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シルキー・ヴァニーユ・マカロン伯爵 1


「イヤな感じがするねぇ、女王さん」

 雨雲にしては暗すぎる藍紫の空を見て、マダム・マロンは声を潜めました。

 握ったスクロールの文字が急に見えづらくなったので空を見上げてみたのです。そうしたら、まあ、この様子ですよ。 

 試しにライトの魔法を投げてみましたが、宙に発した光球は不安定にゆらゆら揺らめき、普段よりも短い時間で闇に溶けていきました。

「オーラね、この世ならざるオーラが漏れだしてるねえ。海側はまだ明るいところを見ると」

「三角山。まさか魔王が」

「想定外だけど、不思議じゃあないわね」

 思ったより滑らかに移動する猫の背中で、ついミエールはほくそ笑みました。

「やっと会えるのかしら」

「陛下。気持ちが浮ついていませんか。ちなみに、望ましいのは平常心ですぞ」

 見透かされるほどだったかしら、とミエールの笑いは苦笑に変わりました。

「大丈夫よ」

 沸き立つ感情は自覚しています。

 だって、魔王です。

 本来、対峙するはずの、それでいてずっと相見まえる事の無かった相手です。自分の人生だけではなく、もう何代も。父も、祖父も、曽祖父も。

 私の時代に歴史がまた作られるなんて。ミエールは瞼を伏せて考えました。これは幸運なのでしょうか。それとも不幸。

 栄光。あるいは屈辱。

 未来。それとも終末。

 動悸が逸らないわけがありません。この弾ける感情が喜びなのか恐怖なのかも判らないけれど、これは、そうです、例えば長く会えなかった恋人ともうすぐ会えるような、そんな心境です。

 なんて不思議で心地よい気分。ですが、頭を振って追い払ってしまいましょう。さしあたって、重要な部分をチェックしなければ。

「マダム、アメール王子は」

 問われてマダム・マロンは懐から袋を取り出しました。中は星の砂です。少量取り出し、ぽちゃぽちゃした手の中に擦るように揉み込んで、パッと手を開けてみます。

「奥だわね。後ろに下げられてるわ、死んじゃあいないようね」

「わかった」

 少し身を起こして、ミエールは全員に声を飛ばしました。

「警戒して。魔物がいるのは勿論のこと、それ以上の可能性も出てきた。時が魔王に引き合わせるなら、どうせいつかは合うことになるでしょう。それが今でも、我々は全力あるのみ。自分の出来ることを忘れないで。後詰めの兵はある。安心してまずは目の前の敵よ。今のうちに支援魔法をかけておくわ、寄って」



七枚目 シルキー・ヴァニーユ・マカロン伯爵



 悪魔将軍アナナスは、自分に付いてきてくれる者達を振り返ってみました。

 付き従うのは彼の部下と直属の鎧兵です。強いです。何しろ、自分が直々にしごいてきたわけですから。でも、アナナスが見ていたのは個々の強さではなく、規模です。決して数に頼めるほど多いわけではありません。

 滾ったばかりの気持ちにふっと水が注された気になって、アナナスの笑みは中途半端に消えました。

 氷の刻印を施されてからこっち、ずっと単独で動いていました。シンパであった数人の将校は、アナナスの雰囲気が変わったのを察すると、なぜか遠巻きに見るだけになる者が多かったのです。

