スカートの中のシルキー・ヴァニーユ 1
開封・観光案内人からの口上
「やあ、ようこそ伝説と栄光の国、ビスクヘルム王国へ。今日は観光かな? この俺に何でも相談してくれたまえ。
うん、俺か。よくぞ聞いてくれた。
俺は勇者だ! 驚いたか! この剣とこの鎧にかけて、世界の平和を守っている!
……だが、この国の事もよく知ってるから、何でも聞いてくれてかまわないぞ。いつでも案内してやろう。
……ん? ああ、これか。これは……腕章だな。オシャレだからつけてるだけだ。
何、『ワクワク観光案内グループ東口係』の文字があるだと……?
いや、まあ、これも……あれだ。オシャレだからだ。細かい事は気にするなワハハハハ!
そんなんじゃあ魔王は倒せないぞ! だが、俺に案内を頼む時は、ここに連絡を入れて指名にしてくれ。『伝説の勇者さんで』と言ってくれれば皆わかるから。パンフレットを渡しておこうな。よろしく頼む。
よし、じゃあまず島の歩き方、方向だけざっくり教えよう。ここは東門のあるチュロスの町。大陸に繋がる橋からの入り口だ。自然、観光客も多くなってここらの町は栄えてる。宿やら食事処やら土産物やら、いっぱいあるぜ。おすすめはダイヤモンドクッキー、一番人気の商品だ。
じゃあこちら右手をご覧ください。方角的にはそっちが北になるんだが、稜線の中にひときわ高い山が見えるだろう?
……そう、あれが三角山。魔王が生まれた、魔界に通じると言われている山だ。
ん、いや、峠までなら一部観光もできるぜ、だけどそれなりに登山になるし事前登録も要る。それに、半日かかるから今日は止めたがいいな。夜になっちまう。
南町は海岸の町、ラスクだ。船着場が多いが海水浴も出来る。
今はまだ季節外れだからそこは置いといて……西を向いて道なりに街道を行けば、湖の向こうに城がある。首都ビスクヘルムだ。我らが女王、ミエール陛下がおられる。アンタも、もしかして女王の噂を聞きつけたクチかい?
そりゃまあ、うちの女王様ときたら美人で美人でおまけに美人。誰もが会いたい一目見たい。花も恥らう麗し乙女。
アンタも運が良ければ、これこそ伝説級の花かんばせ、拝む事が叶うかもしれんな」
一枚目 スカートの中のシルキー・ヴァニーユ
街道続きの城門をくぐると、真正面にどーんと大きいお城が見えます。
島の西北にある、これがビスクヘルム城です。ゲートに絡めた蔦バラや、中庭の整った緑に目が行きそうになりますが、お城自体をよーく見てください。
かなり堅牢な、石造りの城砦です。何しろ、三角山を睨む位置にあるお城ですからね。
中に入るとわりとすぐに、謁見室があります。ここには毎日、女王様とお話をしたいという人々が押しかけてくる場所なのですよ。
ほら、今も。
「ダイヤモンドの横流し!? ワシがそのような大それた事など、まさか!」
……神経質なキンキン声が聞こえてきます……
美人と名高い女王陛下に拝謁できる光栄を、皆大なり小なり楽しみにしているので、会談の大概は和やかにすすむのです、が。
只今の訪問者は、麗しき女王様を前にしてすこぶる不機嫌のようでした。というより、不機嫌さを押し出して抗議の姿勢を表していました。そもそもこの謁見者は、願い出てここに居るのではなく、お城から召喚されたのです……
立派な広いおデコをテカテカと上気させ、年のわりに甲高い声でキーキーと申開きを繰り返す彼は、町の外れにだが小さくない店を持つ、流通商人のセサミ。
国で採れる鉱物を近隣諸国に売り歩く傍ら、両替、金貸しも営んでいます。どうやら小銭をたっぷり稼いでいるらしい様子、彼の金蔵は、小さくみせようとしているわりにとても重そうなのです。その辺りを突つかれたのが今日の会見なのでした。
