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「おまえがセヴェリ・ルカ・エクロスで間違いないな?」
「………」
返事はない。
赤い目は、敵意をむけるようにイリスを見上げている。
「返事がないということは、それであっているということだ。俺はそう捉える。問題はないな」
「ああ、これが、私の息子だ。極度の人見知りでね。ルカ。こちらがシグリのイリス殿だ。分かるな?」
セヴェリ・ルカ・エクロス。
彼は、黒い髪の毛に細い紫色の布を巻き、冬ジカの皮を肩にかけ、その下にセハカと同じような綿の白い長そでを着込んでいる。
腰で縛っているのは、父親のセハカとおなじ布ではなく、皮のようだった。
「女王からおまえに会うように言付かってきたんだが。用事があるんだろ。だからシグリが動いた」
「ああそうだ」
ここにきて初めて、ルカは口を開いた。
だが、赤い目は未だ敵意をむき出しにしてイリスをにらんでいる。
「おれが、あんたを呼んだ。シグリの、あんたを」
「そうか。で、用件はなんだ。こっちは休日返上でイルマタルから来たんだ。手短に頼むぜ」
家の中には、セハカとルカ、そしてイリスしかいない。
そのとき、暖炉の音以外、音を発するものはなかった。
「ある男を殺してほしい」
「……へえ、これはまた、シンプルでいい話だ。女王からは候補がいる、としか聞いていなかったからな。誰だ? 誰を殺せばいい」
「名前は知らない。おれがこの目で見ただけだ。その男は、この国を殺そうとしている。知っているのは、それだけだ」
「………」
この国――カレヴァ王国を殺す。
死神の目で見るという善悪を見極める力は、夢物語ではない。
ここにきて、イリスは初めて気を引き締めた。
「それだけじゃ、足りねぇな。名前が分からなければ、俺も動くことはできない。必然的におまえも、男を探すために手を貸すことになるが、それでもいいのか?」
「……かまわない」
「ルカ、お前……」
「族長の息子が人殺しに加担するのが嫌なら、勘当でもなんでもすればいい。おれはひとりでも生きていける」
セハカは、いいや、とかぶりを振った。
そのしぐさに、ルカはすこし、驚いたようだった。
「私はお前のことを知らな過ぎた。そんな私に、勘当しろなどと言う資格はない」
イリスはこの奇妙な親子関係に興味はないが、ルカの言う「この国を殺す」男に興味がわいた。
平和な国を、どうやって殺すのか。大勢の人が死に、大勢の人が苦しむ。そんなことが本当に可能なのか、と。
「……イリス殿。長旅で疲れただろう。部屋は用意してある。出立まで、ここで過ごすといい」
「どうも」
「私は書斎にいる。何かあれば声をかけてほしい。ヤナ。ヤナはいるか」
「はい、旦那様」
ヤナ、と呼ばれた女は、隣の部屋からそっと出てきた。
イリスと同じくらいの年の女だろう、上品そうな彼女は、イリスを見るとあわてて頭をたれた。
「私は旦那様とルカ様のお世話をさせて頂いています、ヤナと申します。お食事のご希望がございましたらなんなりと」
そういうと、彼女はまた別の部屋に入って行った。
「家事はすべてヤナに任せてある。何かあれば言ってくれ」
イリスが頷くのを見届けると、疲れた顔をしたセハカは書斎へこもったようだった。
沈黙が流れる。
「……イリス、っていったか」
「ああ」
「よく、こんな無茶な依頼をうけたな」
「仕事だからな。これでも」
ルカはそれでも納得いかないのか、じっとイリスを見つめている。
「不気味じゃないのか? 俺のことが」
「不気味だと思うのなら、それはおまえのせいだ。俺はそうは思わない。そういう感情は俺にはないからな」
「――シグリは」
ルカは未だ部屋の隅に座り、イリスのことを警戒しているようだった。
だが、先ほどのような敵意はすこし、和らいだようだ。
「シグリは、あんたみたいな奴ばっかなのか?」
「俺みたいなやつ? さあな。シグリの連中と顔合わせることなんてないから分からねぇな」
「……そうか」
「で、女王とどこで知り合った?」
イリスはルカと距離を取りながら、腰に下げていた剣の柄に触れた。
ルカはそれをじっと見つめながら、緊張した面持ちでくちびるを開く。
「……それは……」
「言えねぇか。まあ、別に構わないが。俺には関係ないことだ。任務に支障がなければそれでいい」
この男はどこか、違うと思った。
ルカが、他の人間に何かしらの感情を持ったのは、久しぶりだった。
「これだけは言っておく。セヴェリ・ルカ・エクロス。おまえが依頼者だとしても、それが任務と認めたのは女王だ。おまえじゃない。おまえは、ただの協力者にすぎないし、対象を殺すのは、俺だ」
「……おれも殺せる」
「いや」
ルカの、弓の腕は確かだ。
それは自負できる、唯一のものごとだった。
イリスもそれは知っている。
弓で獲物を狩ることは、エクロスの民であれば当然のことだ。
それに、弓を扱って長いことも分かった。部屋の隅に、弓がかけられている。それは使い古され、それでもよく手入れされていた。それを見れば、誰でもその腕はたしかなものだと、分かるだろう。
「おまえは殺せないし、俺が殺させない。カレヴァ王国は、平和な国だ」
平和な国。
それは、イリスにとって滑稽なものだった。
「エクロス大陸の族長の息子が人を殺したと女王に知られれば、俺がおまえを殺すことになる」
「………」
ルカは、真っ赤な目をきつくつむり、細い声で「おれは」と呟いた。