台所のシルキー・ヴァニーユ 4
ミセス・マロンの説得? は続きます。
「恋愛運がいいのはもうちょっと先ねえ。でもそれに備えて、付き合い広げるにはいい時よ。なにしろ相手は男女の縁、あがいても結ばれんし、ほっといてもくっつく。ね。なるようになる。でも、それにはまず会う必要はあるわね。いいじゃなーい、買わない宝くじは当たらないんだから」
軽く言われると、ああそうですか? じゃあせっかくだから……と思ってしまうようなセールストークです。
一息ついて考えはじめた女王に、向こうのソファに座り、それまで黙っていたもう一人から声がかかります。
「俺もいるし」
おとなしそうな細身の少年です。眼鏡がとても似合うインテリ系。
「俺が結婚しても、血は保てる。いいから姉上は好きな相手を選べばいい。別に顔で選んでも構わんよ」
そう。この方はミエールの弟君。末っ子のレザン王子です。
年はミエールより二つ下。幼少より病弱で、ここに生まれたからには出来てしかるべき武芸一般が、あまり得意ではありません。
代わりに、魔法を勉強しています。魔法使いとしては頑張っているようです。頭がいい分、ちょっと言うことが小生意気なところもあります。
「招待状刷ったあとで何言っても仕方ないしな。なるようになるんだろう?」
「……わかりました。それについては、もう。将来の事を考えて次のパーティは殿方と積極的にお話します。それでいい? ……他に何もないようなら、少し一人にさせて」
家臣三人は黙って頭を下げて、部屋を出ていきました。年頃の娘の気難しい事、重々承知しているのでしょう。勇者であろうと女王であろうと、悩み多き女の子です。
気を使った弟も出ていきざま、「姉上はさ」、と何気ない様子で言いました。
「美人だなんだってもてはやされてるけど、中身は体育会系だし」
ぐっ。と言葉に詰まります。事実です。反論の余地がありません。
「考えすぎない方がいいと思う。多分、カンの方が働く。……あと、皆姉上のこと心配してるんだよ。頭固いとこがウザいだけで。……あんまり困らせるなよ」
憮然とした女王を残して、ドアが閉められました。
「……もう。何よ」
ミエールの言う、皆出て行って、の中には例外がいます。
足の甲の上には温かみと重さがズッシリしているのに、部屋が静かになっても黙ったままです。ミエールは靴先を軽く突き上げて、乗ってるものを動かしました。
モソモソと、大儀そうにヴァニーユが出てきます。スカートをつれて向こうに歩き、ふと足を止めて振り向きました。
「……結婚、するの?」
「しなきゃいけないわねぇ」
「ダメ」
即答された内容に思わず笑って、ミエールは膝を叩きました。
言われなくとも。
黒い影はひょいとスカートに飛び上がり、臭いづけに頭を擦りつけました。何だかいつもより擦り寄りが激しいです。顔を拭く勢いで、ドレスの胸元でせっせと首を振っています。ゴシゴシ。
「ダメなの?」
「ダメ。ボクがいるでしょ」
「あはは。ヴァニーユとなら喜んで結婚するわ」
「やったー。式はいつにする?」
「猫じゃなけりゃあねぇ」
ぷー。
ネコのブーイングです。逆にミエールは心底可笑しそうに笑って、機嫌をとるようにギュッと抱きしめます。
「女王である以上、私の義務だもの。そこはいいの。結婚なんて怖くないの。自分の役目はわかってるの。本当ならもう二年も前には結婚の話が出てもおかしくないってのもね。でも……二年前っていったら、父上が亡くなって、私が女王になった時だったわ。生活は一変したし、式典式典また式典。覚える事もやらなきゃいけない事もたくさん。とても忙しくって。婚期って本当に逃すものなのね」
ヴァニーユの、形の良い三角のお耳に、女王の気持ちが吹きこまれます。
内緒話は、いつも囁き。今日は一段と小さくヴァニーユを抱え、まるで寒い日に竦み上がったように項垂れています。
「結婚はいいのよ……でも皆あまりにも、私の気持ちは聞いてないって感じじゃない? 祝福の前に打算ばっかり。それで嫁せられるなんて虚しすぎる。ちょっとスネてもいいわよね、そこは」
「おめでとうを、言われたいのか」
そう言われてふと、ミエールの脳裏に浮かぶものがありました。夫婦、という言葉に浮かぶイメージです。
金の匙に乗せられたプティングを、あーん、などと言って食べさせあう図。もちろん、隣り合って座っているのです。
両親はいつも恋愛真っ最中でした。それは子供が出来ても変わりませんでした。
子供達は自分のプティングを自分で食べながら、常春のカップルを眺めていたのです……
「ねぇヴァニーユ、本当は……ねー? 私もお母様みたいに、綺麗なお姫様として育てられてたのよ、小さい頃」
仮にも王族の姫君、当然といえば当然なのですが、フリルとリボンのドレスとお人形を握らされ、作法とダンスとピアノのレッスンを、女官達に囲まれて教えこまれました。
母は、自分に起こり得た幸せを娘にも願っての事だし、そんな母にぞっこんの父も当然、母に似て愛くるしい娘を、やっぱりどこに出しても恥ずかしくない淑女にしようと考えておりました。
そうすれば、我らのように心底惚れ込んだどこかの王様が、きっと幸せにしてくれるだろう!
