一老人の若き日の出合い・お見合い日記(妄想老人青春日記より) 小夜物語 第89話(改訂版)
どこにでもいるような、、、平凡で、そして、、無名な、、一老人が問わず語りに語る出会いとお見合いの昔話が始まります。
当時(およそ50年前)、、、私は仕事柄、男ばっかりの仕事環境でして、、、
職場に女性という存在がいないんですよ、
平日は、、、、出勤→車で通勤→仕事→帰宅して寝る、、その繰り返しだけでしたね。
で、、25歳過ぎて結婚願望があるし、、
出合いを求めて「お見合い」を選択するしかありませんでしたね
当時は「合コン」なんて、そんなの、ないしね。
出合いの場が当時は、ほぼ、ありませんでしたね。
私ですか?
私は、、当時は、若いころの陣内孝則に似てる?とよく人から言われていましたね。
若いころの逸見政孝さんにも似てる?とも言われたこともあります。
それにしても、、、、
70過ぎていまさらこんな若き日の出合いだとか、お見合い話を
ノスタルジックに?振り返ってみても、、、なーーー-んの意味もないだろうけど、、
まあ、、老人の戯言だということで
お暇でしたら、、お付き合いくださいませ。
まあ、こんなむかしがたりも、、
若い人々の何かの人生勉強か結婚相手選択の参考?にでもなれば幸いですよ。
そうはいってみても?
でも今から50年も前の出合いとかお見合い話なんか
今の若い人には何の参考にも、、まあ、、たぶん?ならんでしょうけどね。
「じゃあ、語るなよ」、、というお声がどっかから聞こえてきそうですが
そこは、それ、、、
老人の、「戯言」?だということでお許しくださいませ。
振り返るといってみても、、だいぶ記憶が薄弱で、、
とぎれとぎれで、、、、、
というか、、きっと10分の1も覚えてはいない。
そういうわけで以下のオハナシはかなり
というか大部分?
脚色(妄想)翻案??されているってことを最初にお断りしておきますよ。
「話半分」どころか
「話10分の1」で聞いてくださいませ。
あるいは、もっと、はっきり言ってしまうと、、
完全なフィクションとして聞いてくださいませ。
というか、、、、「完全なフィクション(創作)なのです」
まあなんというか、、、
一つのファンタジーとしてお読みくださいませ。
なお、、以下の文中に、一部、放言、言い過ぎなどが、あるやもしれませんが、どうか、
市井の無名の一老人の、たわごととして、お許しくださいませ。
それでは、、、、、、、、、、、、、、、始めます、。
そもそも、、、、私が最初の紹介というか、お見合いをしたのは、、えーと、
25歳のころだったろうかな??
そのお相手の人はなんでも県内の某有名進学女子高の卒業で
都内の某大学卒業で申し分ない条件でしたね。
私も一応は、、、某有名?大学卒なので学歴は会いますよね?
その人は現在は何か小さな会社の事務?をしてるのだとか?
大学まで出て、、事務員?
まあ、、、そんな物なんでしょうね?
指定場所は電車で1時間くらいの都市でした。
私はそこまで電車で行き、、、、
お見合い当日は指定された民芸喫茶でして、現れたのは髪を結いあげた?
薄紗で青色のブラウスの私と同い年の25歳?(23だったかもしれない?)の女性でした。
顔立ちは、ほそおもてで、古風なというか、、、上品な?
襟足がきれいでした。お顔は、、、そうですね今でいえば、吉岡里穂??
背が少し小さかったと、きおくしています。155センチくらい?
わたし179センチですから、、物足りない?
でも、、まあ平凡な顔立ちでした、可も無し、不可もなし、?
父親は東電社員だとか言っていた記憶がうっすらとありますね。
今はもう何を話したのか全く覚えていませんが
ひと時話して、、それでそこで、別れました、
声も普通
話もふつう
とくに弾んだということも無し
世間話ですね。でも初回にあっただけでいきなり恋愛感情??ってありえないでしょ?
ひとめぼれ?ってお見合いであるんでしょうか?
