月夜に歌うシルキー・ヴァニーユ 1
六枚目 月夜に歌うシルキー・ヴァニーユ
昔むかし、といっても十年一昔というなら二昔ほどむかし。
ビスクヘルムの国は喜びに包まれていました。待望の、王子が誕生したのです。
ああよかった。これで安泰だ。国の人達も、世界の人達も、みんながそう思いました。
だって、この国の王様は勇者になるのですから。
勇者に跡継ぎが出来たのです。こんなに嬉しいことはありません。
長男王子はニッキーと名付けられ、強くなるようにと願もかけて、ほんの赤ん坊の頃から剣のおもちゃなど握らさせておりました。
「将来は勇者なのだから、強きをくじき弱きを助ける、一廉の人物にならなきゃいけないよ」
皆の期待を一身に受けて、王子ニッキーはすくすくと育ち、体格も良く力も強く、小さいながらも立派な剣士になりました。
その頃には、妹のミエール、弟のレザンも生まれ、三人兄弟になっていました。三人は仲良く暮らしていました。
ミエールは美人だったので、周りの期待は実のある結婚にありました。でも、ミエール自身はニッキーと一緒に剣の稽古をするのが好きだったようです。率先して剣を取り、ニッキーの練習相手になりました。妹はなかなか筋が良く、年上のお兄ちゃんもうかうかしていられません。妹に稽古をつけてやれることを、むしろ良い好敵手にすらなれている事を、ニッキーお兄ちゃんはとても嬉しく思っていました。
弟レザンは魔法に進んだので一緒の練習は少なかったのですが、ちゃんと勉強しているようです。体力の薄い弟には、絶対お兄ちゃんが守ってやるからなと、ニッキーは固く約束していました。
それがきっと勇者の仕事ですものね。ニッキーは勇者でいられる事を、とても誇りにしていました。
ところで。
勇者とはそもそも天が定めたものです。覚えているでしょうか。
天界の使者が勇者の存在を告げての始まりです。今は簡単な儀式を通じて、天の意志を量るという事になっています。
ニッキーが十六歳になった時、儀式は執り行われました。この世界では十六は、もう大人の仲間入りになるのですよ。
「さあニッキー、これを」
広間に三人の兄弟と、臣下一同を呼び寄せた父王オーリンは、大層もったいぶって手にした剣をニッキーに渡しました。
それは伝説の剣。名前をシュクルといいます。勇者が魔王を倒した伝説の剣です。
そうあの、天の鋼をもってして生み出された宝剣で、天使シュクルから頂いたという、勇者の剣ですよ。
見た目は真珠色に輝く鞘に収められた、思ったより細身の剣で、華奢な……いっそ儀礼用のものに見えますが、伝説によれば使う人によりその姿を変え、常に最適なフォームになると……まあ伝説ですけれど。世の中が平和だったお陰で、もう何年も抜かれておりません。
ニッキーは恭しく、でも得意気に、勇者の剣、シュクルを賜りました。
これから剣を抜きこの世を守る宣誓をして、儀式は終わります。勇者というより、成人のお祝いや、次の世代の王様をお披露目するという意味合いの方が、今は強いですね。何しろ平和なものですから、誰も予定調和を疑っていませんでした。もうこの後の宴会の用意ができています。ところが。
ニッキーはなかなか剣を抜きません。いや、抜かないのではなく抜けないようです。
始めこっそり、そのうちはっきり、力を込めて剣を抜こうとしています。ついには小脇に抱えて「ふんっ」などと気合をこめて引っ張っていますが、どうにもこうにも。
「もしかしてサビているのでは」
「バカな! これは錆るような素材ではない」
「そんな。不吉の前触れではないのか」
周りの声に囁かれ、顔を真っ赤にしながらもニッキーは剣を相手に格闘しています。手を貸そうと従者が鞘を持ち、ニッキーが柄を持って二人がかりで引っ張ってみましたがダメでした。
シュクルを振るえるのは勇者だけ。天の意志を伺う名目。
「まさか……」
