クトゥルー神話 インスマス面
クトゥルー神話についてはWikiに詳しいですよ。
「クトゥルー神話 インスマス面」
そう、あれは私が忘れたいと願い続けていた記憶だ。だが全てを忘却の彼方に追いやるには私は小賢し過ぎた。今でも反芻し続ける悪夢にうなされ飛び起きることがある。それでも生き永らえてきたのは、全ては夢だからと己を誤魔化してきたからに尽きる。しかし、夜は明けてしまった。白日の下で未だ消えない悪夢を直視した時、人はどうすればいいのだろうか?
全ては十年前に始まった。赤霧大学の院生だった私は、比較考古学の研究室に所属していた。担当教授はこの世界では知られた稗田礼二郎先生であり、海外出張で席を空けがちな教授に変わって最上級学年だった私と、もう一人、同学年の宗像がそこでの活動を仕切ることが多かった。我々は共に良い友人であり、毎日のように互いの家を訪ねては学術上の議論を戦わせたものである。
冬が近づくとこの地方では濃霧が立ち込める。それが朝夕の陽を受けて血のように赤く染まる光景は酷くゾッとするものであり、禍々しい気配を感じずにはいられなかったものだ。その日も朝から霧が立ち込め始めており、身を震わせながら急ぎ足で研究室に入った私は、机の上に何かの小包が置かれているのに気付いた。少し遅れて入ってきた宗像も同じ小包に目を留める。他の学生達がやって来るまではまだまだ時間がある。我々が早すぎたのだ。
おもむろに宗像がその包装に手をかけた。私は暫し逡巡した後、良心よりも知的好奇心に従い沈黙を守ることにした。完全に包装が取り去られ中の箱が開かれると一枚の面と書簡が入っているのが見えた。
面を取り上げた宗像に倣い、私は書簡を取り上げ目を通した。それによれば、この面は米国のインスマスという地域で出土した物であり、宗教的な意味を持っていたと考えられているということだった。送り主はミスカトニック大学とある。どうやら彼らは稗田教授にその真偽を鑑定して貰いたいと欲しているようだ。折悪しく、教授は東北で見つかった「ぱらいそ」なる奇妙な史跡の調査に出かけており、はたして何時になれば戻るかは分からなかった。
私は宗像から書簡の代わりに面を受け取ると食い入るように見詰めた。それは人間というよりも両生類を模した物と思われた。目と目の間が異様に開いており所謂エラが張った輪郭をしている。全体が鮮やかな深青色に彩色されているのも珍しい。私は今まで数多くの異文化についての資料に目を通して来たが、形状・形態共にそのどれともまるで似つかないのが大きく興味をそそった。
その日は、後から学生が多数入ってきた為に、それ以上を調べるのは不可能だったが後日詳細に分析する事を強く誓ったのである。
さっそくその翌日から、私は学内の書庫に立ち入りあの面について言及している資料を探す事にした。手始めにインスマスという地域についての文献を洗い出してみたが、幾つかの資料に2、3行を割いた記述があるのみで大きな収穫は得られなかった。
とは言え、分かった事実も多少はあり、かつてそこに在った港湾都市が如何にして発展し衰退したかについての概要を掴む事が出来た。それによれば、近代に入りこの都市は産業の高度化に取り残された挙句に人口の大量流出を招いて終焉を迎えたらしい。特に興味深いと感じたのは、そこでは独自の信仰が発展していたとの一文であった。
レヴィ=ストロースの主張に知られるように、土着信仰はある種の類型を持つのが一般的である。しかしながら、その項に付されていた図版は全くもって常軌から逸した光景を克明に捉えていた。中央には頭部が蛸型の祭司が描かれ、その周囲を例の面と寸部違わぬ面相の男達が取り囲んでいる。それぞれの人相を見比べるうちに、私は描かれている教徒達が2種類に分けられる事に思い至った。というのも、彼らは一様な面相をしている訳であるが、何人かは件の面を着けて参加しているようなのだ。それが何を意味するかは、この時点で私の窺い知る所ではなかったと今のうちに諸氏に強く主張したいと思う。
