月夜に歌うシルキー・ヴァニーユ 2
チュロスの街の人達は無事に首都に着きました。でも、休む間もなく北口から出て、コンポートの国へ行かねばなりません。馬車の車輪の重い音、子供の泣き声、人のざわめき、音は絶えることなく城にも届いています。
身支度を直して、ミエールは広間へ続く扉を開けました。
重いマントを外し、編んでいた髪も下ろしています。その頭には、シンプルな意匠を控えめに彫った幅広の金環が嵌っていました。それは兜でもあり、王冠でもあります。ビスクヘルム、正しい意味でこの国の王を示す装備です。
完全武装で現れた女王に、従者が剣を掲げ持ってきました。シュクルです。
普段は宝物殿で次の儀式を待つだけの宝剣。戦で使われるのは、もう何年ぶりになるのでしょうか。ミエールは少しだけ祈るように瞑目し、意を決して白く輝く剣を佩きました。
広間にいっぱいの人々は、じっと女王を見ています。城に詰めた家臣や使用人です。皆緊張した面持ちで、女王のお言葉を待っています。
「最初に出立した組はもうコンポートの国に着いていますが、アメール王子の安否をと重ねて厳しく問われ、受け入れに難色を示されています」
「すぐに連れてくるわ。そう報告して王に取り次いでもらって。責任を持って身柄を保護してきますので、私が安心してその任に当たれるようにご配慮を乞う、と」
レザン、と弟を呼びます。
「あなたは後発の人達を連れてコンポートへ向かって」
「……俺も姉上と一緒に行くよ」
「ダメ。言わなかったかしら。私は勇者よ。そこは譲れない。だからあなたが王様。あとはよろしくね。……そんな顔しないで、ねえ助けてよ。王様役がいれば私、手が一つ空くの」
お願い、とミエールは笑ってみせます。でも解っています。
私に万が一の事があっても、あなたがいれば血は絶えないから。
一番肝心なところは濁しました。賢い弟にはそこまでちゃんと聞こえているのでしょう。軍場に連れて行ってくれない不満でなく、帰ってくるのか心配そうな顔をした所からも、それは伺えます。
「頼むわね。あなたはビスクヘルムの王なのよ。コンポートとの交渉は任せたわ。援軍も寄越すように話をつけて頂戴。事は国同士の争いじゃないの。魔物の襲撃よ。そう言えば、事態は把握してくれるでしょう……じゃあ軍隊長、レザンをお願いね」
「ウォール! 姉上をお守りしろ。俺はこの国の王だぞ! 命令だ」
軍隊長は姉弟の顔を目だけでキョトキョトと見比べましたが、やがて頭を下げてこう言いました。
「私は国を守る仕事に就いております。そして今の流れでしたら、王の命令に従わねばならんようです。拝命いたします」
レザンに、続いてミエールに、順にお辞儀をして「お供いたします」宣言しました。
「王子様のお守りならアタシがやればいいのよー!」
力強くも野太い声が人波から上がりました。その間を掻き分けて出てきたのは、料理長です。よく光る出刃包丁を手にしています。
「アブないことが起こると言うなら、アタシの包丁が黙ってないさー! 三枚に下ろして今夜の食材にしたるわ!」
奇声を上げながら逞しい腕で包丁を振るい、ヒュッヒュンと風を切ります。いかにも強そうな人の登場に、一同ホッとしました。いや? 危ないパフォーマンスにひそかな溜息が出たんでしょうか。
「頼むぞ、料理長」
軍隊長が皆に代わって礼を言うと、料理長は真っ直ぐその目を見返して、ミュージカルでもやっているかのように感を込め、高らかに歌いあげました。
「アンタがいるなら何でもできるー! アンタが無事なら何でもやるさー! そうそう女王様、兵には腹いっぱいメシ食わせておきましたからー! 滋養強壮、疲労回復、勇気百倍の料理ですさ!」
「助かるわ料理長。……マダム」
「はい」
次に呼ばれて嬉しそうに、マダム・マロンは立ち上がりました。
「付いてきてくれる?」
「もとより」
ええ、とても嬉しそうに。ニコニコしながら。