「軽率であったな、将軍」

 仲の良かった一人はそう言いました。「地獄の手引は報酬が怖い。そなたが頭にれば、いい魔界が作れると思ったのだが。残念だ。私は、あなたが好きだったよ」

 ほとんどは何も言わず離れていってます。

 キリリとした軽い痛みを顔の左半分に感じ、アナナスは頬に手を当てました。姉からの通信です。

『地獄の兵も貸し出そうな』

 声が終わるか終わらないかのうちに、そこ此処の地面が割れ、中から骸骨戦士がせり上がってきました。

『もともと不死の者。再生可能の無限兵。好きに使うがいい』

 骨達は綺麗に整列し、アナナスの前に集いました。

 姉のサポートは強力ですが、アナナスは何だか孤独でした。世界を取るのは、もっと楽しいものだと思っていたのに。

「将軍、きます」

 部下の呼び声で我に返りました。

 最初に目についたのは、暗い空の下によく映える、真っ白い……何でしょうか。あれは馬ではなさそうです。よく見るとなんと、猫! 雪のような猫に跨った鎧武者でした。

 一時の寂寥感を忘れるにちょうどいい目覚ましです。アナナスは大きく笑い飛ばす姿を見せて、出てきたばかりの骸骨兵に命令しました。

「よし。暴れてこい!」

 答える歓喜の声は、もはや人ではないものの方が多く聞こえます。


「敵捕捉……数が少ないけど」

 目のいい馬隊から報告が入ります。

 いずれも歩兵、フルアーマーの中身の怪しい重歩兵、トカゲの肌を持つドラゴニュート、なんとスケルトンまで。

「魔物だわ。もう正体を隠そうともしていない。それに、やぁな感じがするわ、確かに。何かあったみたいね」

「狩人に魔力はない。だが嫌な感じとやらは匂いでわかる。不吉だな」

 プラム父娘も、マダムの言う「イヤな感じ」とやらを感知したようです。ミエールは剣を抜きました。

「何が起こっていても前進しかないわ。腹くくって! もう当たる」

「……白き裳裾の冬老君マロースクルィク、顎あけませ、敵人切り裂け!」

 その間に唱え続けていた長い詠唱を終えたマダムが、こちらに向かってきた魔物たちに杖を向けます。

 キラキラ光るものが放出され、前行くミエールを追い抜いて地面に落ちました。

 落ちた場所からは人の背丈ほどのある巨大な霜柱が、ドォ、と見る間に立ち上がり、勢い余って突っ込んできた魔物たちを次々と突き刺さし、足を止めさせました。ギイギイと鳴き声があがる、その頭上に、打ち込まれた矢が次々と降ってきます。

 先制はロングレンジを持っている人間側からでした。

「さあさお立会い、レザン王子ご謹製の氷属性スクロール、その魔力の高さ破壊力の凄まじさ、とくとご覧あれ。まだまだあるわよ」

「私は抜ける! 援護を!」

 前線の混乱を上手く避けて、ミエールは奥を目指しました。付いてくるのは護衛の単騎のみ。

 後方に控えていた魔物の群れは特攻を防ごうと寄ってきましたが、少しだけ速度を落として雪猫が息を吸い、

「ぐなあああああ!」

 叫びました。魔物たちは一瞬、足が竦んで動きを止めます。それで充分。あっさり横をすり抜け、剣をふるって道を作ります。

 単騎の護衛、ウォール軍隊長は疾走の女王を止めようと出てくる金色の鎧に気づきました。気を引くように大きく気合を発し、剣を振りかざします。

 アナナスはそれに構わず、ミエールの前に割り込みました。斬りかかってくる軍隊長の剣を片手で邪魔そうに振り払い、自慢の斧を雪猫に向けます。

 風さえ巻き起こる渾身の一撃を、猫は身を沈めたかと思うとぽーんと地面を蹴り、なんと縦方向に避けました。

 その跳躍力は大男であるアナナスを軽く飛び越えるものです。アナナスが振り返ったときはもう、毛を波打たせて着地し、走り去るところでした。

「ゃっほぅ」

 ミエールは小さく歓声を上げました。初めての感覚です。そりゃあ、ここまでのジャンプ、馬ではできませんからね。猫はよく心得ていて、伝えきれない指示も汲んでくれます。

 ほら、見えました、あそこにいる鎧兵に隠されているのが簀巻きの芋虫。アメール王子です。ご自慢の美貌はどこえやら、冷たい肌に抱えられて相好を崩し、ヒィヒィ言っています。

 鎧兵はこちらに気付き、キラリと光る剣を向けてきました。

 猫は今度は低めに飛んで距離を稼ぎ、あっという間に鎧男の目の前に現れます。ミエールの、続いてウォール軍隊長の剣を受けて、鎧兵はあっさり倒れました。中身はやはり、牙持つ亜人間。魔物です。

「ミエール、麗しき女神、ありがとう助けてくれたん」

 アメール王子の感極まった言葉は途中で切れました。雪猫が、子猫にするように首根っこを咥えてポイと横に放ったからです。ゴロゴロ転がった芋虫は、ちょうどやってきた弓隊の馬に引き上げられました。

「それ、連れて行って! 避難民を追いかけて、私の弟に渡すの! コンポートの国よ、急いで!」

 それ呼ばわりしてしまいましたが、訂正している暇はありません。すぐに追い縋ってきたアナナスが待ち構えているからです。

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