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アリシアが覚醒してから早3日。社交シーズンの現在は今日もどこかで夜会が開かれていた。
いつもであれば、兄のエスコートで主催への挨拶と稀に儀礼的なダンスの1曲でも済ませたあとは、すぐに別行動へと移る─アリシアは思い人クラウスの取り巻き軍団に参加する─のだが、今夜は挨拶を終えてもパトリックの隣にいた。
どの夜会も、主催の家が趣向を凝らしてゲストをもてなすのだが、新生アリシアにとって今日の夜会は一段とぎらついて見えた。もちろん、アリシアにそう見えるだけで実際はよくある─といっても豪華絢爛な─夜会である。
『婚活を手伝うのは構わないけど、僕の知人たちは殆どクラウスと共通の知人だ。
お前があいつを好いていたことは周知の事実になっているからあまり期待はしないでくれよ』
『構いませんわお兄さま。
難しいのは元よりわかっております……。
それでもわたくしは、この初恋を断ち切って自分の幸せを見つけなければなりませんの!』
馬車でのやり取りを思い出し、パトリックはこっそりと溜息をつく。アリシアは少々夢見がちなところにだけ目を瞑れば、振舞いや教養などは問題のない公爵令嬢だ。絶世の美女とまではいかずとも、見栄えも決して悪いほうではない。本来はアリシアを望む者は多くいるし、実際に縁談の打診も公爵家にはあるのだが、すべては父公爵のところで止まっている。クラウスの取り巻き云々のことがなかったとしても、アリシアの行動によって縁談が決まることはないだろう。
だからこそ、いつのまにかクラウスの取り巻き軍団に参加していたときも傍観していたのだが、今度は自分で婚活すると言い出すとは。今までは友人の令嬢や他の取り巻き令嬢、クラウスくらいしか関わりのなかったために非常に狭くなっているアリシアの視野が、いつもと違う人間と関わることで少しでも広がることになればいいかと渋々承諾したのだが、無駄に気合が入ったアリシアを見ると面倒事が起こるのではないかと少々不安になる。
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「やあパトリック。それにアリシア嬢。珍しいな、まだ君たちが一緒にいるなんて」
「ああ、ダニエル。今日は君もきていたのか」
「ダニエル様、ごきげんよう。お久しぶりでございます」
兄妹でのダンスを終え、飲み物をとってきたところに現れたのはパトリックの友人の一人、ダニエルだった。何度かパトリックを訪ねて公爵邸を訪れたこともあって、顔見知りでもあるダニエルにアリシアは気軽な挨拶を返す。
「クラウスと喧嘩でもしたのかい?
それとも、奴の色男ぶりに嫌気でも差したとか?」
ダニエルは顔なじみ故の気安さで、にやにやとアリシアを揶揄う。クラウスの所にいないだけで珍しいと言われるほどに、自分の取り巻きっぷりは板についていたのかとアリシアは内心落ち込んだ。デビューから2年、夜会などで見かけるたびに追いかけていたのだから当たり前ではあるのだけれど。
「お恥ずかしながら、今まで社交を疎かにしがちでしたから……。
兄に付いて色々と人脈を広げなければと思い至りましたの」
「……なるほどね」
暗に今までとは違うという思いを乗せて答えると、ダニエルが面白いことを聞いたとばかりに目を煌めかせた。
アリシアが幼いころからクラウスに懐き、デビュー後は更に熱を上げていたことは、パトリックの友人たちの中では周知の事実である。そのアリシアが突然クラウスから離れると宣言したのが可笑しくて仕方がないらしい。
何となく、ダンスホールに目を向けると、クラウスと先日揶揄われていた少女が手を取り合っているのが視界に飛び込んできた。長身で体格のよいクラウスと、小柄ではちみつ色の髪を揺らす可憐な少女がくるくると回っている。少女はダンスに不慣れなのか、少々うつむきがちにステップを踏んでいる。それをクラウスが面白そうに微笑みながらリードしていた。
クラウスは、いつも数人の女性たちに囲まれていて、全員と踊っていたらきりがないためかいつも2回ほど誰かと踊ったあとは社交と称して会話を楽しむことに集中していた。2年ほど取り巻きをしていたアリシアも、クラウスと踊ったのは両手で数えると余裕で収まってしまう程度しかなかった。