「勇者と共にあった占い師の、私とて末裔。今更逃げる算段はしないでしょうよ」
ありがとう、とミエールは口の中で呟いて顔を上げました。
「私は撃って出る。敵の軍を止めなければならない。殲滅させなきゃいけないわけじゃない……国民の路はきっと、レザンが開いてくれるでしょう。だから援軍が来るまで持ちこたえる事を目標に、足止めを。軍隊長、いいわね」
「はっ」
「じゃあ行きましょう。残りの人達も避難を始めて。民を誘導して、しっかり守ってあげてね。お願いします」
「陛下!」
慌ただしい靴音と共にやってきた兵士が来訪者を告げます。
「大変です、ニッキー様……ニッキー王兄殿下が」
俄に驚きの走った広間のざわめきが収まらないうちに、狩人の格好をした一団がどやどやと入ってきました。先頭に立つ、逞しい壮年男性の腕に、血に汚れた鎧を纏った男が抱えられています。
「兄上!?」
喉を抑え、叫ぶように兄を呼んだミエールは、床に置かれたニッキーの体に駆け寄って取り縋りました。レザンも心配そうな顔で横に膝をつきます。
「兄上……ああ!」
間違いない、兄です。もう長らく顔を合わせていませんでしたが、間違いありません。久しぶりに会ったと思ったらこんな姿なんて。
「大丈夫、死んではいない。どうか手当てを」
運んできてくれた男性の声に、マダム・マロンが飛んできました。回復の魔法を唱えると、ニッキーの表情が少し和らぎました。うっすらと目を開けて、
「……おお、ミエール……おはよう」
「おはよう……」
ミエールはちょっと考え、呑気な兄のおデコをベチリと叩きます。
「何よ! 言いたいことは色々あるけど! どうせ無茶したんでしょう!」
「悪魔将軍、結構強かったよ」
「やりあったのね」
「……知ってたのか」
ミエールはゆっくり体を起こしました。悪魔が関わっている事、アナナスの姿を見た時点で知っています。悪魔がいれば、勇者が剣を抜く大義名分ができますから。それを伝えたかったのでしょう。
「あとは任せて。大丈夫」
力強く請け負って、ミエールは立ち上がりました。そこにいるのは勇者です。ニッキーは眩しそうにその姿を眺めました。
「レザン、兄上も連れて行ってね」
「分かってる」
ミエールに代わってプラム……助けてくれた女性です。ニッキーの彼女の。……プラムがそっと隣に寄り添いました。
決して優しい目をしてくれない彼女に言い訳をするように、ニッキーは苦笑してみせます。
「……もう船で逃げてくれているものだと思っていたのに」
「あのね、私、怒っているの。すぐに行くって言ったわよね、あなた。待ってたのよ、第二埠頭で。破る気満々のウソついたんでしょ」
「ああ……ごめん。プラムちゃんは無事でいて欲しかったんだ……それなのに……結局俺は、勇者にはなれなかったけど」
「バカね」
首っ玉にかじりついて、女は囁きました。
「勇者だから言ったウソじゃない。知ってるわよ。あなたが勇者な事なんて解ってるんだから、正直に言えばよかったのに。本当に許さないから」
怪我人を囲んで様子を見る狩猟会の面々に、ミエールは頭を下げました。
「この度は、兄を助けていただいて……本当に」
手を降ってみせたのは壮年の男性です。顔に見覚えがあるのは、ペカンペリカン事件の時にお会いしているからです。確か、頭領さんでした。
「いや、わしは手伝っただけでな。どうせ戦いに行ってるんだ、助けに行くと言い張ったのはうちの娘です。あの男勝りがこのところめっきり女らしくなりましてな、行く先不安に思っていた父親としては、その礼も兼ねて……あとは力を貸してくれた組合の連中にも」
どれも、半分は獣の皮にくるまった男たちが、頷いたり苦笑したりしてみせています。ミエールはそれらにまた丁寧に頭を下げました。
「兄は私の弟に預け、避難してもらいます。皆様もご一緒に」
「私はまだ残ります」