「あのね、おかあさま。私、剣のけいこをしたいんだけど」
小さいミエールはそう言いました。どちらかと言うと、カッコイイものが好みだったのです。
ですが、母は笑ってミエールから剣を取り上げ、代わりに金髪のお人形を渡されてよしよしと頭を撫でられました。
「いいのよ、ミエールはそんな事しなくても」
「いいえ、おかあさま、私、そっちがしたいの」
「ほらお人形さん可愛いでしょう? シャルロットちゃんですよ」
「私のおきにいりはかべから三ばんめの、練習人形ポッキーくんなの。ねえおかあさま、けいこしていい?」
あらまあ。娘はどうやら本気らしいです。
大体、女の子が人形より剣が好きだなんて、想像もできない母はひどく心配しました。大丈夫かしらこの子、どこかおかしいのかしら。
勇者である父は理解を示してくれる……というわけでもなく、母以上に困惑し、また時には叱りました。怪我でもしたらどうするんだと言うのです。
「だっておとうさま、この国にはまおうがいるのよ」
「そんな事を気にしているのか。ミエールは怖がりだな。大丈夫、それは昔話さ」
「いいえいるもの、ちゃんといるもの。魔界だってあるのに」
「心配ない。勇者がいれば安心だからね」
父が弱いと言ってるわけではないです。そんな事、考えた事もありません。でも、じゃあ何なのだと言われれば言葉が出ませんけれど。
ミエールの意志に賛同したのはマダム・マロンです。
「いいじゃなーい、向上心は伸ばさなきゃ。勇者の家の者が強くて困る事なんかありゃしないでしょ、ガンガンおやりな。世界一強いのが世界一美人とか、カッコいいじゃなーい」
そうしてこっそり、魔法を教えてくれるようになりました。剣の指南役でもあった軍隊長にも話をつけて、見てくれるよう算段をつけてくれました。
何しろ、練習相手には困りません。城中が豪傑だらけですからね。
その中で揉まれたミエールはめきめき強くなって、あっという間に城の中でも指折りの戦士となりました。
やがて両親もミエールの熱意を受けいれてくれましたし、最終的に勇者と判ってからは、父も熱心に稽古をつけてくれましたけれど。
今のミエールをここまで成長させてくれたお手柄は、マダム・マロンのものなのです。
「力に任せれば男に適うわけないわね。賢くいかなきゃ強くはなれないよ」
「まだ全然なってないわ。世界一強くなれるのはいつかしら」
「世界一美人でも、まだないねえ」
ニコニコしながらも、マダム・マロンは歯に衣など着せません。
「姫のお母様は実に美人だね、幸せ溢れるお顔をしてる。命短し恋せよ乙女。姫さんはいつあの表情ができるかねえ」
……まだ、できていません。
「私、甘く見てたの。恋愛なんて、勇者やっても出来るわって思ってたけど、案外そうじゃなかった。好きになった人が現れたらきっと素敵な恋愛するんだなんて、でも普段にその思考が出てきやしないの。どういう事かしら。侍女の中には、殿方と見れば恋愛対象になるかならないかだけで行動しちゃうコもいるけど、あれはあれで才能なんだわって、私この頃つくづく思うのよ」
何も両親のようにベッタリくっついておやつを食べさせて欲しいわけじゃありません。
ただ、剣の道を望んでしまい、しかもそれが叶ってしまい、さらにそれが性に合うのですから……殿方と見れば強いかどうかを知りたがるのでは、恋愛は遠いですよね。
