刺客①
地面に倒れ臥したサイクレスを心配したのか、手綱を放された彼の愛馬は首を下げて主人に鼻面を近づけている。
しかし当のサイクレスは柔らかい下草の地面に頬をつけ、固く目を閉じたまま目を覚ます様子はない。
「心配しなくても大丈夫ですよ。ご主人は疲れて眠っているだけですから」
自分が強制的に眠らせたにも関わらず、しれっとそんなことを言う。そして袋からもう一つ小瓶を取り出すと、蓋を開けて中身を数滴手の平に垂らした。
「君も疲れたでしょう。お飲みなさい。ゆっくり休んだら、明日には元気になれますよ」
不安そうに鼻先で主人を揺さぶっていた馬の手綱を取り、優しく首を上げさせる。そして宥めるようにぽんぽんと首元を叩くと、薬を落とした手の平を鼻の下に近づける。蒼の柔らかな声と仕草に少し警戒を解いたのか、馬はふんふんと薬の匂いを嗅ぐ。
「大丈夫、倒れたりしないですから。ご主人は聞き分けが悪そうだったので、普通の3倍の量を飲んでもらっただけです」
ひどいことを言うその言葉を理解したのか、首を撫でる蒼に安心したのか、馬は薬をペロリと舐めた。
一度舐めたら、美味しかったらしく何度も蒼の手の平を舐める。薬はあっという間に無くなってしまった。
「そう、いい子ですね。って、こらこら、そんなに舐めてももうありませんよ。くすぐったいです」
馬から手を取り返し、蒼は馴れた手付きで馬の鞍と手綱を外してやる。
「もうお休みなさい。明日は頑張ってもらうことになりそうですから」
優しく優しく首と背中を撫でてやると、薬が効いてきたのか、リラックスした馬は膝を下り、首を傾けて目を閉じた。
馬が眠りにつくと、蒼はサイクレスの落とした瓶を拾い上げる。
「さて、これでやりやすくなりましたね」
呟きは小さくて、サイクレスの規則正しい寝息と馬の鼻息以外、静寂に包まれた森の中を時折吹きつける、春先の乾いた南西風にかき消されてしまった。
「さて、夜は冷えるから薪でも拾ってきますか」
すっかり寝入っているサイクレスに毛布を掛けてやると、蒼は誰にともなくそう言ってサイクレスと愛馬が眠る下草の生えた小さな広場をぐるりと囲むように伸びている木々の隙間へと向かって行った。
その手の中には小瓶が2つ、押し隠すように握られていた。
パチパチ
焚き火が小さくはぜる。
緋色の炎は休みなく、火の番をしている蒼の顔をゆらゆらと照らしている。
鮮やかな緋色。命そのもののような輝きは緋の称号を持つ、かの人に似ていた。
「………あなたは私に何をさせるつもりなのですか?」
ひっきりなしに生まれる新しい炎。温かくも激しいそれは春先の冷たい空気を和らげる一方で、暗闇に二人と一頭を浮かび上がらせる。
しかし森の住人である動物達は見慣れない炎に警戒しているのか、今は息づく気配も感じ取れない。
その代わり……
バサッ
どこかで葉擦れの音がした。
バサッ
パサッ
ポスッ
立て続けに音が響く。
「ニ、三、四………」
静かに数える蒼。
ゴッ
ふと、鈍い音がした。
「……おやおや、お気の毒に」
それからも幾つか、同じような音が聞こえ……………やがて静寂が訪れた。




