スカートの中のシルキー・ヴァニーユ 5
頑丈そうな扉を開けると、まあすごいこと、開けゴマを唱えたような世界です。
宝石に王冠、鮮やかな絨毯、金無垢の像、真っ白の陶器、ざくざく金貨。やっぱり、エキゾチックですけども。
それぞれの由来をお値段つきでイキイキと紹介するパブディでしたが、ヴァニーユはその半分も聞いていません。
「わーすごいねー、それはいいものだねー」
適当に相槌を打っては、あちこちに目をやって、少し考えこみました。
「あっちの部屋は何があるの?」
こちらも、説明に一所懸命でヴァニーユの反応がイマイチな事なんかに気がついていないパブディは、すぐにポケットから鍵を取り出してみせました。
「もっといいものさ。それもみせてあげようねえ」
宝物庫の奥には、来たのとは違う、別の小さな扉があったのです。こんなに厳重に仕舞っているなんて、どんなお宝なんでしょうか。
入ってみると、ちょっと薄暗いところでした。真ん中に、なんと人も余裕で入れそうな檻があり、そこにはスポットがかかっています。はてな?
檻に近寄るヴァニーユの後ろで、パブディは急にソワソワしはじめました。
「あれ、アレがないぞ。どこにやったかなぁ。ええと、ちょっと僕はアレをアレしてくるね。アレをアレ……」
もごもごと呟きながら、パブディは元の宝物庫にそそくさと戻っていきました。そのとたん、ドーン!
上から、でっかいドーム状の金網が落ちてきて、中央の檻ごとヴァニーユを閉じ込めました。
すかさず、壁についていたらしい小窓が開き、ぎょとついた目がこちらを覗きます。
「やった! 捕まえたぞ! 捕まえた! ペットが増えた! 自由に出来ないならこうすりゃいいんだなぁ、あっはははぁー!」
やった、やった、と重い足音が小躍りしながら宝物庫を出て行く気配がしました。どうも、始めからそのつもりで連れてきたようですね。
さて。捕まったはずのヴァニーユはやっぱり落ち着いたものです。ヒゲひとつ動かさず、また檻に向き直ります。
広い檻の中は、なかなか快適そうです。クッションや餌皿などが設えてあり、どれもペットが使っているにしては、贅沢すぎるものです。
ヴァニーユは檻の中に入ってみました。こんな幅の大きい鉄柵、猫の前には無いも同然です。にゅるんと一発です。
餌皿を覗き込んでみると、中には今日のお昼に頂いたあとらしい大きな骨。リブステーキだったようです。やっぱり贅沢ですね!
しかし、当の住人はどこに。そう思った瞬間。
「ヴェアアアアアア!!」
野太い胴間声が、ヴァニーユの後ろ頭に浴びせかけられました。びっくりです! そこにいるのは……何でしょうね、これ。
人ではありません。黒い風船のようなものが浮かんでいます。
大きさは、ヴァニーユとあまり変わらないくらい……そうですね、一年はすぎた成猫くらい、ですよ。涙型を逆さにしたような形状の、つるりとした物体。尻尾の太い、オタマジャクシのようなフォルム。
なので、丸いほうが顔ということになります。シンプルな目とシンプルな口。
その口を大きく開けて、人のシマで何しとんじゃワレェ! などという、品のよろしくない言葉のチョイスで威嚇しています。その声もやっぱり、酔っ払いのオヤジのようです。
ヴァニーユは振り向きました。赤い目がぱちりと合います。
すると、どうでしょう。それまではなんとも威勢のいい恫喝でしたが、今度は暴れすぎて騎士団を呼ばれた後のオヤジのように、語尾がホニャホニャと力をなくしていきました。
「なるほど、変わった生き物が好き、か」
動じないヴァニーユは、不敵な笑み。
もはや完全に黙ってしまった黒い物体はイヤな汗を垂らしました。ふらふらと横に逸れ、頭のほうを下に着地すると
「カ……カァカァ」
と鳴いてみせます……
この不思議な生物は、タマトリドリ。
正しくは、クロマルトリモドキという歴記としたモンスター。悪魔なのです。