ダンスの時間は短くても、クラウスの目に自分だけを映してもらえる貴重な時間。少ない思い出でも、アリシアにとっては宝石箱のアクセサリーよりもきらきらと輝く宝物だった。
まだ会って間もない少女、しかもクラウスの取り巻きでもない少女がその時間を過ごしていると思うと、胸の奥がずきりと痛む。やっぱりクラウスも、彼女に特別なものを感じたのだろうか。
ダニエルは、そんなアリシアの様子に気がついたのか、わざとらしいほど芝居がかった仕草でアリシアに声をかけた。
「今まではアリシア嬢のことを見ているだけしかできなかった男共にもチャンスが巡ってきたということか。
それならまずは一曲、俺と踊っていただけますか?」
「はい、喜んで」
いってらっしゃいと手を振る兄に送られて、アリシアたちはダンスの輪に加わる。
基本的に、兄かクラウスとしか踊らなかったアリシアにとってそれ以外の男性とダンスを踊るのは久しぶりだった。普段踊りなれていない相手とのダンスに少し不安だったものの、ダニエルのダンスの腕前は中々のものらしく、とても踊りやすかった。お互いに流れるようなステップを踏む。
踊りやすかったがために、余裕ができてしまって本当は見たくないものまで目に入れてしまう。
視界の端に捉えたのは、クラウスと少女が手を取り合って踊る姿。あんな風に、可愛いものを慈しむような視線をクラウスから与えられた記憶なんてアリシアにはなかった。
くるりと回って彼らが目に映るたびに、どろりとしたものが胸の中に流れる気がした。
「そんな表情もするんだねぇ」
上から降ってきた声に顔を上げると、苦笑を浮かべたダニエルがいた。
「ごめんなさい、ダンス中にほかのことを考えるなんて不躾ですわね……」
「別にいいよ。俺たちの中で君がクラウスにぞっこんなことなんて空が青いのと同じくらい当たり前のことだからね。
だからこそ、急にどういう心境の変化かなって」
「……ただ、現実を見ただけですわ。
わたくしだって、現実を見てちゃんと結婚したいのです」
唇を尖らせて呟くと、ダニエルは瞳を瞬かせた少し後で小さく吹き出した。突然笑われて、アリシアはますます憮然とした表情になる。
「いやいや、何でもないよ。
俺からは何も言えない」
問いかけるような目でダニエルを見ると、ダニエルは可笑しそうな表情を作ったままちらりと会場の端に目をやった。端には、いつの間にか令嬢に囲まれた兄の姿。いつもであればアリシアと別れたらさっさと紳士の集うシガールームに移動して、情報交換やカードゲームなどを行うパトリックが、珍しく会場内にいるものだから令嬢たちはお近づきになりたいようだ。
身分のお陰か優良物件と目され、年端もいかない頃から追いかけ回されてきたせいか、兄はぎらぎらとした令嬢が少し苦手らしい。困っている様子がここまで伝わってきた。
いつも飄々としている兄がたじたじになっている姿が少し面白くてくすりと笑ってしまう。
「いつもだとシガールームにさっさと逃げるくせに、妹思いだねえ」
「帰ったらたっぷりと嫌味を言われてしまいそうですわ」
「俺がエスコート役を替わってもいいんだけど、あいつは過保護だから即座に却下しそうだなあ」
「今までクラウス様を追いかけていたときはずっと放っておかれましたから、そこまで過保護ではないと思いますわ」
「状況が変われば、声をかけてくる人間も変わるってことさ」
お道化たように話をしているうちに、ダンスに一区切りがつく。最初は同じフロアにいるクラウスの存在が気になって仕方がなかったが、ダニエルが色々と話しかけてくれたおかげで、後半は殆ど周りを気にせずに済んだ。
チクチクと胸を刺す思いに蓋をして、笑顔でパトリックのところに戻る。
その後、兄妹でフロアに残っているのが珍しかったためか、声をかけてきたパトリックの知人男性と踊った。色々な人と言葉を交わし、ダンスを踊っているうちに先ほどクラウスと少女に抱いた昏い思いがまぎれるような気がした。
──これでいいんだわ。少しずつ、私は前に進まないと……。
だって、クラウス様はわたくしとの結婚を望んでいないのだから。
そっと彼女に注がれる視線に、気が付かないまま。