オーリン王は呻きました。ただ形式上の儀式だと思っていたものに、確明とした、大いなる意志を感じて密かに震えました。
「父上、これはまるでひとかたまりの代物です、こういう杖でなく本当に剣なのですか」
不遜にも王子が文句をつけています。そんなはずはない。自分でその剣を引き抜いて王座についたオーリンはよく解っています。今までの王もそうしてきたはずです。
動けないオーリンの代わりに、前に出た者がいます。ミエールです。スカートの裾を引いて兄に近寄っていくのを、オーリンは極度の緊張に縛られて眺めるしか出来ませんでした。
「貸して」
喉が乾くのか、掠れた声でミエールは言いました。その目は剣に釘付けで、燃えるような興奮が閃いています。
ミエールは両手で剣を握り、軽く引いてみました。
僅かな音をたてて鯉口が下がり、白刃がするりと抜き出てきます。
一同が、溜息のような声を漏らしました。まるで刀身から波動が出ているかのように、畏怖の念を感じて気圧されます。まさしくこれは天界の一品。
ミエールは流れるような動きで手にした美しい刀身を真っ直ぐ立て、吸い付けられるようにキスをしました。
「今ここに罷り越しました私は名をミエール・ビスク。勇者の末裔、オーリン・ビスクの娘。願わくは正しき使い手に、幾多の勇者の魂よ、剣のご加護を下しおかれませ」
教わらない言葉を淀みなく歌い上げます。
人の意識の混ざらない、完全に忘我の表情で剣を見上げるミエールはとても美しく、まるで一幅の絵のようでした。
十五代目勇者、ミエールの誕生です。剣が選んだ勇者。それは、誰の目から見ても明らかでした……
ニッキーはその日のうちに城を去りました。置き手紙一枚、ただ未熟の身ゆえ修行に出ると、それだけ書いて誰にも何も言わず居なくなっていました。
兄のことが大好きだったミエールは兄の行方をとても心配していましたが、その気持ちを慮り、無理に探しだして連れ戻る事はしませんでした……
倒れる兵士の上に、切り捨てられた別の兵士が重なります。
「大将、こいつなかなかやりますよ」
弓を引きながら報告してきた一匹も、疾風のようにやってきたニッキーに縦半分に斬られ、左右それぞれで地面に転がりました。
転がった先から、本性を表します。角が生えたり羽が生えたり、人外の姿に戻ってしまうのです。
「どうやら、手加減しなくていい相手のようだな」
ニッキーは陽気に叫びました。
「よし来い、かかってきやがれ魔物ども。この際片っ端から潰していく事にする」
一騎当千とはこのことです。アナナスの部下も強いのですけれど、ハイになったニッキーを止められるほどではないようです。バッタバッタと打ち破られ、魔物隊への被害が拡大していきます。
何してる、とアナナスはアラザン王子を睨みつけました。もう、どっちが大将かわかりません。
悔しそうに、でも従うより他なく、アラザン王子は号令をかけます。
ようやく人間の軍隊が動こうとしましたが、それがジャンドゥーヤの装いを身につけた、紛れも無い人間の兵士と見ると、ニッキーは剣を掲げ大声を浴びせました。
「俺は勇者だ! そこを理解した上でかかってくるやつは来い! だが重々覚悟してからにしろよ! 紛れて来られれば魔物も人間もいちいち見分けないからな!」
人間ならば、勇者というもの、倒すべき相手ではないことは重々わかっています。
これで鎧の一列は狼狽えて、結局、ざわつきながらニッキーを囲むだけで何も出来ないでいます。
えい、使えん連中だ。
「どけ」
アナナスは短く命令し、ニッキーに寄っていってた部下を下がらせました。
「お、来たな大将」
大斧を握りしめ前に出るアナナスに、ニッキーはぎらついた笑顔をみせました。
「ハナからそう来ればよかったのによ!」
「我の知っている勇者とは違ったからな。まあいい、誰であろうと腕がたつなら相手にする。本当に勇者だったら、それはそれでめっけもんということだ」
「安心しろ、何度も言うぜ。俺が勇者だ」
