刺客②
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鳥のさえずりが聞こえる。
ああ、あれはジュセフ様が可愛がっていた凛鳥。
小さい頃に陛下から誕生日に贈られた、光を反射する真っ白な身体に長い尾、そして鮮やかな赤い嘴を持つ美しい鳥は、まるで鈴を振ったような特徴的な声で鳴くことからそう呼ばれている。
稀少種で入手困難と言われている高価なそれを、籠の中は可哀想だからとジュセフ様は陛下に内緒で逃がしてしまわれた。
それなのに凛鳥は空を自由に飛び回っては、毎日ジュセフ様の元へと帰って来る。
ふわりとジュセフ様の肩に舞い降り、白く柔らかな羽毛に包まれた体を頬に擦り付ける凛鳥の仕草に、「甘えんぼうだな」と微笑んでいつも愛しそうに嘴を撫でられていた。
.......自分は愚かにもこの眩い日常が、この先もずっと続くものだと思っていた。
それは式典の最高潮、陛下が皇王に即位された際に携われていたという皇王の劔を掲げ、臣下と共に国の繁栄を誓われる瞬間だった。
ジュセフ様と共に近衛騎士団の先頭で剣を抜き、高々と腕を上げられたディオルガ様は、そのまま剣を取り落とした。
複雑な紋様を組み合わせた美しい大理石の床に硬質な音が響き渡り、何事かと参列者の視線が集まる。
厳かな式典での失態に眉を潜める者も多かったが、ディオルガ様を見た瞬間、驚愕に目を見開いた。
思わずといった体で口元を押さえるディオルガ様は、皆と同様に驚きの表情を浮かべていた。
それもその筈、白い手袋を付けた指の隙間からは大量の血が溢れていたのだから。
騒然とする周囲に駆けつける衛生兵と医師。
陛下と皇族の方々は騒ぎで警備が手薄になる懸念から席を外され、間を置かずに式典の中止が伝えられる。
その傍ら大衆の目の届かないところで、ジュセフ様は要人警護を担う国家警備隊に取り押さえられたのだ。
自分には目の前の光景が理解出来なかった。
何故ディオルガ様が倒れられたのか、何故それがジュセフ様を捕らえることになるのか。
纏まらない思考のまま、殆ど抵抗せず連行されていく近衛騎士団の礼服に包まれた背中へ、無意識に手を伸ばす。
しかしこれ程の人数がどこに潜んでいたのか、瞬く間に国家警備兵に四方を囲まれて、剣を抜くことも出来ないまま抑え込まれてしまう。
だが、式典用の特別な絨毯が敷かれた床に叩きつけられ、複数人に上からのしかかられても必死にもがき続けた。
諦めるなんて到底出来なかった。
両側を国家警備兵に固められ、罪人でもないのに手錠を掛けられたジュセフ様は謁見の間を出るほんの一瞬、肩越しに振り向かれた。
床に這い蹲る自分と目が合うと、困ったように肩を竦め..........いつもの笑顔を浮かべられたのだ。
「大丈夫だ」、確かにそう口元が動いた。
......俺はあの方を守れなかった。
陛下よりも忠誠を誓う主君、ジュセフ・ジェファーナ=ヴァン=エナル殿下。
俺の命を捧げる人。
ジュセフ様がいなくなって、あの凛鳥はどうしているのだろう..........。
「ん......」
瞼に光があたる。
「朝、か......」
薄く開いた瞼の隙間から陽光が入り込み、眩しさに思わず目を瞑る。
「.....まぶ、し............................っ!!」
しかし、一瞬後にはカッと目を見開き、飛び起きた。
「なっ、朝!?」
サイクレスが辺りを見回すと、そこは夕べ辿り着いた木々の隙間の小さな広場だった。
そう、この場所に来たとき、まだ夜は完全には訪れていなかった。
だが、今東の空に見えるのは間違いなく朝日だ。
春を迎え夜明けが早くなった今の季節、陽はまだ丘を照らし始めたばかり。
早朝だったことに僅かにほっとするが、寝過ごしたことは間違いない。それと共にサイクレスへ自らが寝落ちをした原因も思い出した。
「朝食が出来ましたよ」
不意に背後から声を掛けられ振り向くと、まだ少しだけくすぶっている焚き火の傍ら、蒼が何やら準備をしていた。
「あんたっ!一体昨日、俺に何を飲ませた!!」
一応の礼儀として使っていた敬称が、すっかり吹っ飛んでいることにも気付かず、蒼に詰め寄るサイクレス。
「ですから、疲労回復滋養強壮薬です。睡眠毒の入った」
木の棒で焚き火を掻き分け、黒い塊を取り出していた蒼は、悪びれもせずに答える。
「毒!!」
立ち上がり口元を押さえるサイクレス。しかし、当然のことながら今更吐き出せる筈もない。
「落ち着いてください。毒と言っても神経と精神の感覚を抑制し、睡眠を誘発するだけで害はありませんよ。
それより身体の方はどうです?」
言われて初めて昨日までとは嘘のように身体が軽いことに気付く。
「.......これは」
「回復しましたか? 貴方、事件以降殆ど眠れていなかったでしょう。心も躰もガチガチに強張っていましたから」
パリパリと黒い塊の表面を剥きながら蒼はサイクレスを見る。と言ってもやはり前髪は降りたままだ。
「睡眠は最も手軽で効果的な疲労回復法です。人間、少しばかり食べなくても生きていられますが、眠れないと神経が疲弊して死にます」
ぽーんと表面を剥いた塊をサイクレスに放る。
「どうぞ。昨日仕掛けた罠にうまい具合に掛かってたので、その辺の茸と蒸し焼きにしました」
そう言うと自分の分もパリパリ剥き始める。
手の中には葉の塊。表面の焦げた部分は既に剥かれているので、後は中を開くだけだ。
「..........頂こう」
騙されたことは納得いかないし、急ぐ気持ちも勿論あるが、回復したのは事実。それに香ばしい匂いに空腹を感じてもいた。
今回は素直に礼は言えなかったが..........。
蒼の反対側に座り、葉を開くと茸の香りが食欲を誘う。
しかし、一緒に蒸されていたのは、鳥肉だった......。
瞬間、夢の中の凛鳥を思い出して怯む。
だが、食べなくては死なないまでも力は出ない。
意を決して口に運ぶと、茸とともに柔らかく蒸された鳥肉は思いのほか美味で、あっと言う間に平らげてしまった。
「まだありますから、どうぞ」
棒で掻き出した幾つかの塊を次々と剥きながら、自分も食事をする蒼。
「貴方の馬もすっかり回復したようですから、今日は速く進めますよ」
言われて、広場の端に繋がれた愛馬を見ると、蒼が用意したらしい草を元気にはんでいる。
主人の視線に顔を上げ、ヒヒンと一声啼いた。
「お前........すまない、蒼殿。ありがとう」
馬のことは素直になる、素直なサイクレス。
「今日この子には沢山働いて貰いますからね。
あ、そうそう。腹拵えしたら見て頂きたいものがあります」
「?」
この後、サイクレスは目にしたものに驚き、愛馬を最速で駆ることになる。




