スカートの中のシルキー・ヴァニーユ 6
さあヴァニーユは会食の時間です。
こちらですと案内されたのは、二階広間でした。
宴会の用意は万端。いい匂いに満ちています。床にクッションが置かれ、それに合わせた低いテーブルに、ぎっしりとお皿が並んでいます。
ヴァニーユはメニューを見回しました。
肉の皿、豆の皿、野菜の皿。どれも美味しそうに調理されて、食欲をそそるスパイシーな香りがします。煮込み、焼き物、でっかいパンとフルーツ。あ、リクエストのチョコムース!
ディスプレイを兼ねているためでしょうか、見栄えのする五段重ねの今にも自重で潰れそうなほど大きな造り、よほど濃厚なのかムースでもチョコの香りがはっきりします。
それが目に止まった瞬間、もうダメです。ちゃっくり、ツメが伸びてました。
ソフトなムースが口の中に溶けて、ああ美味しい!
だけど次の一口を失敬する前に、パブディがやってきてしまいました。
「おまたせだねぇクロちゃん。楽にして、楽にして」
着替えてやってきたパブディはまた一段と光輝いて、上座にどっかりと座りました。
昼間のアレルギーお兄さんもやってきました。ラドゥさんでしたっけ。食事の席でクシャミはマズいので、マスク着用です。ヴァニーユを警戒して、あっち端に座ります。
「あ、お冷は皿がいいのかな」
「お気遣いなく。コップでもナイフでもフォークでも、ボクに扱えないものはないですょ」
首にナプキンを巻いてもらいながら、ヴァニーユは胸を張りました。
実際、ヴァニーユは肉球の埋まったあの猫の手をちゃんと持っていながら、食器を使いこなせますからね。
注いでもらった食前酒だって、足の長いシャンパングラスで器用に飲めます。乾杯。
酒が入って俄然、ご機嫌になったのか、パブディはご機嫌にあれこれと食べ物を薦めてくれます。
「辛いのは大丈夫かな。郷里の味だからちょっと大人向けかもしれないねぇ」
「問題ないない。楽しみです」
「あ、でもリクエストだからね、ちゃんと鯛は辛すぎないようにしてるよ。何でも好きなだけ食べてね。山海の幸がたっぷりよ。お野菜食べて美容も管理。辛いもののあとにはご褒美に甘いものも…………ねぇちょっとぉ、アレ何で欠けてんの」
パブディはようやく、一部もぎ取られたチョコムースに気づいたようです。さっき、ヴァニーユがちょいちょい失敬したヤツ。
ご機嫌顔はあっという間にひょっとこに戻ってブーブー言いました。
「何だよゥどういう事だよゥ。美しくないよゥ、ダレなの。ダレのしわざなの」
「あ、ボク知ってる。あの人がやったにゃ」
ヴァニーユ、スープを啜りながら適当な方向を見もせずに指さしました。ズバッ。……申し訳ございません、不幸な事故でございます……その先には、ラドゥさんが。
「ラドゥうー?」
「えっ!? なっ、なんで俺がそんなことを」
「ボク見てたょ」
嘘ごときあっさりついちゃうヴァニーユはとどめを刺しにきました。これで決定です。だってパブディは猫好きなのです。
「おい、連れて行け」
「はっ」
「ちょっ、待って俺は何もやってないぞ!」
必死の抗議も虚しく、ラドゥはグラスを握ったまま、召使に両脇を抱えられて引きずって行かれました。
何事もなかったかのように給仕がやってきて、お皿に前菜を取り分けます。早速、ヴァニーユは目の前のパテにかぶりつきました。優雅に夕食が始まったその後ろで、ラドゥの連れて行かれた部屋からすさまじい悲鳴と、バサッという音が聞こえました。悲鳴は途切れました。
「美味しい?」
「美味しいです」
様々なスパイスの皿に舌鼓をうっていると、にわかに階下が騒がしくなりました。玄関口に、誰か来たようです。誰何の声と、応えて主人を呼ばわる声。
「ビスクヘルム騎士団だ! 商人パブディ! 逮捕状が出ている! 速やかに出てきて城まで同行しろ!」
うーん。ちょっと来るのが早いんだよにゃー。と、まだ手付かずの方が多い皿を眺めてヴァニーユは一人呟きます。
「騎士団だって!?」
齧りかけのタンドリーチキンを握ったまま、慌てふためいたパブディは立ち上がりました。
「何? なんで騎士団? ガサ入れ? こんな早く? ちょっとォ! ラドゥどこいったのラドゥ! 無礼者だぞ早く追い返せよォ!」
「ラドゥさん今さっきクビになったよ」
曲刀を握った召使の一人が、訥々と伝えます。
「文字通りね」
「じゃあどうすんの! いいからお前も行け! 早く行け! 皆でかかれ! 逮捕なんかされてたまるか! 斬り捨てーい!」
抵抗の道を選んでしまいましたか。これでもう言い逃れはできませんね……
さあ屋敷は大騒ぎ、入ってこようとする者、押し留めようとする者、チャンチャンバラバラと刀が振るわれ、金属音が上がります。
吹き抜けの廊下に出たパブディは、手にした鶏骨を振り回して、階下の騒動に激を飛ばします。
「行けー! そこだー! ぶん殴れー!」
うおおおお! 白熱した戦いに、応援もアツくなります。
それに合わせてヴァニーユも、アツく料理をがっつき始めました。
「無駄な抵抗はよせー! お前らも逮捕するぞー!」
「こらー! その壷お高いヤツなんだぞー! 気をつけろー!」
「コースなど気にするな! いいからデザートまで一気に持ってこい!」
前菜はもうカラ。シャーベットは丸呑み。カレーも飲み物です。
「現逮だ! 現逮だ!」
「もっと頑張れよー! 蹴れ! 蹴り落とせ!」
「メインディッシュ寄越せ、早く!」
盛り上がり最高潮の、その時。
屋敷を揺るがす勢いで、壁の一部が壊れました。両軍、驚いて固まります。ということは、どっちの攻撃でもないんです。
「グエエエエエ!」
ぶち壊した壁と、煙の中から現れたのはでっかい鳥。ペカンペリカンです!