で?若かった短慮の?私は、、、
次回の約束もせずに、、、、、
というのは勇気がなかった???ということです。
「結婚したい」、、という気にはなれませんでした、その時は。
この女性と結婚生活をするという盛上がり感?が湧いてこないのです。
つまりゲスな表現で、もうしわけないのですが、、、
「抱く気になれない」、、という素直な私のその時の感情でしたね。
嫌だから?抱けない、、というのではなくて、、
処女っぽさ感?が半端なかったので、、という意味ですけどね。
この女性とこれから一生、共に暮らす
毎日、セックスして??体の付き合いをして、、、
そしてこの女性のこれからの全人生を無条件で引き受ける?
どんな病気。災難、事件が起こるかもしれない
今後の結婚生活に何が起こるか全くわからない
この人が?本当に私の生涯の「妻」?なのだろうか?
この人が?運命の人なのだろうか?
この人が私のシンデレラなのだろうか????
でも?
この女性、もしかしたら早死にかもしれない
どんな子供が生まれてくるかわからない
それらを全部ひっくるめてこの女性とこれから何十年も共に暮らす。
それが結婚でしょう?
そういう風に重く考えたら?まあ結婚なんて永久にできないでしょうけどね。
今この年齢になってみたらわかりますが、、、、
50年前の若い私には
そんな勇気?が、、、、私には、、、とても、、、もてませんでした。
二人の未来がどうなるのか全く分からない
それでも恋に目がくらんだ二人であるならば、結婚という人生最大の賭けに身を投ずるだろう、、、。
恋愛という「神の偽計」?があれば人は喜んで結婚に飛び込んでゆくのでしょう、、?
でも?
ことは、、、お見合いです、冷静なんです、恋愛感情もありません?
なのに?なぜ結婚というアブナイ賭けを、しなければならないのでしょうか?
ただ一度のお見合いで、、そんな賭けをする勇気ができなかった
見ず知らずのこの女性と一生を共にする???
出来ませんよね??
それが本当のところだったのでしょうね?
これは相手(女性側)にとっても思いはおそらく、私と全く同じで、、
つまり、結婚とは賭け(ギャンブル?)だということです。
大恋愛のすえに結婚しても、、その先もずっと大幸福だとは、わからないからです。
でも?そのころの青二才の、、、
若い私には、、人生の真相・結婚の真実なんて、なんにもわかっていなかったということです。
今なら、、わかります
一切の人生の選択は、、すべて正しかったのだ、、ということがね。
貴方の選択は正しかった。例えばその結婚がのちに大失敗?だったと分かったとしてもね。
それが人生というものだからです。
それ以外に、、人生はないからです。
さあ
しり込みしないで、、選ぶのです。
あなたの直感を信じて
それが良いと感じたら
迷わずに
あなたの前に差し出されたその籤を引くのです。
それが、、それのみが 人生だからです。
人生はそもそもが、、ギャンブルのようなモノです。
結婚だけが賭けなのではないのです。
さて、、、、、、、、、、
結婚とは70過ぎた今から思えばそれって、理論ではないですよね?
たとえば、、、
理屈でこの人は良い人(女性)だと言われても
相性というか、、つまり体ではなじめない?ってあるでしょ、
なんせこれから何十年も一緒にそれこそ「体の付き合い」をしてゆくわけですから。
理屈や計算じゃあないですよ。結婚って。。
体と気持ちがその女とやってゆけるかどうか、、それが一番でしょうね。
その逆もそうでしょうね。女性側から見てもね。男が体質的に生理的に、受け入れられないってあるでしょう?
いくら周囲があなたの相手は、いい男だよって言ってもね。
でも、その人は印象は悪くない女性でした
気品もあって、頭も良さそうで、
決して嫌いなタイプじゃアなかったです。
というか、、、好印象でしたね
今の女優で、、しいて、いえば、、、そうですね、、、
土屋太鳳とか、吉岡里穂に似ていましたね。????
まあ私には十分な女性でしたでしょうね
今にして思えば、、、でも当時の私にはそこまでの判断がつかなかった、、ということです。
あえて付言すれば、この女性については、私の最初のお見合い体験であり、、また、、50年も前のことでもあり
かなり?美化?されている可能性もあるかもしれませんが、、、。
その後1週間ほどして、仲人さんを通して
相手が「会いたい」と言ってきたそうです。
交際に前向きだということでしょう。
でも私はあまり気乗りしなかったので丁重にお断りしました。
いまいち踏み切れない
というかもっと良い人がそのうちにあらわれるんじゃないか、
という若気の至りの短慮というか、、そういう淡い希望的観測?もあったでしょうね、、、たぶん?
