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シルキー・ヴァニーユ・マカロン伯爵 3

 勇者は世界を守ってくれた。辺りの喧騒が落ち着いていきます。向こうで繰り広げられている戦闘も、もうすぐ終わるようです。

 まだ少し残っていた数匹のドラゴニュートが、マダム・マロンの乗った馬車の尻を追いかけています。

 その後ろに、スケルトンを倒し終わった狩人隊が追っていきます。魔族を相手に足止めを食っていた軍隊長が、片付けが終わって馬車とドラゴニュートの間に割り込みました。足止めされたトカゲ男、あっという間に弓矢の的にされて終わりです。

 どうやら皆、無事のようですね。それぞれの無事を確認した後、ミエールの元へと寄ってきました。ミエールも大きく息をつき、シュクルを鞘に仕舞います。

「ああ、ああ助かったわ。ぴったり付かれたら魔法も撃てやしなくて、すみませんねえ女王さん。大きな口叩きながら」

「とんでもない。こっちが助かっているわ」

「無事でしたか女王陛下」

「ええ、ありがとう軍隊長、終わったわ。あとは」

「まだよ!」

 馬上から鋭く叫ぶのはプラムです。番えるなり放った矢は集まった仲間たちの背後で、何かに当たった太い音を立てます。

 振り返ると――アナナスでした、僅かに覗く隙間に入り込んだ矢がざっくりと喉を抉っている、にもかかわらず、何の支障も見受けられない動きで構えていた斧は振り下ろされました。戦士たちが一斉に下がる中、血しぶきが上がります。ミエールです。

「陛下!」

 矢が次の矢を連れてバラバラと降り注ぎます。回復魔法の紡がれた次は攻撃の魔法で、氷の矢もザクザクと落ちてきました。

 前に進もうとしたアナナスの動きがさすがに鈍くなり、そこに軍隊長の攻撃も入って腕を切り裂かれました。持てなくなった大斧はガラリと地面に落ち、アナナスの体も再び仰向けに、今度は少し捩れて倒れました。

 雨のように射込まれた矢は鎧で覆われた体にも少なからず隙間に食い込み、氷はその鎧をも凹ませ、時に破り、中の肉にまで達していました。アナナスはもうピクリとも動きません。ピクリとも。

 倒れるアナナスに、ミエールはゆっくりと近寄りました。

「……血が、流れてないわね」

 肌が壊されていても、血が。いかに魔物とても流れ出てしかるべきのそれが、不自然なほど目につきません。傷口は、凍っているのです。

 と。小さくつぶやくその声に反応したのか、驚くべき速度でアナナスは起き上がりました。

 寝ている体勢から上半身だけ、反動もつけずにです。まるで操り人形のように、筋肉の働きを感じさせない動作で。

 傷だらけの腕が、そこにいたミエールの腰を強く抱き寄せます。マダム・マロンは悲鳴をあげ、弓隊は反応しかけた弓を慌てて下ろします。近すぎます、不用意に撃てません。

「氷は無駄だ。今の我には冷気は効かん。もう全て凍り付いているのだからな」

 アナナスはどこも見ていない目で機械的に言いました。声すらもどこか機械的です。

「スケルトンが!」

 落ち着いたと思っていた辺りの空気が、またざわめきはじめます。斬られ砕かれて地面に落ちた骨達がピクピク蠢いてふわりと持ち上がり、また人の形を作ってこちらに向かって来たのです!

「生き返った……いや、最初から死んでいたな」

「何それ、キリがないんじゃない?」

「術者の魔力を切ればただの骨に戻るんだけど」

 ミエールはハッと息を呑みました。

「あなた……まさかもう不死の魔物なの? 初めからそうじゃなかったでしょう? どうして?」

 腰に巻きついた腕から、温もりは全く伝わってきません。むしろじわじわと冷やされる気配があります。冷たいのです。

「目的を果たす為に来た。その前には我が命などものの数ではないのだ」

 その割には気のない言い方に、ミエールは眉を寄せました。リビングデッド状態で感情を無くしたから、というだけの理由ではないようです。

「誰のために」

 返事はありません。待って、答えがないと解った後、ミエールは憤然と燃え上がり、目の前のアナナスに渾身の鉄拳を叩き込みました。

「ふざけないで! 芯のある武人だと思ってたのに、簡単に誰かに操られて使い尽くされるなんて、魔界にとっては損失なんじゃないの!? そんなバカな事誰がやれって言ったのよ!」

 鼻っ柱に容赦ない一撃を受けて、アナナスはようやく口を歪ませて笑いました。先に会った時のような不敵な笑いではなく、悲しげなものではありましたが。

「相変わらず乱暴だな。いや、そのバカは自分だ。結局、自分自身が許した事だ。これ以上、期待を裏切りたくなかったのかもしれん。だがこうなった以上、お前の命を取って本懐を遂げる事にする」

