戦場に立つシルキー・ヴァニーユ 1
観光案内人からのお詫び
「……ああ。お客か。悪いが観光はお休みだ。本当にすまない。しかし、間の悪い時に来たな、早く出国するといい、まだ臨時の船は出ているはずだ。もう最後になるかもしれない、急ぐんだ。
何って、はは、聞いてないのか。戦争になりそうなんだ。ウワサでは……ジャンドゥーヤの軍はもうこちらを目指して進軍しているらしい。そう、ジャンドゥーヤだ。逃げるなら北に行くといい。事情が許すならな。
(ニッキー、と呼ぶ声がする。不安そうな瞳をした彼女が駆け寄ってくる)ああ、プラム……(強く抱きしめ、優しく背中を叩いて)大丈夫だ、行こう。お父さんたちは? そうか、もう準備は整ったんだな。港にいるのか。うん。よし、早く向かってくれ。俺も荷物を取ってきたらすぐに行く。大丈夫、すぐだ。船に乗って待っててくれ。いいな。
(早くね、二番埠頭よ、と言い残して去った彼女を見送り、こちらに向き直る)さあ、あんたも。これを持って行くといい。船のチケットだ、乗れると思う。ギュウギュウだろうけどな。
今度来るときは、また俺を指名してくれよ。ちゃんと観光案内してやるから。
そうだ。次だ。大丈夫。この国には……勇者がいるからな」
五枚目 戦場に立つシルキー・ヴァニーユ
「どういうことですか」
ミエールは淡々と聞き返しました。目の前に傅いている使者は、にこやかというには不純な感情の混じった顔をしています。何より声がそれを伝えています。
「ですので、慶事でございます。わが国の王子と女王陛下、天下の注目するご結婚、華燭の宴にはせ参じるため」
「軍を起こした、と」
おめでとうございます、と使者は最初に切り出した祝辞を繰り返しました。完全に見下した態度です。
「どうぞ、そのまま東門をお通しください。さすれば我ら、祝いの席に出るのに剣を抜かずにすみますので」
「祝の席と言いながら剣を抜く事を前提とか。何が目当てなのかよく判りますね。下心も隠さず」
「それはとんでもない誤解。女王のお好みに合わせた配慮でございます。いかに勇猛な女王陛下とてあれを見たら、我が国の逞しさに惚れ惚れしてしまうでしょう!」
「面白い事をおっしゃいますな」
モルト大臣が硬い声で反論を試みます。
「剣を抜いて国境を超えるのは、古今東西、戦争中だと決まっております。それを祝言とは、そちらの国は厠で食事を摂る文明がおありだと、信じこませようとするも同然ですぞ。にわかに信じがたい話です。まさか、その通りではありますまいからな」
なかなかに過激な反論ですね。
道理の通じないアラザン王子にならこのくらい言わないといけないでしょうが、しかし、使いに選ばれるような相手です。
笑ってかわせる余裕は持っています。しばらく、というように両方の掌を上げてみせて、慇懃無礼、ぬらくらと言い訳します。
「私共とて勇者のご高名は存じておりますよ。人間を守るが使命。平和の守護者であられる勇者が、万が一にも我らの命を脅かすなど、もちろん有り得ない事と理解しておりますので。ですがもしか、こちらの行動が、誤解からの短慮にて余計な心配を与えたりしたらばそれも哀れだと、女王陛下を想うアラザン王子の深い気遣いによって、私は懇切丁寧に説明するためこちらに向かわされたという次第。よろしいですか?」
つまり、意見は変えていません。あくまでこれはデートだと言い張っているのです。
「どうぞ穏便に、女王陛下。じきに王子が到着なさいますでしょう、では私も王子に合流いたしますので、これで」
出て行く足音と、ざわめく部屋の中。
「ミエール様!」
「捕らえなくて良いのですか」
「それは……」
僅かに掠れた声が、苦しげに伝わってきます。
「そうすれば、宣戦布告を受けて立ったも同然です」
今もたいして変わり無いだろうけど。
耳をピクピク動かして、ヴァニーユはそう思いました。
ジャンドゥーヤの国より、昨日づけで軍が発ったとの報せです。
体裁を整えて使者だけは寄越してきたようですが、ほぼ奇襲のようなものです。昼過ぎにはチュロスの街にある、東門についてしまいます。
カッコ悪いにゃあ。あのバカ王子、本当に振られた案件に武力を突っ込んできちゃった。
ヴァニーユとしてはどうしようもない顔をしてしまいますが、これから矢面に立つ人たちにとってはそんな余裕はないでしょう。
椅子の下のヴァニーユは、密かに伝ってきた体の震えを感じ取っています。
「なんということだ」
「あのジャンドゥーヤの大軍が押し寄せて……」
「本当に……本当に戦争になってしまうのでしょうか」
「いえ、まだ戦とはっきり宣告されたわけではありません……」
ミエールはそう言い切りましたが、最後の方は自信のなさがどうしても滲みます。
絹擦れの音がして、ヴァニーユを取り巻く布が揺れました。あえてヴァニーユは香箱のまま動かないでおきます。
立ち上がっても、どこに行こうというわけではありません。これは動揺を抑えようとしたとりとめもない歩みです。ほら。
立ち止まり、振り返ったミエールは不安そうな表情でした。
少し途方にくれたような、知らない土地で迷子になったような、不安の微妙なゆらめきです。その目はヴァニーユを探し、ヴァニーユは丸い目で女王の立場にある人を見返しました。
「今頃、謁見している時間だ」
馬上でのんびりとアラザン王子は言いました。
「これで私の本気も解ってくれるだろう」
「あっちはまだ戦の準備もできてないだろうからな。どこまで抵抗してくるか」
楽しみだ、と話し相手のアナナスは笑ってみせましたが。
「んん? いや私の想いだよ。ここまでしないと解ってくれない、そんな無粋なところも可愛くはあるが」
思わず聞き返すところでした。
アラザン王子、まだ本気で恋愛の駆け引きだと思っているらしいのです。どうやらこの間の失態は彼の中では無かった事になっているらしいこと、ようやくアナナスは理解しました。
言いがかりをつけて戦争をおっぱじめた、その犯人だけが言いがかりを鵜呑みにしているのです。なぁんてこった。
「やれやれ。力を誇示してみせるのもラクではないな」
悪魔将軍をして、苦笑される勘違いっぷりです。人間、こじらせを極めるとおめでたくなるんですね。
『理由はどうあれ、二つの国は対立する』
冷たく揺れる声が、頭の奥に響きます。
アナナスはそっと額を押さえました。姉、アマンダの声です。
深い地の下、地獄の屋敷で、遠見の水晶を操っているのでしょう。遠くにあっても、凍えたままの顔半分から声は直接にじみ出て聞こえてきます。
『踊ってくれればバカでもいいわ。勇者である以上、人を守る義務がある。その勇者が、人から刃を向けられれば……きっと封じられる手は多いはず、いい、機に乗じて上手くやるのよ』
これがアマンダ立案の計画でした。実行している今は、常に姉と共にあります。
姉の魔力に繋がれている事、太陽暖かい日差しの中にあって、アナナスは改めて頭痛を伴う寒さと共にじっくりと感じていました。
進軍はゆったりと続きます。