だって私は、まだ25歳ですよ、
たった一度のお見合いで即決?
それは若すぎた私にはとても、、できませんでしたね
仲人さんは、、、、、、、、、、、、
「そうですか?でもいきなり好きにならなくっても、もしもお嫌いじゃアなかったら、
これからゆっくりと交際していってから恋をはぐくんでいかれたらいいじゃありませんか?」
これって実に名言ですよね?
今、、この年になればよーくわかりますよ。
そのとおりだと思いますもの。
いきなりあって即恋愛?ムリでしょう?
なんとなく合う?この人と一緒にいたい?と思えるようならばまずは付き合って、、、交際して
ゆっくりと、好きになってゆけばいいだけの話?じゃあないですか、、っていう、、
まあこれって真実ですよね?
お見合いは単なるきっかけ、、そこから出会って。それから、二人が恋してゆけばいいだけのハナシ。
まさに名言ですよね。
そういうわけで、、、
今思えばこの人と付き合って、次第に恋愛感情が芽生えて?そしてめでたく、結婚すべきだったのでしょうね?おそらく。
というのは、、、、、、、これ以降の10数回の出合いやお見合いでは、この人以上の女性は、ついに、、
私の前には現れなかったからです、
ことわざに、、「最初にひいた籤が最高の籤」というのがあります。
まさにそうだったということです
今にして思えば、、。
私はおろかにも?
若気の至りで
この籤を掴み損ねてしまったのです?
この女性、、今は生きてるんでしょうか?
生きてれば私同様に、70歳は超えています。、
でも、、
まあ、これって、、ほんと余計なお世話ですよね?
たった一度のお見合い相手に、、お前がなんの権限があるんだよ?
そうです、こんなその後の
「あの人は今?」などというその後の人生を推量したって何の意味もありませんよね。
全く無意味で、そして、、、無駄なことなのです
さて、、、、、、
次に私は、市のお見合いサービスに登録しました。
結婚する気は大いにあったからです。
といっても田舎のちっぽけな市ですよ。
一度そこへ行って登録者名簿みたいのを見せてもらったことがありましたね。
係の人から数十人の女性の登録票・写真付き。を見せてもらいました。
「お見合い希望がありましたら、、申し出てください」
という係員の方のオハナシ、、、。
でも、、
まあ写真と釣り書きだけですけどパラパラめくってみても、
ほぼ、、、、ほぼ、が
高卒で、、工場勤務、製造業、販売員の女性たちでした、家事手伝いもいました。
添付写真のお顔も皆さん、
ごくありきたりな?と言ったら叱られるでしょうが
いかにも、田舎の泥くさい、女性たちばかりでしたね。
第一印象というのがあるじゃないですか?
写真見れば大体わかりますよね?
その人のプロファイルって。
やっと3流高校出て?、、工場で現場作業。
そういう女性たちばっかりでしたね。
ハッとするような美人や才女がこんな田舎にいるわけもない
いたとしてもこんな市のお見合いセンターに登録するわけもない、
そんなことわかってますよ。私だって。
そんな、過度の期待など私だって最初からしてませんよ、
こんな田舎町の結婚サービスにたいして、、、、、。
でも?それにしてもひどすぎる?
程度が、、レベルが、、あまりにも、低すぎますよ、
(ちょっと、おい、おい、まてよ?お前さあ、そんなにいえるほどさあ、
お前ってそんなに好青年で。好条件の男だったのか???)
私は結局その一回、見に行っただけで、
その後そこに行ったことはありませんでしたね。
さて、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
その後しばらくして仲人さんから何件か
紹介されました。
「あうだけでもあってみては?
会わなきゃあ始まらないでしょ」
というお勧めで、、
そのご1~2年の間に、、、、、
何人かの女性と、あうことにしました。たぶん5~6人だったと思います。
ほとんど忘れましたが、、
憶えてるケースだけを記しますと、、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
その
ひとりは看護婦をしていて、年齢は私より1~2才、年上だったか?高卒です。
その人とは仲人宅で会いましたが、、記憶に残るような
特に印象はありませんでした。顔も今では覚えていません、
その後私の車でドライブ、、
当時、私は真っ白いギャラン・シグマ・エテルナ、、という、結構かっこいい?車に乗っていまして、、、
それでドライブするのがまあ唯一の気晴らしでしたね。
で、、その車で行ったんですが、、
なんとドライブ中に、、、
ソーカの会員だということを自分からおっしゃって
さらに、、勧誘めいたことも言われたので、、、
わたしはそれだけで、、「完全に引いてしまった」ことだけが鮮明に今でも覚えています。
結婚したらソーカの会員に、おれもなるのか??