大体は深い森の中や渓谷に住みますが、稀に人里に出てくることも。そう強い魔物でもないので、危険が迫ると鳥に擬態します。
今みたいに太いほうを下に置いて逆立ちし、立てた尻尾の先をキュッと折って頭に見立て、無害な鳥が座っているように見せるのです。
でも、気をつけてくださいね。力こそ強くないのですが、こいつは人の魂を食べます。
コッチダヨ、コッチダヨ。
暗い夜に間違った道案内を囁いて、崖から落としたり、溺れさせたり。そうやって好物の死んだ人の魂を食べるんです。悪魔ですからね。
だから、タマトリドリ。魂取り鳥です。
いいですか、山では姿の見えない囁きには、絶対、絶対耳を貸してはいけないんですよ。
……それはさておき、あの商人。どうやって捕まえたのか、タマトリドリをこっそりペットとして飼ってたようですね。
「いいご身分だなタマトリドリ。サボリは終わりだ、ちょっと手伝え」
いくら擬態しても、正体がバレている相手には怖がられるはずもありません。容赦なく本体をひっぱたかれ、イタイ! ヤメテ! と甲高いキーキー声をあげました。
本来はこっちが、タマトリドリの正式な声……のはずだと、言われているんですけどね……もしかして、怒ったりしたら、地が出るのかしら。すごい発見なのかもしれません。
「さ、いくぞ」
頓着しないヴァニーユはタマトリドリの尻尾を咥えて檻を抜けました。格子にひっかかったタマトリドリも、ギューッ、と引っ張られた後にスポンと抜けます。
ということは。要はまあ……タマトリドリも捕まっていたわけではなくて、三食昼寝つきの生活から逃げる気がなかったって事ですね、抜けられるくらいの甘い檻なんですから……
外側の金網にも鍵がかかっていましたが、そこはタマトリドリの尻尾をねじ込んで捻りました。カチリ。
「便利だな、タマトリドリ」
鍵型になった尻尾を放り出し、ヴァニーユは外に出ました。タマトリドリはしおしおとその後に続きます。
「イタイサン……」
さあ、やっぱり目的の品物はこの部屋にあったようです。
暗くて入った時には気がつきませんでしたが、入り口の辺りには紙束がいっぱい。書類は貴金属の部屋と分けているんですね。
箪笥の引き出しや箱の中など、見どころは沢山。丸めて壺に差したものもあります。おっと、これは世界地図のようです。何枚かはどこかの島が書かれてあって、ドクロマークやチェストの絵が入っています。宝の地図? 本物でしょうか。
あっ! 探しものがありました。
南の大陸、ジャンドゥーヤの王様からのご依頼状……軍資金となるダイヤモンドの要求です。書簡と仕入れの伝票が何束か。
思ったより少ないところを見ると、結構早めに手を打てたのかもしれません。
「だけじゃないなこれは。他の違法取引やら脱税やら。こりゃ別件でもすぐに引っ張れるんじゃないのかにゃー」
大量、大漁。充分です。
ヴァニーユは隣の部屋にあったキラキラした絹布を持ってきて、ツメを立てないよう器用に結んで袋にしました。
そこに、ざくざく掘れた証拠品をホコリも払わず無造作に突っ込み、宝石のついた金鎖でタマトリドリにぐるぐると巻きつけます。
「おい、タマトリドリ。これをこの国の女王に届けろ。まだそこいらにいるはずだ。今度はサボるんじゃないぞ」
準備の終わったヴァニーユは、ヒゲを上げて睨みつけながら軽く威嚇してやりました。
「いいな」
ヒィィ、とか細い声を上げたタマトリドリは、大きな荷物にふらつきながら、窓の外へと飛んでいきました。これでよし。
仕事も終わって暗い部屋を出る前に、ヴァニーユは、耳をピクつかせて倉庫の奥に目をやりました。
耳だけではありません。鼻も、ヒゲも、まだここに隠された違和感に気づいています。
「珍獣好きは、筋金入りのようだな」
でもまだ、今はそのままに。それも、大事な証拠品ですから。
バタバタと戻ってきたパブディは、王冠を乗せていたクッションにどっかり寝そべって寛いでいるヴァニーユを見て、カエルが潰れたような声を上げました。
