」
初夜をすっぽかし愛人と生活を共にしていた男に妻を責める資格はない。
「男娼に任せているのにわざわざ旦那様に相手をしてもらう必要はありません。妊娠出産で領地経営を疎かにしたくもありません。万が一出産で私が死んでは義両親が困るでしょうし」
「領地経営!?」
「私は旦那様の代わりに侯爵家当主の仕事を行う代理人です。お義父様からの引継ぎはほぼ完了しています。旦那様が子どもを連れてきてくだされば教育し、お義父様と共に立派な後継者に育てるつもりです」
「な、な、」
「あ、子どもを引き取ることを考えれば娼婦の方が都合がいいかもしれませんね。お金を積めばうまいことやってくれそうです。お義父様に相談しなくては」
「わ、私たちがやり直す道はないのか?」
思わず妻へ手を伸ばす夫に、彼女はパチクリと瞬きをする。
「やり直すも何も、私たちは始まっていません。始める気がなかったのは旦那様です」
商談があるからと妻が去っていく。
去り際に、「子どもはできれば三人ほどお願いします」と残して。
近くにいた執事らしき男に何かやることはないか尋ねたが、大変遠回しに『素人が勝手をすると邪魔でしかない。とっととどっかに行ってくれ』と告げられてしまった。
この調子では、両親に会いに行っても息子を歓迎してはくれないだろう。何せ嫁に引継ぎを済ませてしまったのだ。
何をいわれるのか、失望されるのか、それとも、妻と同じようにただただ無関心な目を向けられるのか。
血の繋がった実の両親からも見放されるのは怖かった。
誰も、自分を必要としていない。
することがない。
寂しい。
虚しい。
男は目の前が真っ暗になった気がした。
「あらまあ、旦那様は心の病にかかってしまったの?」
「どうやらそのようです。大奥様から、息子は療養させると連絡がありました」
「それでは旦那様の子どもは難しそうね。どこか分家から養子を迎えないと。近々お義父様にご相談させてくださいと連絡してちょうだい」
「かしこまりました」
「私を拒絶せず、政略結婚を受け入れていればこんなことにはならなかったでしょうに」
少なくとも、閨を共にしないのは致命的だった。
妻としては最初から夫を拒絶するつもりもなく、最低限の礼節さえ持ってもらえれば愛人くらい許したし、交流さえ持ってくれればお飾りになるだろうが居場所くらい用意できたのに。
そもそもこの結婚は、一人息子がボンクラであると理解していた侯爵夫妻が才女と名高い女性に息子の代わりをお願いしたことで成立した。
彼女としても、男尊女卑の強い社会で女性のできることは限られていて、侯爵の後ろ楯のもとずっと興味のあった領地経営ができるのは大変喜ばしかった。
侯爵家の領地は広大だが、その税収のほとんどを鉱山によって賄っていた。しかし、近年採掘量が減り、鉱物が尽きかけていることが発覚した。
たとえ次期侯爵が少々ボンクラでも、鉱山収入さえあれば一代くらいならばなんとかなる予定だったのがとんだ誤算である。
しかし、ボンクラ息子の嫁の実家が農耕が盛んな領地だったことが幸いして、彼女の実家のノウハウを取り入れつつ牧畜にも手を出して傾き始めていた侯爵家は持ち直し、安定した税収を確保した。
鉱山ばかりに頼っていたので他はいくらでも手のつけようがあったのだ。
(やるべきことが山ほどあって、充実した毎日だったわ)
一番困ったのは、結婚当初、夫とその愛人の散財をどう処理すべきか悩んだことか。
借家や観劇ならまだしも高価な衣服や装飾品を買い漁られたのにはさすがに困った。
当時侯爵家の内情は火の車だったので本邸のものを売り払ってなんとか資金を確保した。農耕の道具を先行投資したかったのにあれは痛い出費だった。
「お嬢様、休憩しましょう」
「もう、何度いえば分かるの。結婚したのだから私は奥様でしょう」
「俺はあいつを認めてませんので」
昔馴染みの執事がテーブルにティーカップを置き、そのままおろしたままにしていた髪の一房に触れる。
「男娼など呼ばなくとも、俺がお相手しますのに」
「いやよ。…あなたが相手だと、きっと一線を越えたくなるもの」
「はあ。あの男を羨むべきか哀れむべきか迷いますね。あなたの夫でありながらその赤く染まる頬も、愛らしい笑顔も見たことがないなんて」
「あら、私旦那様の前で笑ったこともなかったのかしら」
「俺が知る限りは一度も」
紙切れ一枚の関係とはいえ、互いを知らなすぎる夫婦だ。妻とて、夫の不機嫌な顔や怒った顔しか見たことがない。そして、これから先もそれ以外を見ることはないだろう。
「お嬢様、もう領地は立て直せました。大災害が来ない限り税収は上がる一方でしょう。そして養子を迎えれば、多少自由な時間を過ごしても侯爵様はお許しになるのではないでしょうか」
「多少で済むかしら?」
「そこは気を付けます。万が一子どもができたら俺の実家で一度引き取って、この家の家令に育て上げましょう。侯爵家はあなたに恩があります。少々の無茶は通してくれるはずです」
「ふふ、頑張った私へのご褒美が大きすぎるわ。今なら何でもできそうよ。まずは養子探しからね」
仲睦まじく笑い合う二人。
彼らの頭の中のどこにも、夫であり主人であったはずの男の姿は欠片も存在しないのであった。
難しいことは嫁に任せて自分は愛人と自由に生きるんだ!って、実際に実現したら何するの?飽きない?と思いまして。