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毒操師  作者: まあす
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皇都⑤

「私は権力も派閥争いにも興味ありませんが、あなた、この人のこと殺したい程憎いですか?」


 蒼は湯の張られた浴槽にもう一つの瓶の中身をあけながら、傍らに立つラトウィッジへ顔を向ける。

 顔の上半分が全く見えていないにも拘らず、厚い前髪の奥から僅かな変化も見逃さないといった強い視線を感じる。

 ギディオンには劣るものの、隊でもガタイの良い方である自分の半分しかないような蒼に内心気圧されつつ、敢えて飄々と答える。


「.......いや? 軍内部の過激派ならやるかもしれんが、俺はそこまでの思い入れはないね。ただこのお坊ちゃんのことが気に入らないだけだよ」


 近衛連隊は基本的に貴族の子弟で構成されている。

 ジュセフを支持しない派閥に属する貴族連からの入隊希望者は減っているが、良家の令息が集まっている軍であることに変わりはない。

 まして中隊長ともなれば、由緒正しい血統を保証されたようなもの。

 同じ軍人ながらサイクレスとラトウィッジたちでは立場が全く異なるのと同様に、建国から五十年、貴族として優雅な生活を送る人々がいる一方で、騎馬民族であることに固執し、街の暮らしを拒絶するものもいる。


 豊かで住みやすい国、エナル。しかし、急激な改革の歪みともいうべきものがこの国には残っていた。



「では、サイクレスさんを救う為、力を貸してくださいますか?」


 蒼はラトウィッジに向き直り、改めて問いかける。


「まあ、気にいらない奴だが、目の前で死なれちゃ目覚めが悪いからな」

「俺も。腕が立つと噂の近衛の坊ちゃんとは、一度手合わせしてみたかったし」


 ラトウィッジが皮肉げに唇の端を吊り上げる一方、ギディオンも頬傷の顔に笑顔を作って応える。

 二人とも無邪気とは程遠い剣呑な笑顔である。子供が見たら小山のような体格と相まって、泣き出すどころか引きつけを起こしそうな凶悪さだ。


「では急ぎましょう。ラトウィッジさん、浴槽に酒を注いでください。全部です」


 しかし聞きたい返事を貰った蒼は特に気にする様子も無く、軽く頷いただけで早速仕事を振ってくる。


「これを?」


  主人が運んできた樽を指差す。


「そうです。殺菌と皮膚と血管に入り込んでいる毒を身体を温めることで排出します」


  醸造酒は酒精の度数が比較的高い。

  勿論、飲んで身体を温めるのであれば蒸留酒の方が適しているが、全身を浸すとなると刺激が強すぎてしまう。


「身体を温めるなら、風呂じゃなくて飲ませた方がいいんじゃないか?これ、上等な酒だぜ? 勿体無い」


「確かに飲酒でも身体は温まりますが、今回は発汗を促すことが重要です。また安い酒は混ぜものが多いので効果が出にくいのです。さあ、早く」


 促されたラトウィッジは訝しげな顔をしつつも樽を開け、中身を浴槽に注ぎ始めた。


 醸造酒は透き通った金色で、浴室のほのかな灯りに照らされた流れはまるで黄金の滝だ。

 傍らのギディオンが物欲しそうにそれを眺める。


「ああ、俺も浴びてみてえ。......いや、やっぱり勿体ねぇ」


 ひと抱えあった樽の中身が全て注ぎ込まれると湯船から湯が溢れ、灰色の石床に淡い金色の水溜まりを作る。


 湯は随分緩くなってしまったものの薬の効能か酒風呂のお陰か、サイクレスの顔に赤みが刺してくる。また苦痛に強張っていた全身の力が抜け、運動時にかくような自然な汗が額に浮かぶと次々と玉をなして流れ出した。


「先程飲ませていた薬の効果も切れたので、血流が熱で早くなっています。毒素を排出し、発汗を促す薬と念の為、流れた毒薬を揮発させない薬を湯に入れました。みなさん、酒精でかなり効力は落ちていますが、うっかり傷など作りませんよう」


 蒼の言葉に顔だけでなく、首も腕も手の甲もと、服から覗く肌のほぼ全てに何からの傷を負っているギディオンにその場の全員が思わず視線を走らせた。

 注目されて目を丸くするギディオン。しかしすぐ意図を理解したらしく、口の端を上げて不敵に笑う。


「これは昔の傷。すっかり治ってるぜ」


「御心配な方は後で抗毒薬を差し上げますよ」


 蒼はさらりと恐ろしいことを言いつつ木綿の袖を捲り上げ、躊躇なく湯の中に手を突っ込む。

 そのまま黒い下衣に包まれたサイクレスの左太腿にそっと触れる。

 触れた箇所の厚手の布地は指一本分ほど裂けており、その下の皮膚にも僅かな切り傷が見られる。しかし傷は小さく、既に血も止まって怪我と言える程ではない。だがこの傷こそが致命傷だったのだ。