尚も丹念にその図版を眺めていたところ、擦れてかなり読みにくくなっていたものの縁の部分にCthulhuという文字列を判別することが出来た。クトゥルフ、もしくはクトゥルーと発音するのが正しいのだろうか、何れにしろ貴重な手がかりに違いはない。そこで私は同語を基に調査を再開した。
赤霧大学は戦後、進駐軍によって接収され出版物に対する検閲本部が置かれた歴史がある。同機関では同時に我が国の史観に対するある種の矯正が実施されており、歴史的に重要な書物の数々が集められた。その多くは、未だ整理されずに書庫に眠り続けている。
私は当たりをつけると奥の棚から関連していそうな資料を全て抱え込んで来た。特に私が着目したのは明治期に著された物である。というのも、これ程に奇怪な風習ならば間違いなく目立っていただろうし、むしろ昔の方が噂になっただろう。それが風説の形で遠くこの国にも伝来していた可能性があったからだ。果たして、「ネクロノミコン写本」と銘打たれた手書きの古書にクトゥルーについての記述がみつかった。そこで目にした異形の神々の伝承については多くを語るまい。問題の面については「かの写し身を用いて眷属と並び立てり」とだけ簡潔にあった。そして、私はそれだけで十分だった。全ての資料を元あった場所に戻すと席を立った。言葉に出来ない違和感を抱えながら。
ああ、あの時に私は気付くべきだったのだ。長年に渡り人目に触れてこなかった筈の古書から埃が払われていた事に!あたかも、つい先程まで誰かに読まれたかのように容易に項が開いた事に!
深夜遅く、構内が静まり返ったのを確認すると私は研究室に忍び込んだ。どうしても確認したくなったのだ、例の面の効力を。後数時間もすれば早くも日が昇ってくるだろう、それまでに全てを終わらせなければならない。不思議なことに研究室の扉は鍵が掛かっておらず、用意してきたバールのようなものを使用せずに済んだのは幸いだった。物音を立てずに目的の物が仕舞われている戸棚を空ける。しかし、本来面が置かれているはずのそこは空白だった。
いぶかしむ私は室内を見渡した。その時、暗闇に慣れた眼球が部屋の片隅に向かってうずくまっている人間を捉えたのである。
その瞬間の私の驚き様といったら!傍から見ていたならば噴き出さずにはいられない程の滑稽な様だったろう。しかし、私は何とか落ち着きを取り戻すと改めてその人影に向き直った。微塵も動こうとしないそれに、そろりそろりと近づいていく。すると、唐突にその頭が回転しこちらを向いた。またも驚いたことに、その人物は例の面を装着していた。私はくぐもった悲鳴を上げたが、無意識的に足は前に進んでしまっている。目前にその姿が迫った時だった、私はその人物が宗像であることに気がついた。少しだけホッとする。悪質な冗談に腹が立ったので、彼に呼びかける声が荒立ったのも無理からぬことであろう。それに触発されてか否かは確かめようもないが、彼は弾かれたように身を翻すと、野獣の如き動きで私に飛び掛ってきた。
押し倒された私は、万力と紛う程の怪力で頬に食い込むその手を振り払おうと無我夢中で抵抗した。口中が血の鉄臭い味で満たされる。頭の中を危険を告げるサイレンが鳴り続けていた。だが幾ら足掻こうともその力が弛むことはなかった。だが、その拍子に面に手が掛かった。すると何ということだろう、その面は脈動していた!まるで生皮のように!膨れ上がる恐怖に一層手足をバタつかせる。咄嗟に手に触れた何かを掴むと私は一心不乱に振るった。それは入室した際に投げ捨てておいたバールのようなものであった。これには流石に怯んだのであろう、宗像が手を放し離れる。その隙に脱兎の如く逃げ出したのである。
