台所のシルキー・ヴァニーユ 1
観光案内人からの口上
「やあやあ。勇者だよ。今日も元気かな。じゃあ観光案内はじめようか。
さあ、繰り返しになるが昨日行ったハイキングコースは一般の立ち入りが許可されてる部分だ。大半は鉱山として管理されていて、認可の鉱夫だけ出入りが許されている。そう、ダイヤモンドだ。
この山はダイヤモンドが採掘されるぞ。お土産のダイヤモンドクッキーはもう買ったかい?
ビスクヘルムに行ってきました土産のデザインに使われるくらい、ここはダイヤモンドの国なのだ。職場に配るにも最適。ちょっと掘ってきました、みたいなヤツだな。
実際、採掘体験も出来る、ただし別料金だ。運がよければダイヤモンドの原石が見つかるかもしれないぞ。見つけた部分はお持ち帰り頂いていい。参加したい人は俺に言ってくれ。
ダイヤ以外にも、この国の名物はある。何だか分かるかな? ヒントはダイヤモンドクッキーだ。
そう、ダイヤの方じゃなく、クッキー。実はこの国はお菓子類が美味しい。
三代前の王様がグルメだったと言われているが、むしろその時代に、国の文化を大きく変えるムーブメントを起こしたというのが正解だ。
建国三百年の小さな国だが、それなりに歴史はあるんだぞ。
ここ本来の郷土料理は無骨だが、名物料理がおしゃれメシなのはそのせいでな。ま、俺は昔からある郷土料理の方が好きだがね。
三角グリズリーの手煮込み……食べてみるかい?」
三枚目 台所のシルキー・ヴァニーユ
「久しぶりに、外の世界を見たいわ」
「どこにいくの?」
「ドコイクノ? ドコイクノ?」
「地上よ。そうねえ。ヴァニーユも来る?」
「うん、くる!」
「クルクル! キット クル!」
「行く、ね。その場合は」
「行くー! ママと一緒する」
「イクイクイクイク! アアン ダメヨ エッチ ゲヒヒ ゲヒヒ!」
昔むかし、といってもそんなに昔の話ではありません。ちょっとだけ昔。十七年ほど前。
それは初めて世界を目にした体験。
母に連れられて、人間界に行ってみた時のことです。
ヴァニーユが目を奪われたのは、太陽の下で見た多彩な色でした。
魔界では薄明かりと、閉じた世界の暗がりだけです。
地上のこの明るさがダメだという魔物もいます。ですが、ヴァニーユは太陽に具合が悪くなることもなく、新鮮な驚きを楽しんでいました。
おそらく、母が太陽の下で生きられる生物だったからでしょう……母は妖怪族です。百年生きた三毛猫、つまり猫又の、長毛種でした。雑種だったんですね。名前をジェリーといいます。
母は魔界から息子を連れ出し、お散歩にきたのです。外の空気が吸いたい。そう言って、まだ小さい、手のかかる我が子に化け猫の術を施し、子猫の姿に変えて咥えてきました。お供にこっそり、タマトリドリもついてきました。
夜明け前です。
太陽はまだ昇っていませんでしたが、もう空の一部はばら色でした。またその色合いの美しいこと!
