スカートの中のシルキー・ヴァニーユ 4
ラスクの町は海岸線に沿い、横に長く伸びています。
港町、というほど船は多くありません。半分は遠浅の海水浴場、あと半分が埠頭です。
北の大陸と南の大陸、短い航路ですが、数時間おきに交互にやってきては荷物と観光客を降ろしていきます。この小さな島には、小さな港でも充分回るのです。
それなりに活気もあり、海も陸もとても賑やか。これから夕飯の支度が始まるのでしょう、お店から新鮮な魚を頂いたお母さんと子供たちが、楽しそうに家路についています。
埠頭の方に立ち並ぶ家の中に、ちょっと目立つ輝きを放っているものがありました。
嵌められた窓は繊細な透かし彫り、床はモザイク、居並ぶ像もエキゾチック。
この辺では見られない、変わったネギ坊主の形をした屋根が大きく三つも、ぷっくり、ぷっくりと膨れて並んでいます。
しかも建物全体が金色をベースに塗られており、海からの光を受けてテラテラと辺りを照らしていました。さすが新築、輝きが違います。
これが流通商人パブディの屋敷です。
船やキャラバンの一ルートとして、また補給地点として、ビスクヘルムに拠点を作った異国の商人なのでした。
この豪華な屋敷をふうふう言いながらよちよち歩いているのが彼。流通商人のパブディですよ。
着ているものもキンキラキン、短いベストに尖った靴、腕や指を飾るいくつもの環も金。
よほど好きな色なのでしょうね。頭には大きなターバンが巻かれていて、それはさすがに金ではありませんでした。
服はとても立派なのですが、それの包む中身はとっても弛んでぷっくぷく。発酵中のパン生地のようです。
そりゃあこの体で、こんな暖かい日に外を歩けば息もあがります。パブディの前を行くミエールは、涼しい顔をしているのですけれど。
「仕事は順調のようですね、パブディ」
パブディの屋敷には船からの荷物がどしどし積み上げられているところでした。これから市場で売りさばかれるのでしょう、木箱に入った香辛料や、お茶、変わった形の壷を、幾人もの作業員が検分しています。
「ええ、そりゃ、いいこと、です。お国のためにも、なりましょうや」
「この荷物たちは随分と船旅をしてきたのね」
「我が、故郷からの、船、ですな。ふう」
半獣半人の不思議な像を、物珍しげに眺めてミエールが足を止めたので、パブディもやっと立ち止まって大きな息をつきました。
それを振り返り、ミエールは聞きます。
「ダイヤモンドは取り扱ってないの?」
「……それは指定商人しか、できないでしょ、女王様」
さすがにハイとは言わないか。
ミエールは笑って、また歩き出しました。このお屋敷は博物館のよう、なかなか見ごたえがあります。
まだまだ治まってない息を吹きながら、パブディはそれを追いかけました。
「女王様、あの、それで、今日は、何の、用で」
軽い調子でミエールは答えます。
「ペカンペリカンが現れたらしいと、今朝方報告を受けたのよ。ラスクのあたりに。狩猟会の人たちも探しているって言うんだけど、まだ見つかっていないらしいの」
カモフラージュではありませんよ。そこは嘘ではないのです。
ここより少し南に生息するペカンペリカンは、やたらめったら嘴のでっかい大型の鳥で、ぎりぎりモンスターではありません。
ですが、思い出したように凶暴化するので取り扱い注意動物に含まれています。町に紛れ込むとちょっと大変なのです。
「だから、様子見がてら立ち寄っただけよ。これだけ羽振りのいい交易商ですもの、ご挨拶も兼ねてね。これから港も視察に行って、狩猟会の人の話を聞いて」
「ああ、なーんだぁ!」
皆まで聞かず、パブディは声をあげました。
「そいつの居場所が分かったわけじゃ、ないんですねぇ。噂の千里眼で」
これは、ちょっと。さすがに、ちょっと。ぽろっと本音でしょうけど、いけません。
「んまーぁ。お言葉ねぇ」
「は、いやいや失礼。いやいやいや。女王様も、お忙しいですねと言ったのですよ。いやいや」
腰に手を当ててみせたミエールは、やけに慌てるパブディの姿に少し吹きだして、その手を軽く振ってみせました。
「お見送りありがと、パブディ。もういいわ。そうね、じゃ一つ予言してあげる。『ちょっとはダイエットしないと健康に悪いわよ』いーい? 分かった?」
ミエールはこの上なく身軽にひらりと馬車に乗り、カラコロカラコロ、来た時と同じように鮮やかに去っていきました。
はぁやれやれ。
何と言われても、運動なんてまっぴらゴメンなパブディはようやく日向から逃げ出せました。おかえり、涼しい部屋。
