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毒操師  作者: まあす
19/20

皇都④

 ギディオンが扉が開いたままの二階の一室を覗くと、さほど大きくない寝台の横で群青の塊が何やらごそごそと作業をしていた。


 寝かされているのは袖のない黒い上衣に同じく黒い下衣を身につけた大柄な男。寝台からはみ出しそうな長い足は裸足で、履いていたと思しき黒い長靴は部屋の隅に置かれている。

 男の全身にはびっしりと脂汗が浮かび、妙にどす黒い肌の上で玉になっては次々と滑り落ちている。

 顔を見やればまだ青年と言える若い男だ。堅く閉じたままの瞼は時折苦痛に歪み、眉間には深い皺が刻まれている。

 寝台に投げ出された剥き出しの腕や首筋、汗で銀の髪が張り付くこめかみには異常なほど血管が浮き出して

 いる。

 その皮膚を這うかのような青紫色の血管に、流れる血液の黒さを感じさせられ、ギディオンの肌が粟立つ。

「おい、こいつ、もしかして……」


 伝染病の類いかと後退るギディオン。感染を懸念して思わず口元を押さえる。


「はい、この方は毒に犯されています。遅効性の血液毒です。この毒は血管に入り込むと全身を巡り、血管の硬化、血液と皮膚の変色を引き起こします。ああ、心配しなくともこの状態では周囲に影響はありません」


 ギディオンの不安など全く意に介さず、寝台の横で作業を続ける蒼の説明は手短だ。顔も上げないが、声色は淡々として冷静そのものに見える。


「……………」


 怯んだ自分が恥ずかしくなったギディオンは、こほんと軽く咳払いして再び蒼の横に並び立った。


 病人の様子をひと通り確認し終えた蒼は傍らに置かれた麻の袋を開け、中から全て同じにしか見えない小瓶を幾つか取り出している。


「ん? あんた、薬師か?」


 広く薬全般を取り扱うのが薬師である為、ギディオンのような勘違いは多い。麻袋の小瓶の中身を知ったら先程の比で無く飛び上がるだろうが、蒼は気に止めもしない。


「そのようなものです」


 説明が面倒だったのか適当に流す。


「こいつ、治るのか?」


 影響が無いとは言え、毒と知って改めて横たわる青年を観察する。青年、サイクレスは見た限り意識はない。しかし気を失っても苦痛は去らないのか、食いしばった歯の隙間から抑えきれない呻き声が零れている。


「治ってもらわないと困りますね」


 蒼は小瓶の一つを青年の口元に持っていき、瓶の中身を飲ませようとした。しかし奥歯を食いしばっているのか両顎はがっちりと噛み合わされ、とても飲み込めるような状態ではない。無理に流し込んでも歯列をなぞって溢れるだけだろう。

 小さく舌打ちをした蒼はおもむろに自ら小瓶を煽り、サイクレスの顔に覆い被さると何の躊躇もなく口移しで中身を飲ませた。


「!!」


 動揺するギディオン。先程とは別の理由で後退ってしまう。

 勿論、恋人同士の甘い口づけなどではないことはわかっている。ギディオン自身、国境付近の小競り合いで傷を負い、意識を失った仲間に人工呼吸を施したこともある。


 だが、先程のラトウィッジの言葉を思い出し、意識にせずにはいられなかった。


[面白そうなねぇちゃん]


 ラトウィッジがそう言ったときは本気で耳を疑った。確かに顔はもっさりとした前髪でよくわからないし、簡素で大きめの上下は身体の線を覆い隠しており、可能性がないとは言いきれない。

 しかし……。


「あいつ、酒樽軽々と持ってるぜ?それに女臭さが欠片もしねぇ。あんな女いるかよ」


 いくら性別を隠してるとは言っても女性として育ったのなら、無意識に出る仕草というものがある。

 店からここまでずっと後ろをついて歩いているが、酒樽に足元がフラつくこともなければ、辛そうな様子もない。時折歩みの振動で樽が肩からズレてくるのか担ぎ直しているが、それも無造作そのもの。