 辺りは混戦です。

 不死ではなかったはずの斃れた魔物までもが、スケルトンよりぎこちない動きで、ゆっくりと起き上がってきたのです。ネクロマンサーの介入は明らかなようです。

 また始めからとなった戦闘に戦士達は果敢に挑みますが、どこか焦りと不安は拭えません。

 終わりの見えない戦いの中で、ミエールを救出に向かえる人手は、もう残っていないのです……

 喧騒の中に取り残されたミエールとアナナスは、静かに話を続けていました。内緒話でもしているように。

「さて、このまま絞め殺してくれようか」

 虚ろな声は変わりません。感情の昂ぶりのあまり、うっかり涙まで滲んだのは、ミエールの方です。

「本当にバカよ、あなた」

「……俺の死を悼んでくれる者がいたとはな。しかも勇者ときた。さぞ魔界の語り草になるだろう」

「繋がれているのは、その目?」

 そう言った瞬間、アナナスの掌がミエールの喉元へと踊り上がりました。

 同時にミエールも動きます。捕らえられた中にも自由の利く手をシュクルの柄に。

「無駄だ勇者よ。このように捕らえられては、剣など振るえん」

 指摘されて思わず伏せた顔をキッと上げ、不透明に輝く左目でアナナスは諭すように言いました。

 確かに、彼の腕は万力のように腰に巻きついたままピクリとも動かせません。至近距離では、細身とはいえ長剣を動かすのは難しいはず。

 でも、ミエールも言い返しました。同じような口調で、です。

「シュクルはレイピアじゃないわよ……そうね、勇者の剣も同じように、長いこと実践で使われなかったんだもの、皆忘れているわよね」

 そうして、いとも簡単に鞘を払って見せたのは、シュクルの柄を持つ短剣でした。

 伝説は本当でした。今までの勇者の中には、逞しい大男もいたでしょう。ミエールより小柄な者も、もしかしていたかもしれません。

 ミエールに扱いやすいように今は細身の刃なのですが、昔は違う形を取っていた事もあるようです。勇者しか引き抜けないもので、気づかれにくい変化なのですが。

 勇者に、正しくは用途に合わせて姿を変える剣……シュクル自身に意志があるかのように、戦況を読む剣なのです。

 アナナスが我に返った時には、もう短刀のシュクルは閃いた後でした。

 氷の軋むような音がします。二つに割れた、真っ白に凍った目玉からの音です。

 負傷した跡からは、やはり血の一滴もでません。ただ、斬られた先に沿って、小さな氷の結晶が立ち上がってきました。

「これでよかったの? 悪魔将軍」

 アナナスは質問には答えませんでしたが、やけに納得したような様子で、ぽつりと独り言を呟きました。

「そうか……始まるのか、勇者の話が」

 目だけでなく、金の鎧の首元からも氷の塊が登ってきました。喉を覆い、顔にも届きそうです。鎧の中はもう固まった後でしょうか、金色のプレートに霜がついています。

「だが、始まりだ。勘違いするなよ勇者、魔界は必ずお前を」

 僅かに頷いた拍子に(実際不安定に揺れただけなのかどうかは、判りません)アナナスの首はバキリと折れて胴体から離れ、背中側へと転げ落ちていきました。

 きゃあああああ、という女の悲鳴はどこから上がったのでしょうか。

 辺りに満ちたその声は、はっきりと嘆き悲しむ音をしていました。

 声に合わせて地面がひび割れて口を開けます。まるで地底が叫んだようにです。深淵は転がったアナナスの頭部を迎え入れて飲み込み、また僅かに揺れながらピタリと閉じました。

 嘆きの声は消えました。

 するとようやく、頭を失くした首から血が噴出しはじめました。シャーベット状の赤い流れが、逆さにした氷柱のように凍りながら重なりあい、体はその場に三度倒れました。

「あ……」

 同時に、ガシャガシャと骨達が崩れていきます。今まで元気に動いていたそれらは、土に触れるとボロボロと崩れ、風化していきました。

「今度こそ本当に決着がついたようですな」

 軍隊長が寄ってきました。頷き、皆と安堵の顔を見せ合ったところで、辺りに重低音の歌声が流れてきました。

 ひいっ、と言ったっきりアラザン王子はその場にへたり込みます。

 コーラス隊がどこにいるのか、すぐ解りました。三角山です。

 振り仰げば、幾千の赤い瞳。大岩の上の、一人だけ違う威圧感の者。

 ミエールは一歩前に出ました。

 荘厳にゆっくり。歌声は響きます。しばし、じっと戦士達を見下ろしていた魔王ヴァニーユ、手を上げ、仲間に合図を送ってから、結局一言も発しないままマントを翻して山の頂辺へと跳んで行きました。

 魔物の大軍も魔王の後を追い、歌いながら、順次三角山へと消えていきます。

 魔物の群れがいなくなってもしばらくは歌の余韻が続き、まるで亡くなった者達への鎮魂歌のように、暗い空に響きました。

 太陽が、元に戻っていく空の闇を払うまで。


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