皇都①
貿易の街、エナル皇国の首都ハイルラルド。
半円を描く湾沿いに交易の要である巨大な港を構え、数多くの市場が立つ埠頭に飲食店や雑貨店が軒を連ねる繁華街、市民の居住区、商人の屋敷、貴族の館と高台に行くほどに街の様子は変わっていく。
そして港を望む丘の頂上、堅固な城壁でぐるりと囲まれた広大な土地に皇王の住う皇城は聳え立っていた。
その為、港に近い城下町からは高く分厚い城壁に遮られ、陽光を浴びて輝くよう計算された尖塔の一部が見える程度。城の全容を推し量ることなどとても出来ない。
質素頑健な騎馬民族出身のアドルフらしく、装飾などない実用性重視の蒼灰色の石で統一された皇城は、荘厳と堅固を兼ね備え、見るものに皇王への尊敬と畏怖を抱かせる。
一方、城下町は城の雰囲気と打って変わり、温暖な陽光をふんだんに受け止めるられるよう建物の窓は大きく設計され、開かれた明るい雰囲気となっている。
ハイルラルドはアドルフ皇王が即位後直ぐに着手した大規模な都市開発により、港町だというのに路地が少なく広い道が幾本も通っている。
商人たちが買い付けた様々な品はこれらの道を通って国の内外に運ばれて行く。
アドルフ皇王は商人たちにとって財産を奪った憎い略奪者ではあるが、こうして行われた大規模な改革により、その後の交易が円滑に進んでいることは間違いない。
またこの公道の整備によって、路地を溜まり場とするような浮浪者や脛に傷を持つ無法者たちは激減。これらがもたらす犯罪と疫病も比例するように減り、街を様々な意味で清潔にしていた。
安全で清浄な街は賑わい、特に海沿いの繁華街は夜ともなると仕事を終えた漁師に非番の兵士、商談接待の商人、観光客なども入り乱れ、大変な混雑となる。
各々行きつけの酒場で馴染みと酒を酌み交わす、ハイルラルドの人々の最大の娯楽場なのだ。
そんな繁華街の一画に、海牛亭という、青い水牛の看板を大きく吊り下げた酒場がある。
特段変わった店構えではないが、海沿いには珍しく旨い肉料理を出す店ということで、地元の人間に人気があった。
その店内。
幾つもある丸い卓の間を大皿の肉料理を手に、給仕係の娘たちが走り回っている。
娘たちに紛れ、この店の女将も男顔負けの太い腕で一気に何人前もの皿を軽々と運ぶ。
「はいよっ、スネ肉の煮込み。パンは特大だったね」
女将は柔らかく煮込まれたスネ肉の入った深皿を、二人連れの座る一番奥の丸卓にドンっと置いた。
添えられたパンは丸々と大きく、正に特大で焼き立ての匂いが食欲をそそる。
「旨そうだな」
早速と木匙を手にした二人連れの一人がそう言うと、隣のもう一人が呆れたように口を挟む。
「お前は腹いっばい食えりゃなんでもいいんだろ?」
「何を言う。旨くて量があるのが理想だ。ただ腹を満たすのは非常時のみだぞ」
そう言って匙で煮込みを掬うと、片手にパンを持ち、豪快に食べ始める男。
筋骨隆々な身体中、刀傷が縦横無尽に走っている。特に右こめかみから顎にかけてザックリ走る傷は、誰もがギョッとする程の迫力だ。
だが、表情には男の大らかさが現れ、不思議な愛嬌がある。
「旨い!おっかさん、今日の煮込みは最高だ」
「当たり前だろっ、うちの人が精魂込めて作ってるんだよ」
男の賞賛に隣の卓にも料理をどっさり置いていた女将が威勢良く応える。
「大将の腕はホントいいよな。うちの食堂で働いてくれたらこれが毎日食べられるのに」
パンで口をモゴモゴさせる男の言葉に、女将は鼻の頭にシワを寄せた。
「あんた、国境警備軍だろ?そんなとこの賄い夫なんて給料安くて食っていけるかい。うちは家族が多いんだ」
給仕をしているのは、皆女将の娘だ。
ちなみに厨房で店主と一緒に汗だくで働いてるのは息子たちである。
「違いない」
煮込みをかっこむ男の傍らで、エールを煽っていたもう一人が薄く笑う。
こちらは対照的に酷薄そうな鋭い顔立ちだ。整っていないわけではないが、その視線には背筋がぞくりとする程の冷たい何かがある。
「ちぇー、俺らだって安月給だよなぁ。飯くらい旨いもの食いたいっての」
ぶつぶつ文句を言う頬傷の男が、最後の肉の固まり頬張ったとき、隣の男が何かを発見したかのようにエールのジョッキを置いて、厨房の手前に設置された長卓の方を見た。
「ん?ろうひは?」
同僚の行動に、肉で膨れた頬のまま同じく長卓の方に顔を向ける。
一瞬、客の間から鮮やかな群青が見えた。
深い空の色にも見えるそれが、色とりどりのドレスに揃いのエプロンという出で立ちの娘の一人かと思う。
「お前、ここに気に入った子なんていたっけ?」
肉を飲み込む男。名残惜しそうに皿に残るスープをパンで拭い取っている。
「馬鹿、よく見てみろ」
鋭い目つきの男が、顎で長卓を指し示す。
「んん?」
視線の先には一人の人物。
背は低くないが、身体の線はよくわからないもっさりした木綿の上下を身に纏い、顔はクシャクシャになった黒い巻き毛で覆われ顎の先しか見えていない。
だが少なくとも男たちのようにはち切れんばかりの筋肉は持ち合わせていないし、かといって枯れた老人とも言えない。
たっぷりした袖から長卓へと伸ばしている腕は、皮膚に張りがあって若そうだ。
先程視界にひらめいた群青は、肩から羽織った外套だった。
人物は厨房に向かって何かを注文しているようだ。
厨房から出てきた店主が胡散臭そうな顔をするも、長卓のチャリンと置かれた金を見て、渋々親指でくいっと肩越しに自身の背後を指差す。
人物は首を伸ばして長卓の奥を覗くと、目当ての物を見つけたのか店主に軽く会釈して、反動もなしに片手でヒョイッと卓を飛び越えた。
非常に軽い身のこなしだった。
「おお、やるねぇ。あのにいちゃん。ハジテみたいじゃねぇか」
身の軽さを武器にしている小柄な同僚を思い出し、軽く口笛を吹く真似をする頬傷の男。
「旅行者みたいだが、匂いが普通じゃないな」
冷静に観察していた細身の男は、既に空になっていたジョッキをそのままに、席を立つ。
「おい、どうする気だ?」
もう一人もつられて立ち上がる。
「非番でも俺たちは国境警備兵だからな、不審者には職務質問だ」
そう言った冷たそうに見える男の横顔は好奇心に輝いていた。