 女臭さどころか、寧ろ男らしさが目につくばかり。


 宿までの道々、蒼を見やる度にそう否定するギディオンにラトウィッジは、


「まあ、俺の勘だけどな」


 と口の端を吊り上げて笑い、根拠は教えてくれなかった。

 しかし付き合いの長いギディオンは知っている。こういう顔をしたラトウィッジの勘が外れたことがないということを。


 蒼のもっさりした前髪の下から覗く鼻先に小さくも大きくもない唇、細い顎。確かに特徴は女性的と言えないこともないが、今回ばかりはラトウィッジの勘が外れたと思いたい。


「大体、女ってのはもうちょっと、こう………」


「ギディオンさん。何してるんですか?こっちに来てください」


 置かれた状況も忘れ、両手のひらで理想的な曲線を作っていたギディオンに蒼の指示が飛ぶ。


「えっ、あ、ああ!」


  我に返り、慌てて寝台に駆け寄るギディオン。


「宿に着いて直ぐ処方した血管緩和剤は気休めにしかならなかったようで、とっくに効果が切れてしまってます。早く毒を抜かなくては。

 今、血流を一時的に鈍くする麻痺毒を投与しました。暴れませんからギディオンさん、この人を風呂場まで運んでください」


 飲ませた薬の効果か、苦悶に歪む青年の表情が少しだけ和らいだような気がする。


「わ、わかった......あっ」


 まだ手伝うとも言ってなかったギディオンだが蒼の得体の知れない迫力に押され、思わず頷いてから誘導されたことに気づく。


 こうなった以上、手伝わないわけにはいかない。何より目の前で苦しんでいる人間を放っておけるわけもない。

 身体は小山のように大きく、顔には迫力しか無い傷跡を貼り付けているキディオンだが、中身は単純素直なお人好しだった。


 寝台からはみ出しそうな程長身の青年は、剥き出しの肩から見てもかなり筋肉がついており、決して軽くない筈だ。しかしギディオンは仰向けになった背の下に腕を差し込むと、力のない身体を危なげなく担ぎ上げた。


 小山な体躯は伊達では無い。


 階段を降りる際に落とすことが無いよう青年をしっかり肩の上に抱え直したギディオンは、苦悶に歪む、だが整った顔を間近にして既視感を覚えた。


 何やら見覚えがあるような。


「あれ?こいつ、どっかで........」


「ギディオンさん、急いでください」


 頭の中に浮かびかけた映像が形を成す前に、蒼の一声で散り散りになってしまう。


 既に部屋を出ていた蒼が廊下から呼びかけている。


「........うーん、確かに見覚えがあるんだが.....思い出せん。ま、後でいいか。今行く!」


 声を張り上げて応えると、担いだサイクレスが壁や扉に激突しないよう注意を払い、一階へ降りて行った。

 風呂場には控え目な主人と、鋭い顔立ちに好奇心を浮かべたラトウィッジが肩を並べて二人を待っていた。


  ラトウィッジは外套と上衣を脱ぎ、既に身軽な格好だ。


「そいつがご入浴頂くお客様か?」


「ええ、よろしくお願いします」


 向けられた皮肉もサラリとかわし、蒼はギディオンへ青年を浴槽に入れるよう指示する。


「脱がさなくてもいいのか?」


「ええ、衣服に付着している毒も流したいので」


 ちょっと意地悪そうに口元を歪めていたラトウィッジに、蒼は無関心なのか淡々と返す。


「毒?」


 その途端、ラトウィッジから笑みが消えた。冷淡で厳しい顔が戻ってくる。

 また、毒と聞いた宿の主人があからさまに後退った。


「心配いりません。傷口から入り込む類の毒薬なので、空気中に漂うことは恐らくありません」


 主人を安心させようとしたのか落ち着いた口調で説明するが、そんな言い回しをされては安心出来る筈もない。

 主人は浴室を飛び出さないまでも腰が完全に引けている。手伝って貰うのは難しそうだ。


 しかし構っている暇はないと思ったのか、それ以上説明することなくギディオンを促す蒼。


「さあ、お願いします」


 ギディオンも蒼の説明に不安が増した顔をしていたが、ともかく治療が先だと思い直したのか、荷物のように担いでいた青年を一旦お姫様抱っこに切り替え、ゆっくり浴槽の中へ腰掛けさせた。


 そのとき、力のないサイクレスの首が傾き、覗き込んでいたラトウィッジにも顔が見える。


 その瞬間、ラトウィッジの顔色が変わる。真剣な表情に更に凄みが増した。


「おい、こいつぁ、サイクレス=ヘーゲルじゃないか」


「ああっ、そうだっ!どおりで見覚えがあると思った」


 ギディオンが今思い出したと空いた手を打つ。


「お知り合いですか?」


 上から持ってきた瓶の中身を浴槽に開けながら、蒼は手元に集中しながら無感情に尋ねる。


「知り合いも何も、近衛の中隊長殿でジュセフ皇女の腰巾着だ。軍属なら国中知らない奴はいないぜ」


 ラトウィッジの物言いからあからさまな敵意が伺えたのか、蒼が顔を上げる。


「随分な言い方ですね。国境警備軍支持の継承者は、やはりハーディス皇子ですか」


 騎馬民族出身が大半を占める国境警備軍では、アドルフ皇王継承者5人の中で、同族の妃ディアを母に持つハーディスを支持している。


 この派閥は貴族連とは程遠い。力こそ正義と言って憚らない、男臭い集団で構成されていた。


「まあ、俺たちはそれほど熱烈じゃないがな」


「ジュセフ皇女だって、騎馬民族の血筋でしょうに」


 ジュセフは女族長ネイシスの孫、つまりは騎馬民族の娘の子だ。ハーディスと同じ立場である。


 だが、騎馬民族の男たちには譲れない理由があった。


「ネイシスは娘を差し出し、戦わずにアドルフ陛下に統合された。騎馬民族の誇りのない者の子孫など、支持出来ないというのが軍内の考えだな」


 つまりは、そういうことであった。

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