「………っ」


その場の誰に耳にも届かなかったが、それは蒼の舌打ち。


 今朝方ルース子爵の話を聴いたサイクレスは、一刻も早くエナルに戻らなくてはと焦るあまり周囲の警戒を怠ってしまった。またそれは蒼の失態でもあった。



 刺客は二組いたのだ。



 しかもそちらは賑やかに気配を発していたルース子爵たちとは比べ物にならない程の手練れ。

 息を殺し、身を潜めて蒼たちの周囲への警戒が弱まる瞬間を狙っていた刺客はその一瞬を突いて一斉に矢を放ってきた。

 放たれた複数の矢を腰に差していた長剣のひと薙ぎで撃ち落としたサイクレスだったが、その内の一本が太腿を掠めていたことには気づかなかったのだろう。

 それ程に小さな傷だ。


 刺客はサイクレスが矢を払い終わると同時に気配を消してしまい、姿に至っては最初から最後まで影すら捉えることはできなかった。

 深追いする時も惜しいと捨て置いたが、刺客はサイクレスに僅かでも傷を負わせることが目的だったのだろう。

 放たれた矢の一つを念の為確認していた蒼だが、毒の痕跡は無かったのだ。

 複数の矢は囮り。本命は太腿を狙った一本のみ。

 その一本にこそ、遅効性の血液毒がたっぷりと仕込まれていた。


「随分とまあ、挑戦的なことをしてくれる」


 毒操師である自分の目の前で毒を使われ、黙っていられる筈がない。

 元来、毒操師は非常に誇り高いのだ。


「何だって?」


 そばにいたラトウィッジが、蒼の呟きを聞き咎める。


「何でもありません」


 抑揚のない声で答え、サイクレスの顔色を窺う。

 どす黒かった皮膚の色は元に戻りはじめ、血管の浮き出しも目立たなくなってきた。


「大分毒が抜けてきましたね。後は手持ちの毒消し薬で大丈夫でしょう」


 蒼は壁に掛けてあった麻布で腕を拭うと、袖を元に戻す。


「大したもんだ。あんな状態だったのに治せるのか」


 意識を失いながら苦悶するサイクレスを見たギディオンは信じられないと感嘆の声を上げる。


 一方ラトウィッジは顎に手を当てて思案顔だ。



「なあ、あんた、もしかして毒操師か?」


 ラトウィッジの唐突の質問に、壁の方を向いていた蒼がゆっくりと振り向いた。


「なぜそう思われるのです?」


 淡々とした口調。感情は読み取れない。しかし前髪の奥でまた見えない瞳が光った気がした。

 先程より強い視線が刺さるが、蒼は肯定も否定もしない。問うたラトウィッジの方が落ち着かない気持ちになる。


「いや、薬師ってのは毒の知識もあるもんだが、こんな荒療治は見たことなかったし。まあ、勘だな」


「そうですか。私も勘でした」


「え?」


 蒼は宿の主人を促し、浴室の出口に向かう。


「ご主人、浴槽を提供くださってありがとうございました。後はこの方々が綺麗に掃除してくれるそうです」


「は?」


「ええっ!」


 思いもかけない発言に国境警備軍の二人が驚いて声を挙げる。


「おや?手伝うと仰いましたよね」


 しゃしゃあと蒼。


「そりゃ言ったが、この坊ちゃんのことだけだぜ」


 ラトウィッジの抗議にも全く動じない蒼。


「治療はまだ続いています。彼を湯から上げて着替えさせ、二階に寝かせてください。

 それと湯の始末ですね。そろそろアルコールで毒が中和されます。普通に排水しても問題ありませんよ」


 あっさり言うと浴室の扉を潜って出て行こうとする。


「おい!あんたっ」


 出口に近かったギディオンが手を挙げて呼び止めた瞬間、出口から顔だけ僅かに振り返った蒼は、


「あ、申し遅れましたが、私、毒操師の蒼と申します。以後お見知りおきを」


 さらっと名乗ると、湿気に負けないよう分厚く作られた浴槽の扉を二人の目の前で閉めたのだった。




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