舞踏会のシルキー・ヴァニーユ 4
城の外に出たアラザン王子は苛立たしげに叫びました。
「馬車を回せ!」
「もういいのか」
不意に横から声をかけられ、王子は肩を震わせます。
のっそりと出てくるのは、頭からすっぽりと布を被った大きな影です。城の案内人などではありません。
「お前か。もういい。帰る!」
アラザン王子の知り合いではあるようです。知り合い、というは、この人物、どうも従者には見えないからです。へりくだった言葉を向けるでもなく、かしこまった様子もありません。
軽快な車輪の音がして、ジャンドゥーヤの馬車が玄関につけられました。
二人は馬車に乗り、城を後にします。
「どうだった」
「じゃじゃ馬だ。確かに顔は悪くないが、素直に従う事を知らん。躾直さないと……やっぱり、お前の力を借りるとするか。アナナス」
名前を呼ばれて、布っきれは少しばかり顔を上げました。
そう。それはアナナスでした。悪魔将軍のアナナス。
実はアラザン王子が傭兵として雇い入れたのは、アナナスとその一味だったのです。
先だって、アマンダがカンディーレン城を訪ねて以来、実は魔界から姿を消していたのですが、こんなところに潜んでいました。
顔色は悪く、その左半分はどこか凍りついたように引き攣れて不対称になっています。左目も白く、見えている様子はありません。
しかし、それはものの見えない濁った白ではなく、霜でも纏ったようにキラキラと輝く白い目でした。まるで氷の玉でも嵌めているようです。
ずいぶん様変わりしたアナナスは、これも前とは違うボソボソとした喋り方で確認しました。
「やはり、出番か」
「そうだ」
「大掛かりな婚礼だな」
面白くもなさそうに呟くと、アラザン王子はムッとして口を尖らせました。
「そっちから売り込んできたんじゃないのか。最強の軍隊だと。国を獲るのも簡単だからぜひ使ってくれと」
馬車はいつのまにか、強そうな兵隊を従えて走っていました。
変身の魔法を当てさせたアナナスの部下たちです。人の形をして分厚い警護姿勢をみせていますが、揃った足音だけが聞こえる一団は、やはりどこか不気味な雰囲気でした。
「出番ができて嬉しくはないのか。働かんと金にならんぞ。まあ、あっちはああ見えて私に惚れているんだ。意地を張って、引っ込みがつかなくなっているだけだから、ちょっと行って脅すだけで済むだろうがな」
アラザン王子だけは怒り心頭、周りの不気味さに気がついていません。
傷ついたプライドを回復させるため、思考をポジティブに戻す愚痴に専念しているのです。
「千里眼だとの噂だが、ふん、とんだ節穴だ。私の魅力に気づかんとは。世話がやけるが、やれやれ、仕方ないな。眠り姫の目を覚まさせてやるのも王子の仕事だからな」
アナナスは何も言いませんでした、が、お腹の中でははっきりと王子を嘲っていました。
今この時点で既に振られてるんじゃないか。その腹いせに力に頼ろうなど、バカではないのか。
まだ数日の付き合いなのですが、アラザン王子の傍若無人っぷりはよっく分かりました。間近で見てきましたからね。
今回もきっと順当に振られたのでしょう。誰だって、こんな人の相手はイヤです。
自分の言い分を認めさせようとすれば、なんだって使うヤツなんです。
だから、国に帰ればまたいつものように言うのでしょう。
「ねーぇパパー、ボクちん、ひどい目に遭っちゃったんだよー、許されないでしょう? あの国攻めていい? 大ー丈夫、小さい島だよ? ちょっとの手勢だけでも大丈夫、傭兵雇ったばっかりだしさぁ」
そして勿論、王様はこう言うでしょう。
「いいよー」
馬車の外はすっかり暗くなっています。魔界と似たような宵闇です。
心地よい闇を見つめて、アナナスは王子の言い分を右から左に聞き流していました。