もちろんお断りを、、その後、仲人さんを通じて入れました。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
次に覚えているのは、、
学校事務員をされている人でした、
坂道の下のしゃれた喫茶店で会いましたが
紫のゆったりしたブラウスを着た人でしたね
小太りです。中肉中背で、
某女子短大を出ているそうです。
年は私よりも2歳ほど下でしたが、おなじ中学の卒業生で2年後輩のようですが
学校やそのころの教員の話で盛り上がった?ことを今でもうっすらと?
憶えていますね。
もちろんこの人とは初対面です。中学時代にあった記憶はありません。
結構マンモス中学で1学年7クラスもあったので、私も彼女も中学時代に合った記憶はないです。
タダそれよりも、、私が今でも強く覚えているのは、
彼女の気になる体臭でした。
香水じゃあないです。体臭です。
喫茶店で分れて、、次回の約束もせずに
その後彼女からも連絡もなく、、たった一回、
それで終わりました、、、、、、、、、、、。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
次に逢った人は、、
とくにどうこう言う?人ではありませんでしたが
待ち合わせ場所に、、なんとお友達の女性と連れ立ってきたのです。
女子高卒です、どっかの事務をしているそうです。
御当人はすっきりした体形でしたがお友達はころころ小太りな女性でしたね。
まさか二人来るとは思ってなかったのでビックリしていると、
お友達は「じゃあ私はこれで帰るわ」とか言ってそそくさと帰ってゆきましたが、、
その後私たちは私の車でドライブにでかけて、レストランでコーヒーを呑み
しばしドライブ、
私の車(真っ白いギャラン・シグマ・エテルナ)(だと思うのですが記憶違いかもしれません)で彼女の家まで送ってゆきました、
その間にこれといった会話もありませんでしたね
なんかレベルが違いすぎて、、、会話にならないからです
でも、ドライブ中に特におかしな話題でもないのに突然急に笑い出したり
こいつおかしいんじゃないのか?って感じでしたね。今思えば女性心理?だったのでしょうか?
家に着くと、
「良かったら寄ってって」というので寄ると
すごいキタナイぼろ屋で、その印象がすごく残っていますね。
私はお茶いっぱい頂いてすぐ辞去しました、
その後しばらくして仲人さんを通じて会いたい、交際したいという伝言がありましたが
私は断りました。
彼女は周辺高卒で、いかにも頭が悪そうな子でした。
仕事は?事務??聞いたかもしれませんが、、覚えていません。
お顔は十人並みで体形はすらりとしていました、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
そんなこんなで1年がたちました。26才、、、まだ私は独身のままでした
私の理想が高すぎた?
それとも見合いになんか来る女性にはそもそもロクなのがいない???
ああそれにしてもこれらの女性たち
その後どんな人生を送り、、、そして、、、
今も生きてるのだろうか?
オイオイ、おまえさあ、さっきも言ったよな。
たった一度見合いしただけのあんたになんの関係もないってさあ。
余計なお世話なんだよ。
これらの女性がその後どう人生を送ろうと勝手だろ?
ほんとにさあ。
さて?
これ以上書いてみてもどうでしょうか?
これ以上こんなケースをだらだと?書き続けてみても、、、
じゃあ
もうやめましょうか?
つまらないでしょう?
読む方にしてみても、、、
というわけで、、
あまり意味がないと思いますので
ここらで突然ですが
唐突ですが、
終わりにしたいと思います。???
それでは、、ごきげんよう。
また逢う日まで
これで、、、、、、、
終わり ????
、、、、、、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、
ちょっと待てよ。こんな尻切れトンボでいいのか?
けりをつけろよ。
そういうことであるのなら、、、
まあ
思い直して、気を取り直して、、?始めましょうか?再び?
余りにも唐突なオワリ方ではひんしゅくものですよね?
