戦場に立つシルキー・ヴァニーユ 2
振り絞るような嘆きの声が、謁見の間に響きます。
「ああ……! ああなんてこと、国が攻められるだなんて……一体、どうなるの? こんなの、建国以来の事ですよ」
ショックのあまりに立てなくなったらしいテオレ夫人は、くたくたとその場にへたりこんでいます。でも、一様にショックを受けている人達は、誰も彼女に手を差し伸べる余裕がありません。同じようにしゃがみこまないように、必死に気を張っているだけで精一杯なのです。
魔物が攻めてきたって、こうはなりません。
いつもならば、知らせを受けたら号令一発、四十秒で支度しなと教育されている兵隊さんがあっという間に並ぶのに……ええ、魔物ならば。
建国以来は、確かにそうです。人間の軍隊がこの国に許可無く踏み入るのは、初めてです。アムス王の時代に感じた不安が、ここに現実となったのです。
「ごめんなさい……」
ミエールは皆の嘆きに顔を背け、極々小さな声で呟きました。
誰も何も言いません。何に対して謝ったのか、その場に居た一同、理解できてはいましたが、デリケートなものでもありました。
最初に突っ込めるのは、無神経か、世の中のあらゆる事象を割り切れる者です……ヴァニーユのような。
ヴァニーユは椅子の下から出てきました。チョイチョイ、と爪でスカートを引くと、やっと気づいて抱き上げられました。
「どうしよう……」
間近にあるミエールの顔も、テオレ夫人に負けないくらいに真っ青です。
「どぅしたい?」
抱き上げられつつ、ヴァニーユは言いました。押し付けてくる女王の頬を舐めて、少しなだめてあげます。
「どうしよう。対応を間違えた。やっぱり……あの舞踏会の意趣返しよね」
「まぁね。でも、もともとあのバカ王子は君に興味があった。この土地にもね。舞踏会は口実にすぎないょ」
「……私が我慢すれば丸く収まったかもしれないわ」
「それでケッコンするの? 祝福されたいんじゃなかった?」
「そう、だけど」
「あれ以外の対応は出来なかったでしょ。あれの言いなりになるなんて、キミはそんなつまんない女じゃないでしょ」
「でも。だって。私は女王よ」
内緒話にしては、段々と声が大きくなっていきます。震えているのも、判るくらいには。
「王である以上、国を思わなければならないわ。民の為を思って、まずは戦争を避けるべきだったのかもしれない」
「その後、民はどうなりますの?」
質問は背後から上がりました。振り返ると、マダム・マロンです。
「あれがこの国でデカい顔しはじめたら、それはそれは迷惑よぉ国全体が。ねぇ女王さん」
ミエールの頬は少し緩みましたが、また固く、への字口に戻ってしまいます。
「……私は勇者でもあるわ。勇者が他国の人間でも手にかけるだなんて、やっぱり、できない」
魔物は斬り伏せれば片付きます。人はそうはいきません。
ジャンドゥーヤの国も、勇者には当然、守るべき対象でもあります。そこはアマンダの思惑通りです。彼らに剣を向けることで他国からどういう目で見られるか、どうしても気になります。
「じゃあ、この国は誰が守るんだよ」
今度は弟君、レザンが聞きました。相変わらず、生意気そうに眼鏡を上げながら。
「勇者はこの国、守ってくれないの?」
「勇者とて、自宅に強盗が入ったら対処するのではないでしょうか」
あとを引き継いで軍隊長が答えました。
「ちなみに、城もセキュリティはバッチリです。泥棒が入れば即座に集結、確保に至ります」
さらに言いますと、と軍隊長は続けました。直立不動で真っ直ぐミエールに向かい、向けられた背中に声を張ります。
「私の守るものは国であります、相手が何であろうと国に向かってくるものを受け止めるのが責務であります。ちなみにですが……おそらく、そう思っているのは私だけではないと思います」
黒猫を抱く女王はゆっくりと前に、その場にいる一同に、向き直りました。
「好きに決めなょ」
いつものように抱かれた胸に顔を埋め、幸せそうに猫揉みしながら、ヴァニーユはゆったりと言いました。
「どうせイヤな選択肢ばっかりじゃない。好きでもない相手と結婚させられる。売られたケンカを買う。前者はこの国の不幸だし、後者はあちらさんの不幸だにゃー。ボクなら迷わないけど、肩書きがあれば迷うんでしょ。じゃあさ、動かないものはなに?」
「動かない……」
「選択肢すらないもの。あるんじゃない? 例えばキミの本質とか」
ミエールはハッとしました。舞踏会の夜、ヴァニーユ王子に言われた事を思い出したのです。
そうです、本質です。自分の変わらない根っこです。
その様子を見て、黒猫ヴァニーユはこっそりマズルを膨らませました。うん、解っているようだね。
「勇者で女王ができないんなら、どっちかにしなきゃネ。身は一つだからネ」
ミエールは夢から醒めたような顔を上げて、一人で呟きます。
わたし。私は。
「勇者です」
血筋で決まったものだとしても。人の都合でも天命でも。
「勇者をやるにも、責任があるのです。そうなった責任が」
十五代目勇者、ミエール・ビスクは頷きました。
「私は勇者であり続けないといけないの。自分の貰った称号を、放棄する事は出来ない」
だって、勇者の代わりはいないのですから。
「つまり」
ヴァニーユの尻尾がくねくねと動きます。
「政略による結婚など考えなくていい立場だ」
悪魔です。悪魔がいます。悪魔のささやき。
でも、正論です。
「ここの偉い人はキミだょ。女王でも勇者でも、まあどっちでもいい、好きなのやりたいようにやればいい。やってる人に、人が寄る。キミが動けばキミに付いてくる。この国を守りたいならきっと、他の人たちがキミを守るよ」
ミエールは頷きました。
「行きましょう、チュロスへ」
命令を発した時はもう、いつものミエールでした。迷いの欠片もありません。すっかり自分を取り戻したようです。
「私はそちらに向かいます。まずは話を……もう一度、話をしなければ。でも、もし……」
「何しろ、あっちはもうやる気なんだからね。受けて立つしかないってのが大前提だょ。話が出来ただけで御の字」
「そう……そうね……最悪の事態に備えて全軍、出撃の準備。まずは市民の避難を呼びかけて、城へ向かわせて。北の島からコンポート国へ抜けましょう。民の一時避難を要請して」
「あっ……あまりの事につい失念しておりました、申し訳ございません。実は今朝方、そのコンポートから連絡がありました。アメール王子がまだお帰りになってないと言う事でございまして、消息をお尋ねでした」
いつもはしっかり者で通っているモルト大臣も、さすがに冷静ではいられなかったようです。ここで重要事項を挟んできます。
しかし、そんな事言われても誰も知りません。確か、昨日のうちに帰国の路についたと思ったのですけれど。
「……探して。いたらすぐに保護して。あなた達は移動の準備よ急いで」
臣下たちは簡単に頭だけ下げて、急いで出て行きました。そのついでに、顔面蒼白なテオレ夫人も引っ張っていきます。
「ボクも行こうか?」
ヴァニーユは言いました。一緒にいれば元気づける事もできるでしょう。でも、ミエールは首を横に振りました。
「いいえ。ここでお留守番してて、ヴァニーユ。あなたまで連れて行ったら、持ち運びにも安全にも心配事が増えてしまう。ちゃんと帰ってくるから待っててね」
大丈夫よ。そう、しっかりとした声で約束します。
左様ならば。
下に降ろされ、ヴァニーユは猫の喉でにゃあんと一声鳴いてみせました。