不思議な生き物が好き、と言っていたパブディ、町にきていたこいつまで捕獲してこっそり飼っていたんですね。これも違法行為ですよ。暴れださなくて、何よりでした。
今は何が琴線にふれたのか、怒りに満ちた目を爛々と輝かせ、もう一度大きく鳴きます。怖い。周りの人たちが一歩引くと、バサッ、羽音もはっきりと翼を広げ、玄関口に向かって突進します。
「ああっ、キャラメリーゼちゃん!」
パブディが叫びますがお構いなしです。逃げ遅れた人々をちぎっては投げちぎっては投げの
大乱闘、敵も味方も大混乱です。
やっと出られた屋敷の外。飛び立つつもりか、ペカンペリカンは空を見上げました。もう夕焼けも終わり頃、気の早い星も瞬いています。
その視界が遮られました。
「グワァ!?」
驚きあわてるペカンペリカンは、視界だけでなく自分が全体的に覆われている事に気がつきました。網です。頑丈そうな網。
「ホウ! ホウ!」
掛け声と共に馬の足並みが揃います。狩猟会の皆様です。放った網の上に、今度は燕尾の矢を射込んで固定します。これ、馬の上からの射的ですよ。見事な腕前です。
完全に捕らえられたペカンペリカンを見て、一瞬ホッとした空気が流れたエントランスでしたが、やりかけだった戦闘を思い出した両軍は、顔を見合わせて再び鬨の声を上げ始めました。
「突撃ー!」
さて歯軋りしたのはパブディです。
「おのれ……この……千里眼ミエール……」
悪事もバレ、キャラメリーゼちゃんも持っていかれ、屋敷は今にも制圧されそうです。
「ええい……もう、こうなったら」
ブルブル震えるパブディは、隣の部屋に飛んだ……と思ったら、樽を転がしながら出てきました。明かりで壁に挿してあった松明を手にして樽によじ登り、必死すぎて裏返った声で叫びます。
「お前ら全員道連れにしてやるゥー!」
ああ、ダメです、追い詰められてテンパっています。火薬樽が松明の下で、危なく揺れる陰影をつけます。
「よし!」
勢いをつけてヴァニーユは顔を上げました。何がよしか。
いや、ヴァニーユには良かったようです。だって、やっと冷めたメインディッシュの鯛を食べきったところですからね。二口で。
ヴァニーユは走りました。窓に向かって一直線に、その一直線上にあるお菓子は逃さずに。
掴んだお菓子を頬張り、ジャンプ一発、窓枠を潜り抜けます。
夕闇にふわりと飛び立つヴァニーユの背後から、どーーーん! 爆発の黒煙が、窓から丸く吹き出しました。
煙はオレンジ色の火炎になり、飛び降りる黒い姿を浮き彫りにします。
ここは二階です。でも、落ちるのは猫です。にゃんぱらり。
華麗に着地を決めたヴァニーユはぽとぽと振ってくる火玉をものともせずに、頬袋いっぱいに詰めていたお菓子を、ハムスターさながら、ここでようやく咀嚼しはじめました……
「あらやだ。大変」
馬車から降りたミエールは煙吐く屋敷を見上げました。音は派手でしたがさほど火薬量はなかったらしく、火事になる前に鎮火しそうです。
「ミエール様」
板にのせて運ばれてきたのは、全身にターバンを巻いたようになっているパブディです。随分と恰幅のいい、珍しいミイラのようです。
ミエールに促され、控えていたお連れの一人が前に出て杖を掲げました。
どうやら回復魔法を使えるようですね。ほわりとミイラ、いやパブディが輝いて、これで安心。
「今でこれなら、命に別状はございませんよ」
「よかった。パブディ? 聞いてる? お話は後日にしますからね……連れて行きなさい」
板は運ばれ、ミエールは騒然の現場に声をあげました。
「怪我人は並んで。誰でもいいわ。治してあげるからいらっしゃい」
優しい女王様にお縋りしようと、巻き添えをくったパブディ側の使用人たちもぞろぞろと出てきました。ありがたや、ありがたや。
そこにノコノコとやってくる小さな影があります。
「あら。おかえりなさいヴァニーユ」
ヴァニーユは怪我ひとつ、コゲのひとつもありません。にゃあん。誇らしげに鳴いての凱旋です。
お出迎えにミエールが軽く手を広げています。勿論、喜んで飛び込みますとも。抱っこ。
「これで捜査が進められるわね。ありがとう。今回も助けられたわ」
ヴァニーユは何も言いませんでした。その感謝の気持ちで充分だったから……というのもありますが、顔を埋めた立派な胸を揉むのに忙しいからでした。
「お魚、食べた?」
「食べた食べた。でも、食べた気がしないにぁ。だから、この後、女王様のお茶につきあってもいいけど?」
これが、ミエール女王陛下の秘密の相談役……不思議な黒猫、シルキー・ヴァニーユのお話です。
ヴァニーユは追加のおやつと、さらに追加で抱っこと撫でを頂戴して、意気揚々、またスカートの中に帰って行きました。