きっぱりと言い切り、恋人の会話を終えたらしいプラムが、栗毛のポニーテールを大きく揺らしてらこちらにやってきました。
「こんな場面ですけど、初めまして女王陛下。私、プラムと言います。私もついていっても構わないかしら。あ、危険は承知。ただ勇者の意志……ニッキーの意志は、本当はまだここにあると思うんです。本人は不本意ながら下がりますが、せめて代理として、私が」
「お前が残るならば、私も同行せねばならんだろうな」
父親が言い、狩猟組合員の皆様も名乗りをあげてくれました。
ミエールは嬉しいような、困ったような顔を見せて言いました。
「兄を助けてくれた恩人でもあり、また兄の大切な人でもあるらしいあなた方に、危険な目に一緒に会いにいってくれと頼むのはとても心苦しいのですが……今はこの戦力はとても貴重なものなのです。ありがたくお受けいたします。でも、危険だと思ったら命を一番にされてくださいね」
ニッキーは担架に乗せられ、脱出組の馬車へと運ばれていきました。後に続く人たちも、次々に部屋を出て行きます。
肩に渦巻く豊かな蜂蜜色を揺すって背中に投げ、ミエールは手にした勇者の剣を少し引きました。光沢を持つ白が、淡く輝きます。
「よし。……行きましょう」
「陛下!」
そこに二度目の伝令がやって来ました。
「あの……門の所までおいでください、お届け物……です」
「お届け物?」
何でしょうか、こんな時に。
外まで出向いてみたら、おや。何かいます。兵士が数名、それを囲んでソワソワしています。近づいてみると、解りました。これは……猫です。
いや、猫と言いましたが正確には猫科の何かでしょう……だって、この猫、大きいです!
大型の猫科、虎やライオン程の、いや言ってしまえばこれ、グリズリーくらいのボディを持った大きさです。
ただ、造形がどう見てもイエネコ寄りで……三角耳と大きい目。そして毛並みは長毛種。尻尾など、一抱えある毛叩きのようです。今もどったり横流れに座って、瞬きもゆったりと、人間どもの慌てる様を眺めています。家の中でくつろぐネコの周りにおもちゃの兵隊を並べたような、トリックアートじみた光景です。
「これをつけておりました」
一人の兵士がメッセージカードを差し出しました。
『もう可愛いネコがおいででしょうが、お約束の品をお贈りいたします。どうかお役立てくださいますよう。
愛するミエール女王陛下へ
ヴァニラ・ヴァニラ・チリペッパー・アジョワン・ターメリック・ユズレモン三世より
P・S 物事には順序というものがございますゆえ、どうか先住猫の方にご寵愛を』
「約束の品って」
舞踏会の夜が思い出されます。
「珍しすぎるでしょ……世界のどこにこんなコいたの……」
改めて見れば、柔らかそうな皮の鞍が、赤い布を敷いた上に嵌められています。真っ白な毛並みに、よく栄えます。
「……乗っていいのかしら」
言葉が通じたように、猫は喉を鳴らしました。意を決して鞍に腰掛けてみると、大きな猫はのっそりと立ち上がります。ついでに、ぐーっと伸びもしました……
意を決して鐙に足をかけ、馬と同じように上がってみました。
いざ乗ってみると、これがなかなかの乗り心地。撫でる手触りもフワフワです。猫ですからね。馬銜はありませんが、首元に皮の頸環はかかっているようです。リボンのような手綱を手繰れば、耳がぴくぴく動きました。なんだか急に安心して、今まで乗り慣れた馬よりも意思疎通が出来るとさえ思えてきました。
「出動してくれるかな?」
ぐなーん、と、低音喉声で返事をしてくれました。こう見えてもやっぱり猫、らしいです。
城から勇者の一団が、不思議な白猫を先頭に出て行きました。
馬の上には戦士と弓手。占い師は二頭の馬に繋いでもらった車の中に。後詰の歩兵はその後に。
いよいよ決戦です。索敵に気を張っていた一同の中に、遠くの空に影が差し始めているのを、不吉と気付く者はまだいませんでした。