ヴァニーユはぽかんと口をあけて、この広大で綺麗なお空の天井を見ていました。
下ろしてもらった足元がチクチクするので見てみると、緑の小さな下生えが、こちらに精一杯伸びて剣を立てています。
鼻先を何かがかすめたと思ったら、小さな蝶でした。バタバタした飛び方はコウモリに似ていますが、羽の可憐さは全く違いました。
思わず追いかけそうになりましたが、母の呼び声で慌てて先を急ぎます。
母は鉄格子を潜り、馬屋から梁を通って、うまく城に入っていきます。
ええ、お城です。ここはビスクヘルム。
初めてのお城訪問、空の淡桃色に輝く城壁から、青い影の中に飛び込みます。
ジェリーはお城の中をよくご存知のようです。迷いなく先を行き、後を追うヴァニーユも大変でしたが、途中、小さな気配に気がついてふと足を止めました。
可愛らしい、金の扉の前です。そっと、中に入ってみました。
「ドウシタノ ナニ ハイッテル ノ?」
「しっ」
「シー」
中は不思議に甘く暖かい匂いがしました。なんとなく身に覚えがあります。ミルクの匂いではないでしょうか、これは。
部屋の真ん中にはゆりかごがあり、向こうの壁際には乳母でしょうか、椅子にかけて居眠りしています。
ヴァニーユは伸び上がってゆりかごを覗きました。
白いレースに囲まれて、ふくふくとした赤ん坊が、幸せそうに拳を握って休んでいます。
「アカンボ カワイイ ネエ」
「しっ」
「シー」
タマトリドリの言うとおり、とても可愛らしい。思わずじっと眺めていると、不意にパチリと赤ん坊が目をあけました。
宇宙のような、星を宿した深い瞳。
思わずヴァニーユも瞳孔をまるまると太らせて、その深みを見返しました。
「あなた、だれ」
赤ん坊の声は、大人の人間には、赤ちゃん特有の、あの意味不明な小さな唸りにしか聞こえないでしょう。でもヴァニーユは、その言葉がわかりました。
「ボクはヴァニーユ」
「ハオハオ タマトリドリ ダーヨー」
赤ん坊は笑いました。そして、ああう、と小さく返事をしました。
「わたしは、みえーる。うまれたばかりなの。ゆうしゃよ」
「ユウシャ!」
「しー」
「シー」
「ゆうしゃって、なにをするひとか、わたしまだわからないけれど。かみさまが、おまえはゆうしゃだよって、いってくれて、わたしをここに、おくってくれたの。それまでわたしは、てんごくにいたのよ」
赤ん坊は一生懸命にお喋りします。
「みえーる、ってなまえは、ここのおとうさんと、おかあさんが、つけてくれたの。あなた、わたしとしゃべってくれて、うれしいわ。きのう、わたしの、うまれてさんじゅうにちめの、おいわいをしたの。まだ、だれも、わたしのことばをわからないのよ。うれしいわ」
そうしてやっと一息をいれて、ミエールはヴァニーユに小さな小さな手を伸ばしました。
ヒゲを捕まれるのはゴメンです、思わずヴァニーユはちょっと頭を引いて、同じように黒い手を伸ばしました。肉球がふわりと手に当たり、握り合うような形になります。
「あなた、おとうさんや、おかあさんとは、ちがう。てんしともちがう。べつのいきもの。なあに?」
「魔王だ。……今は、猫だ」
「タマトリドリハ タマトリドリ」
「まおう、ねこ」
少し笑い声をあげます。
「かわいい」
ヴァニーユの耳がピクリピクリと動きます。耳障りのいい言葉ですものね。
「ねこ」
考えるようにミエールは言いました。
「てんごくにも、いた。ねこいっぱいいたの、おもいだしたわ。てんごくのこと、だんだん、わすれていくの、ここにいたら、てんごくのこと、わすれるって、かみさまいってた、あなた、わたしをわすれる?」
「忘れないよ」
ヴァニーユにとっては充分インパクトのある旅行、そして出会いでした。
この世の物事の全てが無常として生きる猫の哲学も、まだ身についていないほどヴァニーユも若かった頃です。決して忘れない、と即答しました。安心したようにミエールは微笑んで、さらに問いました。
「わたしは、わすれるかしら」
「ちょっと待って」
ヴァニーユは一旦廊下に出ました。窓の鍵は簡単な閂、咥えて開けて、外に咲いていた真白い花を一輪、噛み取りました。
季節は初夏。薔薇です。見事な大輪の白薔薇。
「これあげる」
戻ってきてゆりかごに薔薇を沿え、ヴァニーユは言いました。
「見るたびに思い出せば、忘れないよ」
ミエールは驚いた顔をして、やがて笑い出しました。嬉しそうに可笑しそうに、幸せそうに笑いました。
その声に椅子の乳母が身動ぎます。ヴァニーユは慌てて飛び出し、部屋から逃げ出しました。
「ヴァニーユ、どこにいってたの」
そこへちょうど引き返してきたジェリーが、ようやく見つけた落ち着かない我が子の首根っこをしっかりがっちり咥え、逃げ出さないようにつれていきました。
遠くなる部屋から、乳母の声が聞こえてきます。
「まあ、姫様、これはどうしましたの? 薔薇じゃない。いったいどうして……」