研究室を這い出ると振り返らずに研究棟を飛び出した。一寸遅れて宗像が追い駆けてくる。恐慌をきたした私は息も絶え絶えになり倒れる寸前であったことを告白せねばなるまい。
外は日が昇り始めており朝の靄が血を浴びた様に染まっていた。薄暗さと相まって数歩先までしか見通せない中を手探りで駆ける。だが、遂に、私は追いつかれてしまった。日の光で見る宗像は到底人間とは思えなかった。面は半ば顔と同化しており呼吸に合わせて頬が膨らむ。その口から発される呼気の生臭さもあり、あまりの醜悪さに吐気がした。じりじりと後退りするものの、足が池に浸かったことで最早後退の術が無いことは明らかだった。
地獄の底から響くような声がした。声は宗像の口から洩れ出ており「いあ!いあ!くとぅるふ ふたぐん!!」と聞こえる。それは邪なる神への賛美歌なのか、耐え切れぬ嫌悪感に私の全身の毛は一斉に逆立った。喰らおうとでもいうのか、宗像は大きく口を開く。魔女の釜の底の様な口中で上下両面にビッシリと生えた牙が朝の光を受け輝いていた。観念した私は思わず目を瞑る。だが、不可解にも最後の一瞬は訪れなかった。薄っすらと目を開くと、宗像が口を閉じ狼狽しているのが分かった。その視線の先を見て合点がいった。彼は朝日によって池の水面に映し出された己の姿に衝撃を受けていたのである。数瞬の後、酷く悲しそうな眼をして私を見詰めると、意を決したように大きく跳躍して池に飛び込んだ。
これが私の見た人間・宗像の最後の姿であった。数日後、調査から帰ってきた稗田教授に事の顛末を告げたところ、何もかもを見通したかの様な表情で「残念だ」とだけ返された。今もってそれが宗像についてか、それとも面を失ったことに対する返答なのかは判別出来ずにいる。
宗像の失踪は、よくある学生の無断中退として処理された。これは、彼が当世風に言う所の腐れ大学生だった点から判断されたのである。後日になって郷里から彼の両親が探しに来たが、私は真実を伝えることが出来なかった。必死に身を縮こまらせて息子の行方を尋ねる彼らに、ただただ「きっと元気ですよ」と励ます言葉が我ながら空虚に響いたのを覚えている。そして、私は逃げるように大学を出た。
あれから十年が過ぎた。先日私は久しぶりに母校を訪れた。卒業後つとめて母校を避けるようにしていたが、現在手がけている仕事に必要な資料がそこにしかなかったのである。ついでに心懸かりだった宗像の行方も調べてみることにした。ついで、と断ってはいるものの私はあの事を一度足りとも忘れ得たことはなく、むしろそれが今回の訪問を強いたのやもしれぬ。学生課に行くと無理を言って学生名簿を見せてもらう。そこで私は奇妙な事実に目を留めた。宗像がいなくなった年から現在にかけて、この大学の無断中退者数が倍増しているのである。担当員に尋ねてみても、彼らの消息は不明だという。ただ、幾ら調べてみても何も出てこないので事件性なしと判断され表に出ていないのだと告白された。
帰り際、最後に宗像を目にした池の辺に立った。この池は大学に面しているが県下最大の池の一部である。消えた学生達はこの池の何処かで浮かんでいるのだろうかと想像してみる。そして、頭を振って馬鹿なと打ち消した。警察が「事件性なし」と判断した以上はその通りなのだろう。私は踵を返す。夕方からの急激な冷え込みのせいか、丁度池のほうから霧が立ち昇ってきていた。濃霧は夕陽を受けて血のように赤々と燃えている。最後にチラリと振り返った時、心臓が止まるかと思った。
池の奥に、かすかにあの面が見えた気がしたからだ。そして、何処からか聞こえるあの歌が鼓膜を揺らす。
いあ!いあ!くとぅるふ ふたぐん!!
いあ!いあ!
いあ!
[完]
本物の稗田先生はもっと紳士