台所のシルキー・ヴァニーユ 3
魔王と人間との対戦から二百年と少し過ぎ。
ということは、今からだいたい百年よりもちょっと手前です。これからお話しするのは、正確には、七十年ほど前。
昔むかし、七十年ほど昔。
魔王が君臨していた頃とは比べようもないほど弱体化した魔物たちとの衝突は、絶えず発生していたものの簡単に封じられ、世界は概ね平和でありました。
ビスクヘルム王国はその間ずっと、粛々と勤めをこなしておりました。つまり魔物の討伐です。
元々、魔王の監視役として生まれた国。「人間を魔から守り通す事」は依って立つところ。辺りの哨戒と悪魔退治に精を出す役割を担っています。
世界の王たちはビスクヘルムをセキュリティとして利用する代わりに、防衛費として毎年いくばくか支払っていました。これがビスクヘルムという国の収入の一つです。
この契約は、国の成り立ちの上に、もちろん喜んで定められた決まりであったのでしょうが、時が流れるにつれ力を落とした国、財政危機に陥った国などもいくつかありました。
そして魔王の恐ろしさを忘れた国も。
支援金を渋る国が出てきました。理由は国により様々ですが、保険を無駄だと考える層は一定数いるものです。
何しろ平和が長く続いたものですから。たしかに野に出る魔物の小さい討伐は定期的になされていましたが、魔王はついに二百年もの間出てきませんでした。言い直せば、勇者の出番も同じだけなかったのです。
さて、そうなれば軍備の強いだけのただの小国。
折しもすぐ南の国、ジャンドゥーヤが内戦などで火種を抱えていた時でもありました。
その際は何事もなくやり過ごせましたが、人間同士で争う余力が出てきたという事実を、ビスクヘルムの人々は目の当たりにしたのです。
狡兎死して走狗烹らる、とは遠い国の言葉です。
それを知っていたのかどうかは判りませんが、当時の王様……これが三代前ですよ。アムス・ビスク。アムス王は考えました。
周りの国との付き合い方も考えよう、それに合わせた生活をしよう。夜会を開き、交際をしよう。一国の主として対等に。
彼は勇者の家系に恥じぬ勇猛な戦士でしたが、平和に浸かりきった呑気さと、それに飽きてきたらしい周りの空気はやっぱり感じていたのです。
戦士から貴族へ。
国史に残せるターニングポイントは、それだけ聞くと素敵な響きながらも、微妙な政治色の加わった背景があったのです。
初めはとても苦労したらしい。
質実剛健、一騎当千、兵どもが夢の国。
その強靭さを讃えられる肉体派一辺倒のビスクヘルムの戦士でも、ダンスは得意とはしていなかったからです。ええ、そりゃもう、まったく。
王とて、便宜上、王の肩書と国名を名乗っていますが、所詮は地方自治軍の将と見做されていた感もありました。
どうかよしなに、文化の交流を。
各地に放たれた使者らがそう言って愛想笑いで頭を下げてきた時、周りの国の中には冷笑で迎えたところも少なくはなかったのです。
神に選ばれた勇者としてならそれなりに敬いもしたけれど、同じ特権階級に入ろうというのならば「辺鄙な片田舎のにわか貴族が」と揶揄する者も、それはまあ、出ます。全く、人間の身勝手なところですね。
十二代目勇者、アムス・ビスク。晩年まで優雅さは身につかず、他の兵士たち同様、やっぱりダンスはヘタだったということです。
ですが、王様の腐心のおかげでビスクヘルムは大きく変わりました。
男達が慣れないダンスに汗をかいている間、元気になったのは国の女達です。
なにしろ、男達は兵隊や鉱夫になって家にいない事が多いので、手のあいた女達がいっぱいいるのです。
外国との国交が盛んになり、開放的になった事で、観光という産業が立ち上がり始めました。この時、女達は目新しい文化に随分と刺激され、おらが村の特色に、この都会っぽさを混ぜて全面に押し出し、率先して観光地で立ち働きはじめました。
元々、あの強い戦士達を産んで育てた女傑の集まり。物怖じなどしやしません。
街は活気付きました。国土もそう広くはない所、生計をたてるには農業なんかよりずっといいのです。これも手堅い収入になりました。
アムス王の孫の代まで行くと、その暮らしもだいぶ定着して、豊かになってきました。
何しろ生まれた時から貴族でいられるのですから、十四代目の勇者オーリンは、すっかり風采のいい騎士然とした戦士でした。
十四代目ということは、つまりこれが、現女王ミエールのお父さんですよ。
オーリンは、とある国の姫の肖像に一目惚れしました。
女神とさえ謳われたその姫には、多くの身分のある者たちが求婚していましたが、オーリンも負けじとその中に割って入り、貴族仕込みの熱い恋の言葉をせっせと送り続けました。
