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月夜に歌うシルキー・ヴァニーユ 3

 北門の桟橋は大勢の人がひしめき合ってます。お祭り騒ぎになっていますが、ちっとも楽しくはありません。

 子供の手を引き、せいぜいかき集めた荷物を背負って、皆、不安そうな顔をしています。早く渡って、安全な所に行きたいのですが、向こう側にはコンポート国の兵隊さんが、何だか怖い顔をして槍を構えているのです。

 さすがに強行突破はムリです。ただの町人ですし、丸腰ですしね。でも、コンポート国に抜ける道はここしかないのです。

 ざわめく人の中から、マントの青年が前に出て桟橋に立ちました。

「俺はビスクヘルム臨時国王、レザン・ビスクだ。先んじて事情説明の使者を送ったはずだが、援軍はおろかこちらの避難経路まで阻害するとは。コンポートの国は一体この事態をどうお考えか。お聞かせ願いたい」

 ああ、お城の人たちもやっと到着したようですね。

 レザンが声を張ると、羽つき兜の騎士と思しき一人が応えました。

「我が国の王子がまだ戻らぬ! まずはその安否を確認してからだ!」

「バカ言ってんじゃねーぞオラァ! これじゃその王子様連れてきても入れやしねー、本末転倒だろうがよぅ!」

 料理長が腕の筋肉を膨らませて怒鳴り返しました。まだワイルドキャラを保っています。

 キリキリするのも理由があります。門の向こう、騎士さんの傍らでは、何人かの兵士が格子戸の仕掛けにかかろうとしているのが見えます。何と、門を閉じてしまうつもりのようです。

「人質に取られたと思ってるんだろうな」

 まあ実際そうなんだが、とレザンはこっそり呟きます。相手の疑念はなんとなく判るのです。

「その件に関しては心中お察しする。こちらも総力をあげて、勇者自らが王子の保護に向かっているところだ。間もなく無事にお戻りあそばすだろう」

 そして誤解を解いておこう、と、ひときわ声を張り上げ、続けます。

「まず、我々はジャンドゥーヤの軍ではない。この老人、子供と女たちが偽装兵士に見えるのか? 人道的な配慮を願う。事は一刻を争うのだ」

 相手は何もいいませんが、お互いの顔を見合わせているようですす。

「我ら勇猛果敢なるビスクヘルムの民。虚偽で国を盗る気なぞない。そんなチャチな人間同士の争いとは違うぞ。これは魔との戦いだ。そう、魔物だ。王子を拐かしたのは魔族らである。今まさに魔界が人に侵略せんとする時、人が力を合わせぬのなら」

 突然、海を割ってシー・サーペントが飛び出して来ました。甲高い鳴き声を上げて、もたげた鎌首を桟橋の人間に向かって突き出します。

 一口で食われてしまいそうな位置ですが、レザンは慌てず騒がず、詠唱を終えた杖をシー・サーペントに向けました。

 鼻先に一撃食らったシー・サーペントは驚いて後ろに下がります。いえ、下がろうとしましたが、それより早く全身が動かなくなっていきます。詠唱にも大した時間はかかっていないのに、よほど魔力が強いんですね。シー・サーペントはあっという間に、巨大な氷の柱となりました。

「三枚」

「あいよっ」

 ぶっきらぼうなレザンの指示に、料理長は喜んで飛びかかり、冷凍魚に包丁を振るいました。

 ガシャーン!

 捌かれた柵は、ぼちゃぼちゃと海に落ちていきます。砕けた割に、なかなか上手くおろせたんじゃないでしょうか?

「こりゃー骨っぽい、食べるのは苦労しそうですぜぇダンナぁ!」

「ふん。手合わせとしてはおやつにもならん。しかし急に出てくるとは。もしかして、魔王にでも呼ばれたかな?」

 あちらにも聞こえるだろうほどの大きな声で雑談を済ませ、レザンは咳払いをしてみせました。

「失礼、話の途中だったな。ええと、そう……今、人が力を合わせぬのなら。魔物としてはラクだろうな、人間の方から自滅してくれる」

 これで羽兜の騎士さんは心を決めたようです。慌てふためく部下に「おいっ」声をかけ、門を開けさせ、脇に退きました。

「勇者様にご武運を」

 小走りで逃げ込む民に埋もれながら、レザンはゆっくりとビスクヘルムを離れる道を歩きます。

「ああ。祈れ。祈りはいくらでも必要だ。勝利なら掴んでくる」

 気持ち確かめるように、一歩一歩を踏みしめて。


 ざく、ざく、ざく、ざく。

 行進のジャンドゥーヤ軍はいつもの厳しい姿を保っていますが、モチベーションはどこか散漫気味でした。

 指揮官たちで諍いなど起こしていれば、そりゃあ付いていく方も不安になります。まずアナナスは眉間に皺寄せ、頭痛でも堪えているような面持ちなのです。ただでさえ怖い顔がもっと怖い。