じゃあ、、、、再開します。よろしく、、、
というわけで?
その後
26歳以降、くらいからの数年間のお見合いというか紹介というか
出合いというか、、、、、、
先程の続きを、、、、覚えてるものだけを、、
ざっと、、いくつか書いてみます。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
その人は、、、
なんというのか小悪魔的な、、というとほめすぎかな?
そういうちょっとした色気のある人でしたね
といっても商売人 (ウオータービジネス)ではないです
確か?地方公務員?だったと記憶しています。短大卒?
でも紹介されて初めて喫茶店であったときには私の向かいにではなくて
なんとすぐ横に座ったのには度肝を抜かれました。
私はうぶでしたので??
ドキドキものでしたよ。
上目遣いで横から私を見あげる、、
声の調子も猫なで声になって、、、、
誘えば?そのままホテルへ??という雰囲気さえ感じましたね。
何か危険なものを感じてその人とは、二度と会うことはありませんでした。
風貌はまさに、メギツネ顔でした。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
さて、、、、、、、、、、、、、
次に覚えてるのは、、
小学校の教師をしてる人でした。
顔はよく言えば今の壇蜜さんに似てる?
ほめすぎかな?
体形もグラマラスでしたね、胸もお尻も大きくて、
顔は童顔で?声がすごい、ハスキーでかわいらしい声でした。
なんでも実家は隣県のお寺だそうで、すごい金持ち寺?だそうです。
箱入りのお嬢さまという感じで世間擦れしていない人でした。
すごい私のタイプでしたが、、、
その後、数回の交際で、けっこう相性も良かった?と思うのですが?
実家のお寺に行ったことはありません。というのは彼女は実家から離れてアパート暮らしていたからです。
ある日、向こうから丁重に断られてしまいました。
理由は?
私にわかるわけもありませんよね。
でも風の頼りに聞いたところでは、、
なんでもお寺の跡継ぎを求めていたらしいのです。
私にはできませんよね?
だから、、、、、らしいです。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
そしてお次は、、
すごい背が小さい人でした
たぶん150センチにも満たないくらい??
今なら女性でも普通160センチ以上はありますよね?
私は結構上背はありますので
まさに、、並べば、、
「チッチとサリー」です
わたしの胸までもありません。
顔は童顔で、イルカという歌手に似てました、オハナシしても特に愛想もなくて、
まあ漫画的には面白いですが、、、
実際の結婚となると、この身長差はどうでしょうか?
恋愛結婚ならOKでもことは「お見合い」ですから。
不釣り合いですよね?
彼女は、、幼稚園勤務だそうです
この人とは数回の交際で終わりました。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
お次は、、、、
小学校の養護教諭をしてる人でした。
小泉今日子、似の?かわいい人でした。
その人の自宅にも行ったことがあるんですが一人っ子?だとばっかり思っていました。
自宅というのは市中にあって父親は某建設会社の重役だそうでした。
総ヒノキ造りの、三州瓦葺のすごい豪邸でしたね
家の広い部屋にはピアノも置いてありました。
この人とは数回のお付き合いをしましたが
その過程でやがて分ったことは、、実は、、、
なんでも妹がいて
重度の障碍者だそうでした。
今は施設に入っていて自宅には全く帰ってきませんが
将来的に自分が面倒みるといっていましたね
人間的に未熟な私にはそんなお役目はとても背負えずに、、、、、
交際はそこで終わりました。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
お次は
骨太の、、いかついような体系の女性でした。
背もそれほどはなく155センチくらい?