全く人間は救いようのない生き物だ。つまらないのに偉い者の、つまらない感情で、戦争なんざ始めようと言うのだから。
それとも、人も同じなのだろうか。
魔族と同じように、生きる上での使命として、戦うように決められているのだろうか。
ならばやはり、とアナナスは思います。
魔族が人間に成り代わっても、問題はないのだ。
髪結と、ついでに着替えも済ませてきたミエールは広間へと向かっていました。
今度は目も覚めるような青です。金糸の縫い取りを施した、真夏の夜空のような深い青です。
先程とはテイストが違い、凛とした、とてもシャープな雰囲気。
「もっと愛らしいものを!」……と、ドレス選びの際にテオレ夫人と一悶着あったんだろうとは、内情を知っている人なら想像がつきます。
ヴァニーユ王子も想像できた一人です。だから一度は苦笑して、咳払いでそれを隠しながらミエールに近寄りました。
「よくお似合いで」
あら、とミエールは足を止めます。
「ヴァニーユ王子。どうしました? 私のお出迎えかしら」
「そう、まさに。ここだとお話もゆっくり出来そうだからね」
軽く合図をして、ミエールはおつきの女官たちを下がらせました。
中庭に面したこの廊下は灯りも少なく暗さに沈み、その分、柱の合間に見える月明かりがぼんやりと白い壁を浮かび上がらせています。
今日は晴天。月に照らされてドレスと同じ色になったクリアな空が広がり、とっても静かです。
廊下の向こうからは、大広間の光と楽しげな音楽が笑い声といっしょに流れてきて、きらきらとさんざめいています。
賑やかで静かな空間に、ミエール女王とヴァニーユ王子は並んで空を見上げました。
「いや。さすがと言うべきか、勇敢な女王。見事なあしらいだったのでね」
「……恥ずかしいこと。私、これで近隣諸国の物笑いにならなければいいのですけど」
「なんの。もっとやれと言っていいところでしたよ。この調子で他の男も全部、袖にしちゃいましょう。ボク以外」
あははは、と思わず声をあげてミエールは笑いました。随分ストレートな口説き文句です。
「あなたも私を望んでくれるのね」
「そりゃあ、それ以外の人は来てないでしょうからね。いちいち蹴落とすのも面倒くさいから、大元に進言してるわけです」
もう少しだけ笑って、ミエールは改めて異国の王子を眺めました。
やはり、吸い寄せられるのは大きい猫目です。どうしても、どこかで見たことがある感じが抜けません。思い浮かぶのは、もちろん仲の良い黒猫。
「ヴァニー……ユ」
本当にそうなんじゃないかしら。そんな考えが、抑えきれなくなりました。
まさか。あの猫が。今目の前にいる相手にも失礼だとも思いながらも、うちの賢い黒猫が人間に化けたら、実際、こんな感じに、なるのでは、ないかと……
「ニャーン」
不意に鳴いた猫の声に、思わずミエールは肩を震わせました。
外の壁の上を、黒猫が通ります。
「ニャーン。ニャーン」
事務的に鳴きながら、フラフラ歩いていきます。後ろ姿しか見えませんでしたが、ヴァニーユでしょうか。やけに尻尾が波打っていましたが。
今日は、後ろ姿しかヴァニーユを見てない気がします。
「女王様は猫をお飼いに? あれはこの城の猫ですか?」
「え、ええ」
「いいですね、猫。ボクも好きですよ。可愛がってあげてくださいね」
やれやれ。
ミエールは自分の妄想を振り払うように軽く頭を振り、確固たる一個人として、相手を目に入れました。
うーん。猫でないとしてもでもやっぱり、相手の印象は「知っている」と「知らない」の間をぐるぐる回ります。
見慣れない衣装にも誤魔化されて、知っているようでよく知らないというこの感じが、どこから来るのか掴めません。ミステリアスです。
