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戦場に立つシルキー・ヴァニーユ 3


 いい傾向だにゃあ。

 ヴァニーユは一人、いや一匹、満足げにヒゲを震わせました。

 ちゃんと自分で勇者だと気づいてくれたし、やる気も出してくれた。あとは大丈夫だろう。間違ってもあんなどうしようもない男と結婚なんざすまいよ。

 ヴァニーユは口には出さなかった自分の考えを、もう一度思い返してみました。

 勇者の仕事は世界中の人を守る事じゃない。魔王を倒す事だ。

 つまり、他所の人間とかち合っても何の問題もないのだ。

 人間のしがらみは大変だにゃあ。お陰で真面目な女王は上手いとこ騙されたじゃないか。でもまあいい、正義の味方でいれた方が彼女には魅力になるのだし、自分とコトを構えろとわざわざ宣伝しなくて済んだのだ。上々。上々だにゃ。

 いつになくドタバタと騒がしい廊下で踏まれないよう端っこを移動しながら、それでもヴァニーユはピンと尻尾を立てて、とてもご機嫌でした。


「イヤだわ、イヤだわ。こんな悲劇ってないわ」

 こちらの嘆きの声は、台所からです。

 避難のために人の少なくなった台所で、ふらっとやってきたヴァニーユにも気づかず、料理長は涙を絞って泣いていました。

「愛する二人が……引き裂かれてしまうなんて……! ああ悲しい。本当は行かないでと言いたい。アタシと一緒に逃げてくれと縋り付きたい。どうして貴方は肉体派なの」

 どうしたんでしょう。何となく言わんとする事は解る気がしますが。

「料理長ー、嘆いているところ悪いんだがおはよぅ、ミルク貰えるかにゃー。あと、おやつ」

「ヴァニーユぅぅぅぅぅぅぅ!!」

 見つかると同時にとっ捕まえられ、逞しい腕に締め上げられました。いえ、抱きしめられたんですけれど。ちょっとキツいです。

「んああああヤメテー苦しいーネコの潰しができるーあー」

「あぁ、ごめんなさい、でも、でも、ダメだわどうすればいいの、アタシの胸の嵐が収まらないんですもの!」

 なんとか湿っぽい檻を逃れたヴァニーユは乱れた毛並みを整え、「全く、どうしたのさ」と聞いてみました。

「戦争以外にあるもんですか、アタシの彼氏が戦地に赴いてしまうのよ!」

 わああ! とエプロンで顔を覆って声を上げました。なるほど、それは心配ですね……ところで今、彼氏と言いましたか?

「彼を危険な目に合わせたくないわ。いいえ解ってる、立場上、彼が逃げたりする事はできないと、それでも、それでも、愛の逃避行という文字が私を誘惑して離さないの! イケナイアタシ! いっそ後頭部ブチ殴って、引きずってでも安全なところへ移動させるべきじゃないかと、フライパンがアタシに囁いてくるのー!」

 肉厚のフライパンを握りしめ、悲劇の一人舞台が最高潮に達していたところに、ノックの音と来客の声がしました。

「料理長。いたか、失礼」

「ウォール!」

 声を聞いた途端、料理長は飛び上がって駆け寄りました。

 声の主は軍隊長です。ウォールは軍隊長の名前らしいですね。全身を板金鎧に包んで、準備万端です。

「ウォール、会いたかった」

「居残り感謝する。城も回さねばならないからな。手伝ってくれるのは本当に助かる」

「そんな。あなたの為ならアタシは何でも」

「城にはモルト大臣閣下をはじめ、全体の指揮を取ってくれる者がいる。よく指示を聞いて従ってほしい。部下の指揮官も一人置いていくから安心してくれ。ちなみに私は女王様と共に今から出てくる」