そこへ一足飛びに結婚の話題。
子供の頃、大人の意志に従い、剣の事など何も知らず、フリルとリボンの世界だけに生きていれば、聞き飽きるほどたっぷり聞いたはずの恋愛物語のヒロインになれたでしょう。母のように。
「母は愛されていた。綺麗と言われてしゃなりと歩いて、それを好かれて愛されて女としての幸せを真っ当できて。幸せだったと思うわ。そこまで愛されれば、女冥利につきるもの……」
要は、まあ、とミエールは肩を竦めて正直に白状しました。
「私はそれが羨ましいのね」
まだ恋なんてひとつも知りません。
ミエールにとってそれは、素晴らしさばかり伝わってくるけど全く目にしたこともない、遠い世界のどこかに眠る伝説の財宝のようなものです。
恋。
もし見つけられたら、母のできた幸せの微笑みが浮かべられるでしょうか。
義務も打算も理屈ではわかるけれど、私だって無条件に愛されてみたい。それが、羨ましいから発生した願望の、素直なところなのです。
そう、とミエールは強く顔をあげます。
「恋がしたいの、すっかりないがしろにしてたけど。だから結婚なんて言われて、全然ピンとこなくて気が進まないような言い方しちゃったけど。恋はしたいの。燃えるような恋がしてみたい!」
感情に任せて勢い良く立ち上がったので、ヴァニーユは一瞬ふわりと宙に浮きました。
足がジタバタする前になんとかミエールの胸に肉球を下ろせたので、今度こそとしっかりしがみつきます。
「ね、ヴァニーユ、素敵だよね!」
「……そう?」
「え。何でよ。素敵じゃない。夜も眠れなくなるほど好きな相手を作ってみたいわ」
「それが恋なの? 眠れなくなるのが?」
「そうよ。想い焦がれるの。他にも胸がキューっとしたりドキドキしたり……嬉しくなったり。ともかくワーって叫んじゃうくらい気持ちが弾む事なの!」
なんだかポカンとした……釈然としない顔で、ヴァニーユはミエールを見上げました。
「そうなんだ」
その微妙な表情を、ミエールは見落としています。何しろこちらはうっとりしている最中ですから、黒一色の見分けにくい顔はよく見てもらえません。
「私は女王でよかったわ。少なくとも、私が選べるもの」
……大国のお姫様の人生なら、たっぷりとした大人の事情を結納金に、生まれた時から既に婚約者が選定されているような状況で、それこそ恋愛の入る余地のない結婚を強いられていたでしょうからね。
「……どんなヤツがお好みなのさ」
「強い人」
即答です。さすがです。
「私より強い人がいいわ。いい人、現れるといいけど」
ふぅん、とヴァニーユは鼻を鳴らしました。得心のいったような、気のないような。
実際には、ものっすごく人の悪い顔をしているのです、猫ですけれど。が、そこはやっぱり黒の表情に完全に隠しています。答えとしては淀みなくこう言いました。
「そう、それじゃあね。ルビーのような深い赤の髪と、黒い服に身を包んだ紳士を探してごらん。それが願いどおりの相手だよ」
えっ、と驚くミエールの手から滑り落ちて、ヴァニーユは窓辺に向かいました。
「猫にも占いが出来るのを知らない? 未来予知の力を信じるといい」
言いおいて、ひょいと窓枠に飛び乗ります。お出かけの行動です。
「舞踏会、いつだって?」
「……ああ。来月の、三十日よ」
「わかった」
黒い尻尾が最後につるりと、窓の向こうに消えました。