「ワシゃ一度もそんな不埒な考えなど起こしたことはありませんとも、陛下! 我が栄光の王国と美しき女王様への忠誠を疑われるなぞ、全く失礼。ほんと失礼。お国を裏切って闇取引なんて、誰がそんな妄言を女王様のお耳に入れたのか、悲しい限りでございますよ! いいですか、ワシゃ一度もそんな不埒な――」
「わかった、わかりましたセサミ」
玉座の人物は目を通していた書類を下げて、必死に叫びをあげ続ける商人をご覧になられました。
まずはご紹介。
宝環島のダイヤモンド。ビスクの白薔薇。
称される二つ名も美しい、こちらの淑女がビスクヘルムの王、ミエール・ビスク女王陛下でございます。
蜂蜜色の髪は繊細に編み上げられ、小さなサークレットで飾り付けた豪華な王冠のように輝いています。瞳は朝摘みのブルーベリー。唇は瑞々しい桜桃。肌は甘いミルク色。今日は薄水色のドレスをお召しで、コットンキャンディのようなスカートはふうわりと膨らんでおりました。
なるほど噂通りの美姫。世界一とも謳われるお姿です。
何しろ二つ名の白薔薇も、赤ん坊の頃から美しかった彼女の出生を祝い、天使がその手に白い薔薇を握らせたという逸話からきているのです。すごいですね。
御年十七歳、旬の果実の如き雰囲気をたっぷりと纏っています。が、意思の強そうな青い視線や、きりりと刷いた柳眉、利発そうな面差しには、なよなよとした気配は見当たりません。
ダイヤだの薔薇だのの呼称はなるほど、その通りですが、手弱女を想像してしまうと別の一面を感じてしまいそうです。
「ダイヤモンド鉱脈はこの国の命だもの、いやしくも商人ならよく解っているはずだしねぇ」
柔らかいドレスが立ち上がり、横に積んである荷物の山に近寄りました。
「それにしてもすごいわねえ。これは一回分の荷物なの? セサミ」
検閲のために一時押収された積荷です。広げられた一枚の絨毯の上に細々としたものが広げられ、中身を出してカラにした手押しの荷車がその横につけられています。商品は泥炭が少しと、真鍮の細工物など。商人は得意げに胸を張りました。
「ま、繁忙期に比べれば半分、といったところですわ。それをラスクに置いて、代わりに魚を積んで、南の方まで売りに行く。帰りには青果を積んでくる。生鮮は足が早いですからな、ワシらはそれよりも足早に走らねばならんのですわ」
ちゃっかり、迷惑してますアピールも含んでいます。
女王は隣に控えていた軍隊長を振り返りました。鎧姿の軍隊長はビシリと敬礼し、元気に答えます。
「はっ! ちなみに調べましたところ、帳簿の内容と間違いありませんでした!」
「他の荷車は? キャラバンは中庭に集めていたでしょう」
「はっ! 先程、集計が終わったと報告がありました。ちなみに、そちらにも問題は見当たらなかったようです!」
おや、というように女王は眉を上げました。大きく笑い出したのは、セサミです。
「いやぁっはっは、これでご理解いただけたでしょう陛下! ワシゃ真面目で善良な市民ですよ! ワシをこんな目に陥れたヤツの名前を聞きたいもんですが、まあ今回は許してやりましょう、善良な市民ですからね! だから早く仕事のためにも帰りたいのですが」
「まあまあゆっくりしていきなさいな」
手にした書類を羽扇のように優雅に扇がせて、女王は積み上げた荷物にサッと目を通しました。
「これはあなたの車なのね、セサミ。これに荷を積んで引いていくのね」
「……左様でございますが」
「じゃあこれも荷物だわ。軍隊長」
止めるヒマもあらばこそ。一歩前に出た軍隊長が、はあっ! と気合一閃、手にした大槍を振るうと、びっくりしたかのように跳ねた手押し車が、着地と同時に木っ端を撒き散らして横板を落としました。ついでに、何やら輝く小さい粒も。
「あら画期的」
二重底ね、と女王は腰をかがめて車の横っ腹を眺めました。上板をめくると、中にはキラキラと輝く宝石がぎっしり。
「軍隊長」