 ああ……! と太い溜息をついて、料理長はフライパンを胸に抱きました。彼氏、間違いなく軍隊長の事らしいですね。

「これも重要な事かと思って、伝えに来た。もう城にはぞくぞくと人が入ってきている。逃げてきた街の者達がぎっしりだ。中には具合を悪くしている者もいる。何か飲ませたら気も紛れるだろう……気休めだがな。だが、それしか出来ん。頼む、料理長。裏方の働きに助かるのは我らも同様。腹が減っては戦ができんからな。市民の安全は我らが命がけで守ろう、だから城の事は頼む。それを言いに来た」

 料理長の小刻みな震えが、ピタリと止みました。

「アタシの、働き」

「そうだ。そして、時が来たらすぐ他の人達と一緒に逃げるんだ。城の者として、避難の誘導は頼んだぞ。では。私は行く」

「ウォール!」

 切なげに、料理長は身を捩りました。そして潤んだ目で切なげに、おねだりしてみます。

「……いってらっしゃいのキス、して?」

「なんで!?」

 今までの悲壮な覚悟を決めていた渋みのある顔が、一転して目を剥きました……

 微妙な沈黙の後、もにゃもにゃと何か言いながら及び腰で行ってしまった軍隊長を見て、ヴァニーユは半笑いで聞きました。

「……キミらって本当に付き合ってるの?」

 キスのないまま、くねったポーズで固まっていた料理長はゆっくりと背筋を伸ばし、そして言いました。

「わからんかヴァニぃーユ、これは絆であーる!」

 今までに聞いたこともないような、男っぽい、ごんぶとな声です。

「はぃ?」

「信頼されているアタシには見える、これは、あの人とを繋ぐ信頼であーる! すなわち小指と小指のレッド・リボン!」

 力強い宣言です。質問の答えには、微妙にはずれている気もしますが……

 軍隊長の去って行った廊下の方に向かったまま、ヘンなイントネーションで野太い声を張り上げていた料理長は、一人芝居よろしくセリフを続けます。何ですか。まるで今までとキャラが違います。

「ばっちこーい人生の荒波! 今日という日は! アタシとあの人で困難を乗り越える始めての共同作業を行う素晴らしき日であーる! おう野郎ども、クマ捌け! クマ汁作って兵隊さんに食わせろや! 昔っからこの国の兵隊さんはな、クマ汁食って強くなったんじゃい! グズグズするんじゃあない! クマ捌けーぃ!」

 どこにあったのやら、一抱えもある三角グリズリーの塊肉が引き出されてきました。

「料理は愛情ー!」

 パーン! 料理長が包丁を入れると、何と、大きな塊が真っ二つにされます。

「料理は愛情ー!」

 今度はあっという間に薄切り肉です。

「湯を沸かせー!」

 ぐつぐつぶくぶく、あぶくを立てる鍋の前で雄々しく仁王立ちする料理長、目が血走っています。

 ヴァニーユはようやく、ここに来た目的を思い出しました。

「あのう、料理長。おやつを」

 目の前の猫皿に、コーンフレークがほんのぽっちり二枚だけ、カランカランと入れられました。

「贅ぇーぃ沢言うなよヴァニ公! 今日たった今から砂糖は貴重品扱いとなる! 好き勝手に食うことまかりならん!」

「……ぇぇー……」

「砂糖は南からやってくるからな」

 ぶっとい腕を組んで、料理長は説明しました。

「ごたついている間は入ってこなくなる。意地悪で言っているんじゃない、そのまんまの意味だ。貴重品なのだ」

「……なんだって!?」

「戦争している間は、当面、おやつ抜き。欲しがりません勝つまでは。わかったか!」

 ずばり言えばそういうことです。いつか言った通り、この国は農耕は盛んではありませんからね……輸入ルートが塞がったらすぐ困るのです。

 途方に暮れた顔をした後、ヴァニーユは黙ってその場を立ち去りました。

 台所は、料理長のバリトンが歌う血の気の多そうな歌で賑やか、猫ひとりいなくなるのに気づく者はいませんでした……


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