 でも実際、頭が痛いのです。凍った顔の半分が、キリキリと痛みます。だって、耳の奥には尖った姉の声が響き続けているのですから。

『やってしまえばよかったのに。なまっちょろい仏心なんか出さずに、ずっぱり殺ってしまえば、人に冷酷さを見せつけるいい機会になったわ。アナナス。聞いているの?』

『んむ』

『ヘタに真面目なところがあるから、アナタは見ていて心配になるのよ。これから勇者も相手をするというのに全くそれじゃあ』

 お説教はまだまだ続いていますが、対面ではないので聞いているフリは容易いのです。

 煩わしさに耐えながら、アナナスは黙って歩を進めていました。すると。

『……なにかしら』

 ふと、小言が途切れたと思ったら低い音で呟かれました。ちょっと様子の違う会話に、アナナスは心につけていた耳栓を抜いて、どうかしたのか、と聞いてみました。

『水晶に……波が……何か……近づいてくる……』

『勇者か』

『いいえ、これは……』

 さてこちらも不機嫌そうなのはアラザン王子です。

 頬膨らまし、殊更不満気な顔を晒しながら、アナナスの部下に……つまり魔物隊に周りを取り囲まれ、しぶしぶ行進に加わっています。手厚い警護にも見えますが、要は捕虜扱いです。逃げる隙もありません。午前中にはそこそこの軍隊を操って得意気になっていたのに、今その軍を指揮しているのは実質アナナスです。面白くありません。

 もうずっと、苦虫を噛み潰して丹念に味わっていたので、前の隊列が乱れはじめてようやく、何かおこっているらしい事に気が付きました。

「雨、か……?」

 聞こえてきた言葉にやっと思い立って空を見上げます。

 確かに、暗くなってきました。でも、この空模様はどこかヘンです。

 雨雲が広がっていれば空全体が薄暗くなり、いわゆる曇天になっていきますよね。

 頭上に暗さが広がっていきます。空の一角から滲み出て、じわじわと辺りを侵食している、それは薄雲でも何でもない、純粋な闇です。そこだけ夜の空のような。闇のカーテンごしに見る太陽は不吉な赤に染まり、まるで月のようです……

 でも反対側の、海向こうは明るいのです。というか、今まで通り晴天の空です。

 真っ青な空に真っ黒な一角。

 これではまるで空に広がるインクです。その根源の、割れたインク壷とは一体……?

「三角山か」

「将軍!」

 のんびり呟くアラザン王子と対照的に、魔物隊は今やハッキリと慌てふためいていました。

 何だろうと思っている間に、魔物隊は切羽詰まった様子で言葉も少なに目配せをしあい、王子の囲みをあっさり解いて、布を被いたりマントを持ち上げたりと、それぞれ顔を隠しながらの戦線離脱、文字通り尻尾を巻いてどこかへ逃げていきました……さよならも言わず。

 ポカーンとしてその後姿を見送ったアラザン王子は、急に開放された自分と、自軍しかいないこの状況を、遅ればせながら把握しました。

 逃げた……んだと思います。だって、コソコソとしてましたし、号令もありませんでしたしね。そうと分かれば。

「お……おお。やった」

 今までの苦虫の味はすっかり忘れ、晴れ晴れとした気分が広がります。指揮権が戻ってきたのです。

 同じくポカーンで、顔を見合わせていた隊列に元気に号令をかけました。

「気にするな! よし整列! 行くんだ! 前へ!」

 脳天気な指揮官より冷静でいられた兵士は、あまり気乗りがしませんでしたけれどね。

 だって、これはあからさまにおかしい天気ですし、どこからかゾッとするような冷たい風も吹いてきます。初夏の爽やかな気候のはずなのにです。魔物たちだって、どうして急に居なくなったのか、解せません。それでも、命令とあらば行かねばなりません。

 ざく、ざく、ざく、ざく。

 やはりというべきでしょうか。続けられた行進は多く行かないうちに、叫び声によって止められる事になります。

「何だあれは!」

 あれは、と一人の兵士が指差す方向を眺め、一同はゾッとしました。

 指の先は三角山です。進軍の間にいつのまにか、三角山の随分と近くまで寄っていました。逢魔が刻を行くような辺りの景色に、山の斜面がシルエットとして真っ黒に浮かび上がっています。

 その聳え立つ山肌に、いくつもの赤い炎が、まるでロウソクをびっしりと立てているようにチロチロと瞬いているのです。

 あれは何だ。一体何があるんだ。

 その正体が判ったらしい、兵士の一人が震える声で、言葉にならない悲鳴をあげました。

 眼です! 

 数多の生物の目が赤く燃えて、じっとこちらを見ているのです。

 黒い山の輪郭線は木々ではありません。立ち並ぶ人影です。揺れるように見えるのはそのまま瞬きのためです。びっしりと山を覆って並び、こちらを監視しています。ああその不気味な事!

 暗くなった空は紫の怪しい薄明かり。慣れてきた目でよく見てみれば、山の上から見下ろす目はどれも人とは違う体つきをしています。そうです、山を埋め尽くす勢いで現れたのは、魔物達なのです。

 立ちすくむ兵士を嘲るように、ゲヒヒ、ゲヒヒ、と甲高い笑い声が聞こえました。

「タマシイ チョウダイ! ワルモノノ タマシイ オイシイサン フレッシュ タマシイ サイコウキュウ! ゲヒヒ! ゲヒヒ!」

 風に乗って、自身こそ黒い魂のようなタマトリドリが、兵士達の頭の上をふわり、ふわりと漂ってきました。

「マオウノ グンタイ ツヨイカラ タマシイ イッパイ デキルネ ゲヒヒ!」

 天にでも登るように、フラフラと上昇するタマトリドリを目で追えば……見えますか?

 魔物たちの居場所の一番高いところ。末広がりに並んだ魔物階段の天辺。張り出した大岩に、すっくと立った黒い影。

 それは暗い中にも尚黒い、漆黒の存在感です。抑えきれないオーラにマントを揺らす、白い顔と赤い髪。ゆるくくねった角。

「マオウサマノ オナーリー」

 呼び上げられたのを合図にゆっくりと手を上げると、ザッ! 魔物は一斉に武器を構えます。マントが大きく翻り、血の色の裏地を宙に流しています。

「まさか。あれが」

 魔王。

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