4
怯えるヤナに案内された客人用の部屋は、ベッドが一つ、スツールと机がひとつずつと、トイレが別にあった。
かなり広く、立派な部屋だ。
客人用の部屋というよりは、要人部屋のようだった。
ただ、窓だけはなかった。
それは意図されているものだと理解する。
わずかな、悪意を感じた。
ここから出ることはまかりならないと。
隠し事などできないと。
少なくとも、この家のなかでは。
イリスはベッドの上に座り、腰に下げた剣を壁にたてかけた。
すぐに手に取れる場所が一番安心する。
そして、すぐにベッドの上に横になり、目を閉じた。
眠るためにベッドに横になるなんて、久しぶりだった。
任務以外だと、大体がけがをして動けなくなった時だ。
流石に任務がないときにはベッドで寝るが。
やがて、ぼんやりとした眠気がイリスを襲った。
かたちもなく、影のようなもの。
不気味さを隠しきれないもの。
イリスにとって、眠気とはそういったものだった。
どれほど眠っていたのだろう。
奇妙な閉塞感で目を開ける。
目を無理やり開けるのは得意だ。そして、壁に立てかけてあった剣の柄を掴む。
「誰だ」
夜目がきくとはいっても、数秒かかった。
「……おまえは」
セヴェリ・ルカ・エクロス。
少年よりも年齢が上で、青年というよりは下の、その体は汽車のなかで見た夢と似ていた。
「何をしている」
「………」
「夜襲でもするつもりだったか? それとも、おまえの依頼はシグリの男を殺すことだったか」
「ちがう」
ルカは暗闇のなか、かぶりを振った。
ただ、居心地が悪そうにしている。
「そうか。もしそうだったら殺すところだった。何か用でもあるのか」
「……父親が」
ぼそ、と、床に敷いてあるカーペットをにらみながら、呟く。
「シオンの誰かと、話をしていたのを聞いた……」
「シオンか……。それで? 俺に告発して、どうしろと?」
「殺さないのか? セハカは、シグリの敵なんだろ」
「別に、敵というわけじゃねぇ。邪魔になるなら、殺すだけだ。……おまえと、セハカ殿の間には、何かあるみたいだな。夕方、言っていただろう」
お前のことを知らなすぎた。と。
ルカの表情がわずかに凍る。
「――まあ、俺には関係ないが。ただ、依頼の邪魔になるなら――分かってるな」
「……ほしい」
「あ?」
「殺して、ほしい」
セハカの実の息子であるルカが、父親を殺してほしい、という。
だが、イリスは確信はしていなかったが、分かっていた。
ルカとセハカは、何らかの因縁がある。
一方的にルカだけが嫌っている、というわけでもなさそうだった。
一生分の勇気を使い果たしたように、ルカは大きく息を吐いた。
「それはなかなか、物騒な話だな」
「……おれは……」
「理由がどうあれ、エクロス大陸の族長を殺すとなれば、女王の許可が必要だ。無論、精査に時間もかかるし、部隊長の許可もいる」
「今でなくていい。エクロス大陸の、裏の歴史をたどれば、殺すにふさわしい、理由がある」
「――おまえも殺されるかもしれない、ということを頭に入れておけ。長を殺すということはそういうことだ」
「……分かった」
ルカはかたくうなずき、そのまま背を向けた。
「ルカ」
「なんだ」
「おまえ、セハカ殿に……虐待されていたか」
「……!」
「図星か」
ルカとセハカが一緒にいるとき、ルカは一回もセハカと目を合わせなかった。
それは、恐怖を示していた。
「勘違いするな。……おれは私情で、殺してほしいといっているわけじゃない」
イリスは、かすかに驚いた。
自分のために殺してほしいという人間は、多い。
それこそ、シグリではなくシオンに依頼するまでに。
だが、ルカはちがう、とはっきりと分かった。
そうでなければ、シグリに依頼するはずもなく、自分の命の危険にさらすはずもない。
「おまえのように強い殺意があったとしても、殺すのは俺だ。いいな、どれだけおまえが恨み、憎んでいてもだ」
「――分かっている」
それは、まるで諦めているかのような声色。
ほんのわずかな出来心だった。
ルカの手首を握った。
「なにを……」
手首をひねるようにして逃げようとするルカを、イリスは強い力で引きとめた。
わずかに顔が痛みにゆがむ。
「傷がある。セハカ殿にやられたか」
「……夜目がきくんだな。シグリは」
イリスの目には、はっきりとルカの腕に蚯蚓腫れのような赤く腫れあがった線が、肘まで続いていた。
おそらくだが、鋭く細い鞭かなにかでぶたれたのだろう。
「そう教育されている」
「……放せ」
イリスはそれ以上、触れなかった。
腕だけではなく、体中腫れているはずだった。
「夜目がきく」という皮肉ったことばを、軽くいなされたルカは、顔をひずめたままドアノブを引く。
「………」
なにかを言いたげにくちびるを開けたが、とうとう言葉を発することなく、扉を閉じた。
残されたイリスは再びおとずれた、静寂に目を閉じる。
剣の柄を握り、壁にたてかけた。
そして、そのままベッドに横になる。毛布はかけない。何かあったとき、動きが鈍くなるからだ。
もっとも、寒いせいであまり変わらないかもしれないが。
――夢は見なかった。