差し出された書類を手早くめくって、軍隊長は報告します。
「はっ! どれも粒ぞろいのダイヤモンドのようです! バラけた分もありますからして正確な数はわかりませんがザッと三百はありそうな。すぐに数えます! ……ちなみに、帳簿にはもちろん載ってませんでした!」
車の持ち主はもう一言もありません。テカテカのおデコは脂汗でギラギラとなり、湯気がたちはじめました。すぼめた口に見開いた目のまま固まり、ガッチガチです。
さて、と言うように女王は手を鳴らし、とびきりの笑顔で硬直のセサミに向き直りました。
「じゃあどういうことだか、説明してくれるわよね?」
宝環島のダイヤモンド。ビスクの白薔薇。
その違う一面は、薄らぐらい秘密を持つ者が感じる事になるのです。鉱石は硬く、花は刺があるという、その顔を。
街の皆の話題に上るのは、むしろその慧眼でした。
女王は不思議と、責任のがれのための罪人のウソは、即座に見抜いておしまいなのです。
悪どいぼったくりの店も取り潰しになりました。詐欺を働いていた者も捕まりました。
町の子供の他愛もない流行歌まで、よくご存知だとか何とか。
女王と会見する人は誰も感心します。女王様は勉強家だ。まるで見てきたかのように、あらゆるものをご存知でいらっしゃる。まこと賢者であらせられる。いやむしろ千里眼なのでは。
一説では、諜報部が優れているんだなどと言われていますが……どうなんでしょうか。
「助かったわ、ヴァニーユ」
玉座に片肘を凭せて、女王はゆったりと呟きました。
喚き散らす商人を確保して引きずり出したので、今この場には誰もいません。カランとした部屋に女王だけです。
女王の独り言は続きます。
「大切な石を、無碍に流出させてしまうところだった……どれくらい被害が出ていたのかしら」
「今回が初めてじゃないだろうからね、もちろん」
返事がありました! ほかに人影もない部屋で、返事が。
ふわり。座る女王のスカートが丸く動き、裾が持ち上がって何かが顔を出しました。
立派に張ったヒゲと三角耳の動物。これは……猫。黒猫です。すまし顔でつるりと出てきて、慣れた様子で女王の膝に飛び乗りました。
「礼を言うなら撫でてもらってもかまわないょ」
猫は口を開くと、本来にゃあと鳴くべきところでそう言いました。
それはさっきの返事と同じ声。
間違いなく、この猫が喋っていたようです。独り言ではなく、会話だったのですね。
猫はどしどし乗りあがった女王の膝の上から、さらに伸び上がってアクティブに頭を擦り付けます。要は撫でろという意思表示です。
女王は笑いながら、その柔らかい、ふたつの三角耳の間を撫でてやりました。猫はうっとりと目を閉じて、ぐるぐる、ぐるぐる。さも安心した様子で喉を鳴らします。
こちらも紹介しましょう。
この猫、シルキー・ヴァニーユ。オス、黒、半野良、年齢不明。
真っ黒、真っ黒。ヒゲ以外の白い毛は一本も見当たりません。乗り上がった女王の淡いドレス色に、くっきりと浮かびます。
黒じゃないところといえば、まずは目です。
ヴァニーユは大きなルビーのような赤く輝く目を持っていました。ちょっと他では見ないような、珍しい目の色です。黒猫はいっぱい居るけれど、これは稀な特徴でした。
他には時折ちょろりと見える舌先の鮮やかなピンク。それと首輪。首輪は、小さなメダルをつけた、目の色と同じ赤いリボン。
リボンは、ヴァニーユのトレードマークで、女王様からの賜りものなのでした。友達の証としてプレゼントされたのです。
黒猫には赤いリボンが一番似合いますからね。オシャレです。それに、見てください。メダルにはビスク王室の紋章……羽根飾りのついた兜の意匠……が入っています。これを見せれば、城の中はどこでも自由に出入りできるのです。
つまり、ヴァニーユは王宮御免のロイヤル野良猫なのです!