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「おれは、別にかまわない」
「死ぬのが怖くないのか」
「………」
ルカのその言葉は、たしかに真摯なものであったし、嘘はついていないようだった。
そしてこの沈黙は恐ろしい、という意味だろう。
「死ぬのが怖くないと豪語出来る奴は信用ならない。そういう奴に限って、死ねと言われて死ねない奴だからな」
「あんたは死ぬのが怖いのか」
「そりゃそうだろ。死んだら終わりだし意味もない」
「……殺すのに、殺されるのが怖いのか? 変なやつだな」
「殺されるのは、そいつが俺より弱いからだ」
イリスは、迷いなどない。人の命を奪うことに。
弱肉強食といえば聞こえはいいが、そういったところで過ごしたせいもあるだろう。
もとより、そう去勢された。
武器を持たぬ人間も殺した。女も、子どもも、みな殺してきた。
この国にいらぬといわれれば、イリスにとってはみな平等だった。
「だが、俺よりも強い奴が俺を殺すのなら、それは仕方のないことだ。俺が弱かった。ただそれだけのことだからな」
「……あの」
おそるおそる、といったふうで、ヤナが台所のある部屋から顔を出した。
話を聞いていたのだろう、ヤナの目には、恐怖がありありと浮かんでいた。
「お夕食を、作りしました。いかがなさいますか」
「――もう、そんな時間か」
「はい。ルカ様。もしよろしければ、こちらにお持ちいたしますが」
イリスのほうは全く見ずに、ヤナは囁いた。
「いい。そこに置いておいてくれ」
「かしこまりました」
彼女はこうべを垂れると、すぐさま廊下の奥へ小走りで消えていった。
「ヤナは、あんたのことが恐ろしいらしい」
「慣れている。別に好かれようなんて思ってねぇからな」
「……夕食が冷める。こっちだ」
ルカは立ち上がり、食事が置いてある部屋へ案内をした。
リビングルームであった、今までいた大きな部屋とは違い、若干小さい部屋だった。
ただ、本当にここは食べるためだけの部屋で、食器棚や、食事を作る道具や場所の一切はここにはない。
木の木目が目立つテーブルには、冬ジカの肉を焼いたもの、わずかばかりの葉野菜のサラダ、鶏肉のハム。
コンソメの、具が入っていないスープ。硬そうなパン。
「随分、豪勢だな」
「葉野菜は貴重だ」
ぼそりと呟くルカに倣い、椅子に座る。
味は、見た目よりも濃かった。濃厚なソースがかかっている肉は、イルマタルではあまり見かけないし、ほかの場所でも食べたことがない。
「最近干し肉ばかりだったからな。野菜は助かる」
「シグリは、稼げないのか」
ルカは、ひどく不思議そうに問うた。
「いや、そういうわけじゃない。給料はそれなりに貰っている。暇がなかっただけだ。それに、今どきの干し肉は味も種類があるからな。飽きることはあまりない」
「栄養は偏らないのか? 肉ばかり食って。首都には野菜なんてたくさんあるんだろ」
「なんだ、体の心配してくれんのか」
「別にそんなんじゃない」
ふいと顔をそらしたルカは、硬いパンをかじった。
ぼそりとした触感のそれは、よく噛まなければ飲み込めないが、それが目的に作られているのだろう。
結果的に、腹が膨れるからだ。
冬ジカや熊とて、そう簡単に狩れるわけではない。
「いつ出る」
「できるだけ早い方がいい。だが、まず目的地を決めなけりゃどうすることもできねぇ。あいにく、俺はこの辺りに詳しくはない。おまえに任せる」
「分かった。おれがあの男を最初に見た場所に行く。ここの、さらに北に行ったところだ。ただ、行くには犬は連れていけない。道が悪すぎる」
「そうか。分かった」
夕餉をすべて平らげたあと、風呂に入れ、といい、ルカは自室へ戻って行った。
この家の間取りをざっと見る。
家には、階段がない。
長屋のような造りだ。首都に近い、あまり裕福ではない村も、こういった家の造りをしていた。
ただ、広さはこの家のほうが断然広く、横に相当長いが、縦もかなりの広さがある。
屋根は三角形の形をしていて、雪が降っても屋根に積もりにくくなっているようだ。
イリスは屋根を見上げてから、ルカから聞いた風呂場がある廊下へ出る。
廊下はただ長く、壁は白い。思いだしたかのように扉があった。
いつものくせで、足音をたてずに歩いていることに気づき、失笑する。
職業病だな、と。
風呂場へ続く扉は、薄い茶色をしていた。
ドアノブを引くと、脱衣所があり、さらにその先に引き戸の扉がある。
ゆっくりと風呂に入れることなど、かなり久しぶりのような気がした。
ルカは、自室にこもって部屋の隅に座っていた。
こぶしが、珍しくふるえていた。
イリスが恐ろしかった。
容赦ない殺意を、人間にむけることの、恐怖。
だが――だが、ルカとて。
何頭もの動物を、食べるために殺してきた。
それと、何の変わりがあるのだろう。
人間と動物。どちらも生きている。
その命を絶つ。
それに何の違いが、あるのだろう――。
頭では分かっている。
だが、心では追いつかない。
膝を折り曲げて、頭を膝につける。
そして、思いだす。
あの男のことを。
あの男は、イリスとよく似ていた。
影のような、霧のような、気配だった。
ただただ、不気味だった。
この目と、髪の色をもって生まれたことを、これほど呪ったことはない。
あの男をみた日、眠れなかった。
あまりにも不気味で、恐ろしかった。
肌が粟立って、ただ、立っていることしかできなかった。
顔も見られなかった。
だが、一目見ればわかる。あんな「悪」で塗り固められた人間は、今まで見たことがなかったからだ。
死に神の目も、時には役立つ。
そう言った父の目も恐ろしかったが、だが。それ以上に――。
「イリス……あの男は……一体」