恋心はとどまることを知らず、なんとその国の王様に「どうか結婚させてください」と直談判に行ったほどです。
「私の意志はこのように硬く、また、同じく純粋なものです。それでも、姫の美しさには到底叶いませんが、この世で姫を幸せにするには足りるものかと存じます」
そう言って、キラキラの結晶をいっぱい含んだ、一抱えもあるダイヤの原石を献上しました。
意志と石をかけているわけですね。風流です。さっすが。
こうして、ついにオーリン王はペーシュ姫という、世界に名だたる美姫を連れて帰ることができました。
美しい妻にぞっこん夢中な王様の愛妻家っぷりは、国民で知らない者はありません。
それほどお妃は大切にされました。中には妃のほっそりとした華奢さを心配する声もありましたが、彼女はしっかりと王族の勤めを果たして、三人の子を成しました。
しかし、物語は『いつまでも幸せに暮らしました』とはいきませんでした。楽しい夫婦生活があれば、悲しい死もあるのです。
王妃ペーシュが亡くなったのは四年前。ミエールが十三歳の時。まだお若いのに! ああ、佳人薄命とはこのことです。
流行病にあっさりと倒れ、そのままに。妻を深く愛していたオーリンは大変な気落ちで、後を追うように二年後、これも亡くなってしまいました。
こうして王位はミエールに移り、勇者は十五代目になりました。
母ゆずりの美貌の勇者は現在十七歳。お年ごろ。
当たり前のように、身の周りに結婚の二文字が立ち上りはじめたのです。
「ケッコン」
ですか。と、ミエールは言いました。まるでニワトリでも鳴いているような言い方で、どうにも無感動です。
「まずは候補となるお相手を探す事から始めねばなりません」
大臣のモルトはしかつめらしくそう述べました。
「結婚は女の幸せですからね。良いと思う殿方をしっかりと見分けるのですよ」
躾係のテオレ夫人も、もっともらしく頷きました。
二人とも、若い女王をよく助けてくれる家臣で、また親類でもあります。
ミエールが生まれた時から世話を焼いてくれた相手で、両親が揃って早世してからは、足りないながらも代わりを務めようと日々努力しております。お陰で、少しばかりうるさいのですが。
「来る翌月の晩餐会ですが、ご招待の王様にはどうぞご子息もご一緒にと伝えております。女王様にはよくよくそのつもりで、各国の王子様とご対面ください」
「たくさん呼んでおりますからね、年齢の近しい方も多くおられる様子。気に入る方もきっとおられますよ」
「……早くない?」
「とんでもない!」
親代わりの二人は異口同音に叫んで目を見合わせましたが、モルト大臣から咳払い一つの後に説得してきました。
「早い話ではありませんし、むしろ今から探すとなれば遅すぎるくらいです」
続くテオレ夫人は、ペラペラと容赦なく。
「先の王后陛下が見初められたのは十五の事でございました。それに准えれば、もう去年にはお式を終えてもよかった話。女の命は短いのです。子供を育む時間はさらに短い。女王陛下。これは王族の、殊にこの国の特別な役割を担う、重要なお仕事なのですよ」
普段にはミエール様と打ち解けた様子で呼んでくれるテオレ夫人も、改まった態度で真正面から押してきます。
強い態度なのは、自分の主張の正当性を信じているからでしょう。確かに、その通りなのですが……
「……処女王って知ってる?」
「夢物語ですよ、陛下」
「史実よ?」
「只今は歴史の授業をしているわけではありません。知っているのと認められるのは、また違う話ですからね」
「豪傑だったらしいわ」
「結婚しても剛毅でいられますからな……特に、我が国の女王ともなれば、それはそれは筋金入りの腕自慢であられますので、簡単に損なわれるような特性ではありますまい」
二人がかりで押し込められた話に、ついミエールは頬を膨らませました。
無駄な抵抗なのは知っています。だって、繋いで行かなければならないのは、替えの効かない勇者の血ですからね。
それにしたって、ちょっとパワープレイじゃないかしら? いくら向こうに理があるとは言え、話くらいは聞いてもらいたいじゃないですか。
ますます気乗りしない様子のミエールと、不自然に開いてしまった沈黙の合間を埋めて、モルト大臣は思い出したように淡々と告げました。
「それと、今月もダイヤの産出は目減りしております」
ダイヤモンドの鉱山が、この国の収入源の三つ目です。重要な資源なのですが、実は、年々その量が減っているのです。
「……自然に属する事は努力でどうにかなるものでもないんじゃないの?」