飛びかかるニッキーからの一騎打ちがはじまり、周りは息を詰めてそれを見守っていました。いや、手出しができないのです。力のぶつかり合いに、ちょっかいを出すスキが見当たりません。
人間側としては、ここで勇者が勝ってくれたら無理な遠征はしないですむのではないか、などと打算的な事も思わないでもありません。こっそり拳を握って応援しちゃいます。
どうしようもない上司に振り回されるのは兵士の務めで仕方ないとしても、魔物の手先になって自分たちの首を締めに行く事は、本当はしたくないですからね。構えたままの槍の先は、争う二人より、周りの魔物隊がヘンな動きをしないかを気にしているありさまですから。
二人の戦士は戦い続けています。
攻撃、回避、攻撃、防御、攻撃、攻撃、攻撃。
どちらも上手く躱され受けられ、決定打はありません、それにしてもニッキーのあの嬉しそうな顔。水を得た魚のような暴れっぷりです。ともすれば呵々と大笑しそうな、ぱんぱんに膨れた感情です。
「はは、やるなぁ魔物め」
凶暴な笑顔で声を漏らした直後です。重たい大斧の上からの振り下ろしに、逃げるのが間に合わなかった剣の腹がバキリと圧し折られて二つにされました。
舌打ちして飛び退ろうとしたニッキーに、意外なほどの速度で分厚い鉄板が追いかけてきます。
「ぐあっ!」
ついに血しぶきが飛び、ニッキーの左肩を覆っていた鎧の部品が地面に落ちて跳ねました。
「ニセモノの地金が見えたかな」
「黙れ! ニセモノではない!」
すかさずショートソードを抜きながら、ニッキーは叫びます。
「この血、この心に偽りはない! 確かに俺をそう罵った者もある。偽物だったのか。期待したのにと。だが俺はそいつらを恨まん! ニセモノなどでない事は、俺がよく解っているからだ!」
もう一度、己が気合を寄せ集め、ニッキーは咆哮しました。反対に、アナナスはぽつりと呟きます。
「そうか。お前も、期待された手駒か」
悄然と持ち上げた斧に、ショートソードが襲い掛かります。
高い金属音。手応え。
そして、戻ってきた静けさの中、ついにニッキーは地面に手を付きました。傷が増え、血が流れているのは感じますが、負荷に潰れず、膝は片側しか付けなかった事を自分で褒めました。
「フ、フフ」
やはり嬉しそうに笑いながら、再び立ち上がってアナナスに向かいます。金色の鎧男は怪我をしたわけでもなさそうなのに、何故か辛そうに横を向いていました。さっきまでのやる気が全く見えません。
「何だ。お前もなのか。フフ。魔界もなかなか世知辛いな。手駒などと言うな。俺は俺だ。俺は選んでここまで生きてきた。剣は俺を選ばなかった。俺は選んで城を出た。俺は選んで強くなり、今、選んでここにいる。
愛する者を得て、それを守りたいと思って剣を取った。俺は勇者だ。他の者が何を言おうが、俺は知らん」
ニッキーは思ったことをそのまま口にしました。敵相手に身の上話など不思議なものでしょうが、実直型のニッキーなら相手が犬でも同じ熱さで語るのです。
でも、自分の意志を表明しただけではありません。ちょっとばかり、相手の態度が気になるのです。
相手は腕の立つ戦士、であればこそ、いじけてスネた剣など振るってほしくはありません。ましてや命のやり取りをしようとする相手ならです。
「お前は手駒のつもりなのか。己で選んで戦った戦士ではないのか」
おっ。ようやくこっちを向いたな。
苦しい息を吐きながらも、嬉しくなったニッキーは挑発を重ねます。
「続けようではないか。己が意志の元に」
長い沈黙の後に、「そうだな」との返事を貰いました。遅いぞ。何を迷っている。だけれど、構えられた武器に戦う意志を見出して、ニッキーは深く息を吸いました。痛みがそろそろ全身に回っています。目がかすみ、頭がゆらぐ……その前に、行かなければ。
ぬるつく柄を握り直し、必殺の意気を剣先に乗せて、走ります……!