ヨタヨタとドアをくぐると、待ち構えていたらしい人物が急いで声をかけてきます。
「おい。女王は何と?」
「あ、ラドゥ来てたのー? んんー、何だかね、ペカンペリカンを探してるみたいよ」
「そんなわけないだろ! セサミのヤツがヘマしたに違いない!」
ラドゥと呼ばれた鋭い目を持つ男、この屋敷の人達とは違うテイストの服を着ています。というか、この国では普通の細袴です。
そして腰から下げた剣にはジャンドゥーヤの紋章。これは、まさか……
「そう! それよ。セサミが来てないって、どういう事なのさぁ。なぁにサボってんの、アイツ」
豪奢な絨毯の上に直接置いた大きな金色のクッションが、この屋敷の玉座です。パブディが大儀そうに腰を下ろすと、金の波が大きく揺れます。
「納期は明日だってのにさ。王様に怒られたら、どうすんの僕ぁ」
「我が王がお怒りになられたら、そちの首などすぐに飛ぶわ。ジャンドゥーヤは猛き国、生ぬるくはないからな」
やっぱり! この男、ジャンドゥーヤからの使いのようですね。センは繋がりました。
ダイヤモンドはここからジャンドゥーヤに流れている、で間違いないようです。
しかし、キリキリしているラドゥに対しても、パブディは変わらぬまったり加減で、おちょぼ口を突き出し言い訳を述べています。
「僕のせいじゃなーいもーん。セサミが悪いんだもーん」
「だからだ! ただ遅れているだけなら問題ないが、もしやんごとない事情で来られないとしたら」
「やんごとないって何だよゥ。こっちの都合なんかどうでもいいって事?」
「例えば、密輸が露見したとか」
「……女王に?」
「何分、相手は千里眼ミエール。セサミはこの国の人間だから、捕まったとすれば御慈悲を請うためアッサリ吐くに躊躇いはないだろう。おのれ。そちも、万が一の事も考えておいた方がいいんじゃないのか?」
「やだ。暗いところに入るくらいなら、僕ぁ郷里に帰る。軽くほとぼり冷ませばいいんじゃん?」
「言い訳も用意しないつもりなら、そうだな」
「逃避行ってヤツかァ。それはちょっとロマンだねぇ……」
「夜逃げだ! 俺は一緒に行くわけじゃないぞ!」
まだ文句が言い足りなさそうなラドゥでしたが、ぬっ!? と低く呻いて腰に差した刀を素早く引き抜きました。
「誰だっ!」
大声をあげて、そこにあった燭台一つ、袈裟懸けに叩き切ります。
燭台と言っても、燭皿を捧げ持つ女人像のついた、大きなものです。人くらい隠れられそうです。果たして、その後ろからヒラリと飛び出る黒い塊がありました。
「……なんだネコか……」
部屋への侵入を許してしまった相手を振り返って、ラドゥは呟きました。
こいつめ、大声やきらめく剣先を恐れる様子もありません。余裕を見せ付けるようにヒラリと床に降り立ち、剣を抜く人間を悠々と振り返って見ています。
その目は真っ赤。毛並みは真っ黒。
そう、この猫、ヴァニーユですからね。当然。さっきまで居た女王様のスカートからこっそり出て、部屋に潜んでいたんですね。
物騒な人間を一瞥し、館の主ではないと見抜いたようです。反対の、クッションにふんぞり返る、豊満な人物に向き直りました。
「ネコだぁぁ」
パブディは大喜び。いやぁん、カワイイー、と裏声でおたけびをあげはじめました。
今までの億劫さはどこにいったのか。機敏に飛び上がり床に這いつくばって「ホラホラおいでネコたん」と手を擦り、ぱんぱん打ち鳴らしてさえみせます。
間違いない。猫派です。そして、この暑苦しさは猫に嫌われるタイプです。
小さな猫から見れば、這いよるパブディなどマタタビ食った大トラが酔っ払いながら女豹のポーズをきめているほどの嵩ですが、それでもちっとも物怖じしません。流暢な人の言葉で話しかけました。
「パブディってアナタ?」
揺れていた巨体がピタリと止まり、驚きのあまりにその場に座りなおします。
「ウソ! 喋った……?」
「何か問題が?」
「ないない、無いよぉ! すごいねぇキミ、カワイイねえ!」
もう有頂天のパブディはついに黒猫を捕まえて、楽しそうにくるくる回りだしましたが。
「いやありますよ」
猫派ではなかったらしいラドゥが冷静に突っ込みを入れます。入れようとしました。
「普通の猫ならば喋りはせん! どんな魔物か化け物か、わかったものではなべっしょーん!」
言葉半ばに、大きなクシャミをしました。
くるくる回転するパブディの抱く猫が、鼻先に突き出されたタイミングで、定期的に派手なクシャミが暴発します。