「ぅええっ!? なっ、どっ、どうやって、なんで」
「おかぇり。ゴハンできた?」
ヴァニーユはすまし顔です。取り上げた王冠は、ちゃっかり自分で被っています。ちょっと大きいですけれど。
「それはなぁに、おやつ?」
パブディの手に握られた新しい餌皿とブランケットを見て質問してみました。まあ、ヴァニーユ用の猫部屋を作ろうとしているのは判るのですがね。
慌ててアイテムを後ろに隠したパブディは、悔しさを隠して首を振りました。
「う、あ、ご、ごはん前だから、おやつはなしだよ」
「じゃあもうごはんなんだね? フルコースだね?」
「そうだよ、フルコースだよ……」
「ボク、待っててあげたんだょ。親切なネコだねぇ?」
皮肉も言えて、完全勝利ですね。勝者ヴァニーユは抱っこされて悠々と宝物庫を出ることにしました。
ヴァニーユの言うとおり、ミエールはまだラスクにいます。別件、ペカンペリカンの調査中です。
「目撃情報は数日前からあったのですが」
狩猟会の頭領が説明すると、周りのメンバーがうんうんと頷きます。
「町の中にどうも入ったらしいところまでは追跡できたのですが、その後ぷっつりと」
「出ていったってことは?」
ミエールが質問しましたが、頭領は曖昧に首を傾げました。
「ペカンペリカンは成鳥だと随分とデカいもんでしてな。成人男性とさほど変わらん大きさのものが町を出るのに、全くないとは言いませんが気が付かれないのは考えにくい。むしろ普段は化石か何かのように動きを止めてボーッとしているので、まだどこかに潜んでいる可能性もあるんですわ」
もし巣でも作られると……と一同は沈痛な面持ちです。
「えっと、たまに暴れるのよね。主には、どういう時に? 身の危険を感じたとかかしら」
「わかりません」
頭領が頭を振ると、狩人たちも口々に言い添えます。
「驚いたとかそんなでもない、気が向いたらとしか言いようがない」
「一秒前まで瞬きもせなんだのに、突然大暴れして」
「かと思えば火事の近くでも動かない事もあって」
「隣で屁をこいたら暴れだした、って聞いたことがある」
「我らでも予測はできないんですわ」
「町の外だと我らがすぐに捕縛できますが、町中だと機動力も罠も限られてきますからな、悩んでいるのですよ」
自分たちの事を言われているのが、ちゃんと解っているんでしょう。後方に繋がれていた馬たちが、頭を上げて鼻息を噴きました。
ここいらのハンターは馬を駆って獲物を追うのです。足の早い魔物にもこれで対処しているんです。かっこいいですね。
ううむ。考え込む一同の中で、ミエールはふと顔を上げました。空を飛ぶ風船に気がついたのです。
いや、風船ではありません。タマトリドリです。ふよふよしながらこちらに向かってきます。
狩猟会の面々が素早く獲物に手をかけましたが、タマトリドリは攻撃を避けようとしながらも逃げる様子はありません。
「ヘルプミー ドンシューミー」
危ない事はないようです。ミエールは手を伸ばしてみました。安心したように指先に擦り寄るタマトリドリは、やってきた要件をキイキイと叫びます。
「オツカイ コノナカ ジョオウサマ ニ オミヤゲ」
派手な色したリュックサックを下ろしてあげて、中を改めると……まあ出るわ出るわ、イケナイ書類が山盛り、ヴァニーユからの贈り物です。
そして、もう一つ。紙じゃないのも入ってました。ミエールはそれを翳して、しげしげと眺めてみました。手のひら二つ分もの長さを持つ、大きな鳥の羽です。
ミエールは笑って、タマトリドリの頭を撫でてあげました。
「ありがとう、いい子ね」
邪悪な悪魔のはずですが、タマトリドリときたらそんなこと言われて、そっと頬を染めて嬉しそうにしています。
「イイコ タマトリドリ マタクルネ」
飛び立つ黒い塊は、空にくるりと円を書いてどこかに消えていきました。