急に変わった話題に少し返事が遅れましたが、ミエールは思った事をそのまま返してみました。
「自然、といいますか何といいますか。一説にはこれを魔の雫と申しまして、魔王が怪力乱心の魔力を発揮した時に、地中に含まれるなにがしかの成分と結合し出来た魔石だと、まあこう言う者もございまして」
「ますますどうしようもないじゃない」
「あとは採れそうなところを掘り進めるしか」
「どこを?」
「三角山の登頂付近です」
ミエールはあきらめ顔で頭を振りました。登るだけならば……強行軍で行けなくもないかもしれません。
しかし、強大な魔物と戦うだけでなく、そこで呑気に採掘作業までやれというのでは、命がいくつあっても足りません。
「ま、左様なわけでして。ダイヤはダイヤの問題として当面置いておくとして、問題は減った分の収入をどう賄おうという話です。ところで女王陛下、婚姻には持参金というものがございますのをご存知でしょうか」
ミエールは女王です。結婚といっても、お嫁に行くわけではありません。お婿を迎えるのです。だから、話としては間違ってはいないのですが、それでも。
「脅しなの、それは?」
さすがにミエールの声も硬くなりました。
「いえそのような事では決して」
「じゃあどういう事よ」
「単に、今月の報告です。心に止めておくだけで結構。人を判断する基準に関わるかもしれませんので」
「結婚相手の財産を当て込む気? 相手を財布の重さで決めろっていうの?」
「亡くなったペーシュ様は」
テオレ夫人が話に割って入ります。
「それはもうミエール様の行く末を案じておりました。愛らしい姫がどのような婿を選ぶのか、間違いのないように気をつけておくれと、私によく言っておりました。ああ娘のウエディングドレスを見たかったと、病床で涙した事もありまして……」
「それも何故今話すの」
執り成そうとしたのか、情に訴えたようとしたのか、でもいけません。これはミエールの嫌う手法です。ミエール様、完全に機嫌を損ねてしまいました。
「母が何なの。私の結婚の話じゃなかったの? お母様のために結婚するの? 血筋のため? いや国庫のためね。知ってる。そんなの解ってるわ、何も知らない子供じゃない、見縊らないで。ちょっと泣ける話で丸め込もうなんて、そんなやり口は」
「ホー!」
いきなり甲高い声が上がりました。そこにいる全員が、ギョッとして声の方を向きます。
「ッホッホッホ! ……あら失礼」
ふくよかな女性が、たるたるの頬を揺らして笑っています。一同の視線に気がつくと、一度は声を押さえましたが、口元に当てた袖に含ませて、まだ少しばかり笑い続けております。
「プーックックックッ」
では、到底笑いが治まったとは言えませんね……
彼女はマダム・マロン。占い師です。
ミエールが生まれる前からこの城にいるのですが、誰が記憶を掘り返しても、今とあまり変わらない背格好しか浮かびません。年齢不詳です。ミステリー。
王族でもなく、高い地位も持っておりません。見た目はただの、豊満な、やたら明るいオバチャンです。
なのに城にいるワケは、彼女も勇者の末裔だからなのです。
初代の勇者は仲間と共に魔王を倒しました。
魔王討伐の後、皆それぞれの故郷に帰ったり、別れて旅に出たりしましたが、その中の一人、占い師の女性が、ここに国を立ち上げた勇者と共に残ったのです。以後、ずっと城に暮らしていて、ずっと勇者の家系の相談役をしています。
「あーらイヤだ何だか止まらなくなっちゃったわ。ンホホホ。ゴメンなさいね、バカにしてるわけじゃないのよ」
言葉も遠慮ない強力なマイペースですが、ちゃんと見てるところは見ています。
今の笑いも、注目をひきつけるために声を上げたのでしょう。でなければ、ちょっと言い争いは避けられなかった雰囲気でしたからね。
「いやね、ちょっと来月の運勢を見てみたのよ私。来月ねえ、決まってしまったものはしょうがないけれど、まあ、あんまり恋愛運のいい月ではないわね」
そんなアナタ、とテオレ夫人が呟きますが、ミセス・マロンは一向に介さず、手元のホロスコープを見ています。
「でもね、出会いは多いわね。いいじゃないいいじゃない。そこから広がるご縁もあるでしょ。いいわ。やってみればいいわ、女王さん。気に入らなんだらハネたらええわ。友達からでもいいんでしょ」
不意に、ふくらはぎのあたりをつるりと撫でられ、ミエールはビクリとしました。
それがスカートに潜り込んできたヴァニーユだと気づいた時、波立っていたスッと気持ちが落ち着きます。味方が増えたようで、少し心強く感じたのです。