「ばっくしゅ! へっくしゅ! ち、ちょっとまっくしゅ! はっ、はあっ、ダメだこれはあっくしょ! はぁっくしょい! へーっくしょん!」
「……アレルギーだったらしいにゃー」
クシャミしながら部屋を出て行く哀れな後姿を見送って、ヴァニーユはさりげなく飛んできたツバを、金のベストで顔を拭いました。
「こんなに可愛いのにねぇ。失礼しちゃう。ゴメンねうちのが」
「アレルギーはしょうがないょ。こればっかりはボクがいくら可愛くても、どうしようもないからね」
鍛えて治るものでもありませんからね。猫派じゃないのもやむなしです。
「まぁいいでしょうよ。ボクが会いにきたのは、大金持ちと噂に名高い大店の大将だったのでね。その風格に綺麗なおべべ。見たところ、あなたさまがその大商人パブディ。でしょう?」
パブディは満足そうに息をつきました。
「ネコにまで有名人になるとは。これからは、ネコにモテ放題の人生かしらん」
「他のネコは知らないけれど、ボクは物見高い性分なのでね。一度、お目にかかりたいと思っていたんですよ」
「ほほう。で、どう、ネコちゃん。僕と会えた感想は」
普段には態度のデカいヴァニーユですが、今はスパイ大作戦中、相手の事もちゃんとヨイショしますよ。何しろ賢い猫ですので。
「そりゃあパブディ様といえば文字通りの太っ腹。朝にここを通りすがった物乞いが、夜にはまんまるに太って屋敷から出てきたって専らの噂。ネコだってこんなに撫でてくれるとは、これは聞いた以上にお優しい方だね」
優しくてというよりは、ただの猫好きの反応でしたがね。そんなこと、ヴァニーユは百も承知です。ですが、効果はテキメンです。
金持ちではありますが、太っ腹などと今まで言われたことのなかった締まりやのパブディは、ただ目を丸くして聞いていましたが「うぉっほん」と、おもむろに咳をして
「まぁ、それほどでもないがね」
と、たぷたぷの手で細い髭を捻ってみせました。
誰だって、褒められれば悪い気はしませんもんね。
「キミもなかなか見所のあるネコちゃんだよォ。ね、ここで飼い猫にならないかい? 僕ぁ変わった生き物が大好きでね。仲間もいるよ。ご馳走もするよ」
「せっかくですが、遠慮しますょ。ボクは猫です。で、自由は猫の特権なのです。猫は人間の世界で自由に動きますが、人間は猫を自由に動かすことはできないのです。そんなもんなのです。猫ですからね」
や、方便です。
もっともらしいこと言ってますが、単にミエールの抱っこの方が、そりゃあ抱かれ心地がいいからです。パブディは女王よりいい匂いはしませんし、同じ巨乳と言っても全然イミは違いますしね。ご馳走はどちらでも頂けるわけですし。
でも、パブディは真に受けたようです。猫好きは本物のようですね。
「なんて賢いネコちゃんなんだろ」
と、激しく頬ずりして感動を表します。
「手に入れられないとなるとまた一層可愛いねえ! 愛しい! 愛くるしい! ああ可愛い。せめて今夜は一緒にいておくれでないかニャンちゃん」
「それくらいは旅の趣。もちろんいいょ。ご馳走してくれるんでしょ?」
「何が食べたい?」
「鯛のヴァプール柑橘風味のカプチーノ仕立て」
「グルメだねー」
「あとチョコレートムース」
暑苦しい抱擁に耐えつつ、目的の一つをしっかり確保します。これがなくては。
「ボクは猫ですが、お気になさらず。玉ネギもイカタコもチョコレートも、ああスパイスも、どれもイケますし大好きですよ。特別な猫なのでね。どうぞアナタと一緒のものを出して頂戴にゃ。美味しいもの大好き」
これらは本来、普通の猫にはあげてはいけない食品ですよ。ダメ絶対。
「なぁるほど、特別だねぇ。特別な猫ちゃん、そういえば、お名前は?」
ヴァニーユの耳がぴょこりと動きます。
「通りすがりの猫に名前などないょ。あっちではタマちゃん、こっちではクロちゃん。お好きにどうぞ」
では、クロにしよう。パブディは頷きました。これほどわかりやすい名前はありません。
「じゃあおいでクロちゃん、毛を梳いてあげようか飾ってあげようか。爪をゴージャスな金に塗ってあげようか」
「そんなことしても忙しいのは使用人ばかり、ボクらは退屈でやってらんないよ。いつまで待っても、ディナーの時間はやってこない」
「じゃあ何をして遊ぶ?」
「言ったでしょ、ボクは物見高いネコだょ。アナタのお宝見せてよ。きっと面白いものいっぱいあるんでしょ」
宝物ってね、持ってると見せびらかしたくなるものなんですよ。
だから、パブディには嬉しい提案です。喜んでヴァニーユを抱えて宝物庫へと案内しました。