暗殺者⑥
「しかし、そんなお粗末過ぎる脚本で皇女が拘束されるなど、俄かには信じがたい話ですね」
「なっ、私は偽りなど」
気色ばむサイクレス。
それを軽く片手を挙げて制し、厚い前髪の下で小さく吐息をつく。
「かといって貴方の話を疑っているわけでもありません。まあ本来、毒薬を依頼するような人間が清廉潔白だったら世も末ですがね」
「.....あ」
言葉に詰まるサイクレス。どうやら何故こんな話をしているのかすっかり失念していたらしい。
毒薬を欲する人間が嘘をついていないなど、一体誰が信じよう。自分だって信じない。
ばつが悪そうに横を向いて黙り込むサイクレス。しかし不本意と書かれた顔が、心の内を雄弁に語っている。
「.....貴方のような方がこんな場所に来るなど、余程の緊急事態なのでしょうね。または全くの食わせ者か」
「.........」
下手に話すと要らぬことまで言いそうとでも思ったのか、気まずい表情のまま蒼へ向き直る。
しかし、その深い藍の瞳に曇りはない。
「この家に貴方が訪れてから今まで、行動、言動、反応の全てを観察していましたが、これが私を欺く為の演技と言うのであれば、もう諦めるしかありません。
それくらい貴方は諸々ダダ漏れです」
「!!」
目を見開いて動揺する様子を見るに、本人にはまるで自覚が無かったらしい。前髪で表情は見えず話し方も淡々としたままだが、どこか面白がる雰囲気の声色が出てくる。
「人の感情を読み取るのは何も顔の表情だけではありません。特に貴方は顔以外の方が感情に正直です。手や身体の動き、目線など私の言葉に逐一反応されてますから」
「.....そうなのか」
惑うように視線を彷徨わせかけ、指摘されたばかりの行動だったことに気付くと、サイクレスは不自然に目を合わせてくる。
冷たく整った容姿にそぐわない、素直な心根が容易に想像できるというものである。
「そのような訳で、浅はかな脚本にも関わらず、皇女を捕らえるほどの強い拘束力です。計画には相当な権力者が関わっていると考えられます」
話を戻しつつ、俯いて思案するように動きを止める蒼。その様子にサイクレスも黙り込む。
「.....それで、嫌疑を掛けられた緋と皇女はどのような措置に?」
暫しの沈黙を破り、蒼が静かに問いかけてくる。
「.....お二人は、皇城の塔に拘束されている」
「倒れたという夫殿は?」
「薬師と祈祷師が総出で治療にあたっているが、未だ意識は戻られていない」
上官で主君のジュセフとその夫であるディオルガはもちろんのこと、サイクレスにとって怪我の絶えない近衛騎士団員全員に目を配ってくれる緋も、守るべき存在だ。
誰も救えなかった無念に強く拳を握る。
「毒を盛られたんでしょう?薬師はともかく、何故祈祷師が?」
祈祷師とはその名の通り拝み屋だ。
何かに取り憑かれた人々に祈祷を施し、何かを追い払うという、実に怪しい職業である。
式典の最中に皇女の伴侶が倒れるという、国を揺るがすような大事件には余りにもそぐわない存在に思える。
「ジュセフ様と緋殿は事件後直ぐに拘束されてしまい、実際のところどのような毒なのか、本当に毒薬だったのかすら特定出来ていない。
それに、ディオルガ様は参列した人々の前で倒れられたのだ。民に毒が原因などと知られるわけにはいかない」
「なるほど、偽装も兼ねてですか。しかし原因が毒薬かも判明していないのに拘束とは、随分用意周到ですね」
ローブから出た長い指が細い顎を掴む。先程から何やら考え込んでいるようだが、やはり表情はわからない。
「だから焦っている。このままではまともな審議もされず、緋殿諸共ジュセフ様は失脚させられてしまうかもしれない」
エナル皇国の審議会は、通常三日に渡り開会される。
初日は事実関係の確認、物的証拠と状況証拠の審議。
二日目は被疑者心理と背景。
そして最終日の三日目には、2日間で明らかになった事項から事件全体を再検証し、真偽を見極める。
つまり、3日間で判決が出てしまうのだ。
「それで、審議会はいつなのですか?」
「四日後だ」
「それはまた。事件から賞味十日とは、本気で用意周到ですね」
「だから焦っていると言っている。こんな、こちらが何もわからない状況で審議が始まれば、ジュセフ様と緋殿に不利な証拠ばかりが出てくるに違いない」
サイクレスは激情のまま、小卓に拳を叩きつけようとした。
しかし、その手が卓の天板に触れる寸前、傍らより伸ばされた何かに受け止められる。
革手袋をしたゴツい拳が蒼の薄い左手の平に当たり、パアンと高い音を立てた。
「あっ」
無意識だっただけに受け止められ、サイクレスは驚き我に返る。
「そんな破壊力満点な攻撃を加えたら、うちの家具など木っ端微塵です」
小さな卓は優美な足で支えられた木製だ。
サイクレスの一撃に耐えられるとはとても思えない。
「すっ、すまない。大丈夫か?」
焦るサイクレス。蒼は脆弱ではないようだが華奢だ。手袋をした拳を受け止めて平気なはずがない。
慌てて手をどかすと、小卓の上に乗せられた白い手の平には特に変化はない。
よくよく見るとうっすら赤くなってはいるが、細さに反して蒼の手の平の皮は厚く、堅い。
「常に毒薬を扱っていますと、最初は皮膚が荒れますが、そのうちあまり感じなくなるんですよ」
視線を受け、右手で左手の平をさする。
とぼけているが、目の前の人物は紛れもなく毒操師なのだ。
「・・・・・・そうか、しかし本当にすまないことをした」
生来真面目で実直なサイクレスは、素直に非を認め頭を下げる。
「いいですよ。このくらい何ともありません。しかし、貴方に暗殺者は無理ですね」
「なっ!」
唐突な話題転換に、またしても思い切り反応してしまうサイクレス。
しらを切ることは出来そうに無かった。