年上だとは思いますが、思い切って若いようにも、またよく成熟した年のようにも感じられます。
そして確かにそこに居て、熱を持って触れられるはずでありながら、まるで人間ではないかのような雰囲気も。
どれもが曖昧で、はっきりしているのです。
何だかドキドキします。天啓なのか虫の知らせなのか、はるか遠い昔にわかれた人に、運命の糸を辿ってようやく会えたような、そんな胸騒ぎです。
果たして運命の人なのか。それとも、宿命の敵なのか。
どうなのでしょう。
「女王様自身はどうお考えで?」
問いかけられて、ちょっとぼんやりしていた意識が戻りました。
「えっ?」
「今夜の成果を。あまり乗り気ではないようですが」
「いや……だ、そんなに分かるほどでした? 私」
「いいえ、とても楽しそうにしてらっしゃいましたよ。ですが音に聞いていたのは女傑としての名前なのでね、もしかしてと思ったまで」
「……結婚は女王の責務ですもの、乗り気でないわけでは」
「先ほどご自身で白状なさいましたけど?」
少し考えて、ミエールは噴出しました。そうですね。
「この国は思った以上に魔物が多いんです。でも魔物との戦いを夢物語だと思っている殿方が多くて、そこは少し困る、かしら……」
「なるほど。やはり勇ましいね」
「この間なんか雷様と対峙したわ……」
あの屈強そうな戦士を思い出せば、思わず眉根が寄ってしまいます。
堅そうな鎧、恐ろしい角、見上げるほどの大男。あんなのが魔界にはごろごろいるのかと思うと、気の引き締まる思いです。
しかし、その場面に居合わせなかったヴァニーユ王子は「雷様……?」と首を捻りました。
「強そうで大っきな鎧武者なの。なかなか手強そうだったわ……そんなものを相手に戦わないといけないのよ。そこをないがしろにされても……」
「ああ……ボクも似たようなのとやりあった事があるな」
ふと、ヴァニーユ王子までも遠い目をしました。昔を思い出す目です。
「確かに手強かった……外側が堅い、カニみたいな奴だった。中まで通せば問題ない。そう思ったけれど、それだけじゃ倒れなかった……」
ミエールはそっとヴァニーユ王子の横顔を伺いました。
「どう、しましたの?」
「逆だったんだ。そいつは体が」
言いかけて、ふと我に返ったようです。
ヴァニーユ王子はミエールの視線に気付き、ふわりと笑ってみせました。細くなっていた瞳孔を隠すように。
「あなたが何になりたいのか、よく分かる話だね」
「えっ?」
「あなたは真面目に恋愛をしたいようだ。王族の結婚なんてただ籍だけ置けばいいところを、相手に理解を求めようとしている。理解されたいあなたの本質は何なのか、何と呼ばれたいのか。そこから考えると行動しやすくなるよ。パートナーを選ぶにもね」
女王様、と呼ぶ声がしました。
テオレ夫人が帰りの遅いミエールを探しに来たようです。そういえば随分と中座しています。もう行かなければ。
「また……会えますよね、今日が終わっても」
気がつけば、次に情熱的に口説いたのはミエールの方でした。
自分で言って驚きましたが、ヴァニーユ王子は嬉しそうに笑うばかり。
「もちろん。まだこの国に滞在してますからね。いつでもお呼びください」
そして、そうだ、と何かを思い出したように軽く顎を上げました。
「考えてみればこの国に居るのに、今まで挨拶もしていなかったわけだし、無礼のお詫びとお近づきのしるしに……私の国には色々と珍しいものが寄せられるんです。ひとつ、女王陛下に献上しましょうか」
「まあ……何かしら」
「あなたが持つに相応しいものですよ、勇ましい女王」
良い思いつきに赤い瞳を輝かせ、王子は請け負いました。
「きっと気に入るでしょう」
舞踏会の夜から明けて四日。
ジャンドゥーヤからの報せに、ビスクヘルムの国は震撼する事になります。