顔も頬骨がエラが張っていて、男性っぽい人でしたね。
とても華奢な??とは言えない女性でした。
25~26才くらい、、
なんでも小学校の体育教師だそうです。
笑い方が何か下品で?とてもつきあえるような相手ではなかったと記憶しています。
こういうオトコっぽい女性は私はダメですね
25歳頃からその時点で3年たっていました
ざっと以上の出合いで私もすでに28歳を超えていました。
以上記した具体例以外にも
出合いというかお見合いが多数?あったと思うのですが
何しろ仲人おばさんに妙に気にいられて次から次に持ってくるんですよ。
わたしもこれも経験だということで全部見合いしたので、
「見つかるまでお世話しますよ」 という仲人おばさんの気力に圧倒されて、
結構有名な老舗和菓子屋さんの娘さんという人と出会ったこともありました
何か優雅な感じの人でしたね。何度か交際がありました。
が、、、、しばらくして、、、、、自然に終わりました、
次は私が住んでいたアパートの大屋さんの娘さんというのを
紹介されたこともありましたね。大屋さんのおばさんからですよ、。
あまり乗り気しなかったことだけ覚えていますね、
どんな女性だったかは全く記憶にありませんね。
お次は
かなりさかのぼりますが、、大学時代に付き合っていた女性を思い出しました。
ゼミが一緒で仲良くなり、、友達程度で、まあでもそれ以上の深い関係にはなれませんでしたがね。
ポニーテールのほそおもての娘さんでした。
ああそうです。
さらに追加で思い出しました
職場の上司の方から「○君、この娘さんと逢ってみないかね?」と言われたこともありましたね
写真も見せられて、、、。でも写真の記憶もとくにはありません。
なんでも、、私の職業(職種)の男性と結婚したいのだとか?
「じゃあ職種だけ同じだったら、誰だっていいのかよ?」って言いたくもなりますが
そこは仕方なくあうことに。。。
仕方なくあったという記憶だけで、、どんな女性だったか、、全く記憶にありません。
さて、、、、、、、、、、、、
そうして、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
これといって相手も見つからずこのままで独身かと思われたときでした。
今の妻と偶然、とあるところで出会いました。
おそらく、、、神はおろかな私にも最後のラッキー籤を残しておいてくれたんでしょうね?
そして今度は私も賢明に?その籤を引いたのです。
どう、出あったか?どういう女性かは
此の際あえてここには述べません。
言えばどうこう詮索されるだろうし
そういうのがいやだからです。
というわけで、、その後結婚して、、、
今、私は既に70歳を超えています
妻はその後どうなったかって?
それもここではあえて書きません
一言だけ付けくわえるならば、、妻になった人は最初の人と同等かそれ以上だった
ということでしょうね。
でなきゃあ 結婚しないでしょ?
これで私の昔話は終わりです。
それでは今度こそ本当にサヨナラまた逢う日まで
サヨウナラ
今度こそ本当に終わり、、にします、
☆付記
わたしが当時乗っていた車なんですが、、、、
実は何台かありまして、、、
その当時の5~6年間では、、、色々ありまして、、、、
本文にも出ていたギャラン・シグマ・エテルナ(白)
これが一番お気に入りでしたね
そして、、、トヨタマーク2(白)にも乗っていました。
これはゆったりした大型ボディで優雅に乗れた記憶がありますね。
更には
マツダのルーチェ(白)というのにも乗っていたことがあります。
これもけっこう大きい車で、まあ、高級車?でしたね?
レシプロエンジンタイプです。
色は3車種、すべて白でした。私は白が好きなので?
というわけで、、お見合いの時のドライブでどの車で行ったかは
判然とはしないのです。記憶も50年前ですから全くありません。
まあいずれにしても、
この3車種のどれかであることは確かですけどね。
最後に、、、、、、、、、、、、、、
ああ、、それにしても、、懐かしいね
私が、、、青春してた日々
若くて
元気で
まだ
未来があった日々
でもそれらは既に
、、、、二度と戻らない日々、、、、。
それは、、永久に終わった日々、、、。
そして
これらのまさに偶然としか言えないような
たった1度の出合いって
一体なんだったのだろうか?
でも?
実は?
偶然は偶然じゃない?
なぜなら70年生きてきて
人生とは偶然のオンパレード?だという真実?を悟ったからだ。
つまり
偶然とはすなわち即 必然だったという真実だ。
偶然は必然そして
必然は偶然
それが人生の奥義だったのだ
そういう
偶然(必然)の大海おおうみに
私たちは知らずに泳がされて、、、、
つまり生かされて、、、
必然(偶然)をそれとも知らずに?その人生を紡いでゆくのだ
それが人生というもののほんとうのシークレット(秘密)だったのだ。
そう知ったとき
人生の謎も 不条理も 不可解さも
すべては私の心の中に
まるで春の淡雪のように溶けてゆくのを感じたのであった。
謎は?
解けたよ?
悪魔さん。
おわり
(注) 以上のお話しは、すべてフィクション(創作)であり。現実とは全く無関係です。