人間の軍に、ああ、という嘆息がひっそりと漏れました。
切り結んだ二人の戦士のうち、倒れ伏したのはやはり、ニッキーでした。
さくり、と草を踏む足音に気がついたのか、前のめりに地面に張り付いていたニッキーは、震える腕を張っていかにも重そうに体を返し、ごろりと仰向けになって近づく金色の鎧を眺めました。
「……俺の最期の相手は何て名前だ。聞かせてくれないか」
倒れてもなお真っ直ぐな瞳はアナナスを貫きました。
ああ、俺は名乗る資格なぞない。俺は言われてここに来た腑抜けだ。操られるままに戦い、お前の想いを潰した。だが勇者への誇りは傷つけぬぞ。
そう思ったので、自虐の苦さを無視してあえてアナナスは名乗りました。その後、苦しまないよう引導を渡すため、斧を持ち上げながら。名乗りました。
「アナナスだ。我こそが魔界の大将、悪魔将軍アナナスである」
それで満足してくれたようです。不足はないな、とニッキーは細く笑います。覚悟したように目を閉じて、それでも、続けて言った言葉は辛辣でした。
「ミエールは……勇者は……もっと強いぞ」
それには答えず、アナナスは腕を振り上げました。
「うっ」
短く呻いて、その手を引きます。凶刃を持つ腕に、深々と刺さったのは矢でした。矢はそれ一本ではありません。次々と飛んで、アナナスの鎧に音高く当たります。刺さらないまでも、はっきりと狙われています。
「ニッキー!!」
女の声がします。ミエールかと思ったけれど、違うようです。
聞こえるのは声だけではありません。群れなす馬の蹄の音。地響きをたててこちらに向かってきます。
馬に乗るのは、獣の皮で作った服を着た、弓を持つ一団です。器用にも足だけで馬を操り、攻撃を仕掛けてきます。馬も飾った軍馬でなく、人間も武装は薄いものでした。
この国の人間なら知っています。狩猟会の皆様です。あの、職業狩人の。
だからこそ狙いは正確。一斉に構え、引き絞った矢を放ちます。周りで悲鳴が上がるのを聞きながら、アナナスは斧を盾に身構えました。先頭の、乗った馬と同じ栗毛の女が、ポニーテールを靡かせながら慣れた手つきで弓を引きます。はっきりとアナナスを狙って。
音をたてて矢が飛んできました。一撃、二撃。狙い目が眉間とわかったので、広い斧の刃で叩き落とせました。
「ニッキー!」
さほど速度を落とさない馬からひらりと飛び降り、女は素早く倒れる勇者を助け起こしました。
「プラム、ちゃん……」
朦朧としながらも呟く呼びかけに、二人の仲が伺い知れます。すぐに手の届きそうな位置にいながら、アナナスは黙って二人を見守りました。耳の奥には姉の言葉が、早く殺せとせっつく声が、聞こえてはいましたが黙ったままでした。
「船、乗った、はずじゃ……」
「置いては行けないでしょ、こんな堂々と遅刻するような人を!」
腰から引き抜いた短剣を威嚇に翳してみせて、激しくアナナスを睨みつけていた女は、すぐに後から来た騎手にニッキーを託し、自分も次の馬に飛び乗りました。
騎馬隊全員、この勇者奪還だけに動いたようです。機動力を活かして来た時と同じ唐突さで去っていき、やはりアナナスはそれを追いませんでした。




