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男は、警邏を両手に侍り、まっすぐにイリスを見つめていた。
口のなかの干し肉を何とかして飲み込むと、その男のそばへ歩く。
警邏は、腰に弓筒を下げていた。
男も、またおなじように。
その男は、冬ジカの皮を筒のように切り取り、腰布で縛り、その下に黒い長そでを着ているだけの簡素な服を着ているが、イリスが気づいたのはその目だった。
険しい目をしている。
値踏みをしているとか、そういったものではない。
ただ、的確にイリスを見据えている。
「イリス殿とお見受けする」
いくばくか、男がイリスを見ると、ようやく口を開けた。
しわがれた声をしているところを見ると、あまり見えないが、年をそれなりに重ねているのかもしれない。
「……私は、エクロスの民の族長。セハカ・ナル・エクロス。女王陛下からお聞きになっていると思うが、私の息子に会ってほしいのだ」
「了解した」
イリスは言葉短く頷いた。
警邏二人を連れだって、セハカ・ナル・エクロスはイリスに背を向けた。
無用な言葉はいらない、とでもいうかのように。
イリスはそのほうがありがたかった。
シグリであるイリスに、根掘り葉掘り口を開くことは、あまりよくない。
聡明な族長で助かった。
駅から出ると、そこはただ真っ白な世界が広がっているだけだった。
ただ、雪と風はもうやみ、耳が痛くなるような静寂があるだけだった。
「イリス殿。ここから住まいまでは1時間ほどかかる。犬橇を用意させた。こちらへ」
セハカは手招きをし、駅のそばにいた20頭はいるであろう、たくさんの犬が止めてある場所へ案内した。
犬たちは、みな毛が長く黒く、緑色の目をしていた。爪はすこし長く、雪の上を駆けるに便利そうだった。
犬の前足にはロープがかけられ、後ろには大人5人は容易に座れるだろう、橇に繋がっている。
「乗ってくれ。心配せずとも、この犬たちは私たちのいつもの足だ。慣れている」
「ああ」
黒い色の橇にのると、警邏のうちの一人が先頭に座り、ロープを引っ張った。
犬はそれが合図だと分かっているのか、ざっと雪を前足で掻いて、走りだす。
冷たい風がイリスの頬を打つ。
黒い犬が懸命に走っているのを、イリスはぼんやりと眺めた。
寒さには、もう慣れた。
「イリス殿。耳に入れておきたいことが」
「なんだ?」
「私の息子、ルカについてだ」
「なにか問題でも」
「ああ。息子は、死神の目をしている、赤目の子どもだ。息子はそれを嫌がっている。外見をあまりとやかく言わぬようにしてほしい」
黒髪に赤目。
それは天の御使いと反し、死神の目と言われている。
人びとの魂を、地獄に引き落とす存在だ、と。
「あいにく、俺はそういったものに疎くてね」
「それはよかった」
「あんたの息子は、どんな人間なんだ? 女王には、会ってほしい、とだけ告げられている。詳しいことは、候補がいる、としか聞いていない」
セハカの目が難しい書物を読むかのように、すぼまった。
しわのある手が、ぐっと握ったのを、イリスは見逃さなかった。
「あれは、たしかに、そうだ。死に神だ……」
「死神、ね……。死神なら、シグリに五万といるぜ」
「そういったものじゃない。人の命をどうとか、そういったものじゃないんだ。ルカは。人の、善悪を見定める目をもっている。それだけだ」
「なるほど。そりゃ厄介だな」
「厄介だな」という言葉は本心ではないのだと、セハカは知った。
シグリの部隊を知っているからこそだ。
大切なものを持たない。
それが第一だった。
そして、他人に情をうつさないことも。
徹底して、それは行われてきた。
無意識だろうが、イリスが鍔のない剣の柄をさするように触れるたび、セハカはぞっとする。
その剣で、何人の命を絶ってきたのだろう、と。
「恐ろしいか?」
「恐ろしいなどと」
「シグリは、そんな人間の集まりだ。俺はもう、慣れたがな。シグリを知る他の人間にとって恐怖であればいい」
「……そうかもしれぬ」
犬が駆けて、1時間ほどたっただろうか。
ぽつりぽつりと家が建っているのが見えた。
赤茶の、丈夫なつくりの家だ。庭に、冬ジカが開かれてつるされている。乾燥させているのだろう。
それから数分後、他の家々とおなじようなつくりで大きさの家につくと、犬たちはゆっくりと走るのをやめた。
ここが、エクロスの民の、族長であるセハカの家だった。
「こちらです。足元に気をつけて」
「どうも」
ひとりの警邏が心のこもっていない言葉を軽くいなして、黒革のブーツを地につける。
雪が積もっているからか、滑りはしないが、だいぶ雪は深かった。
「私も忙しい身でね。雪の処理はあれに任せているのだが、しばらく外には出ていないらしい」
セハカはため息をつくと、警邏に手のひらを向ける。
二人の警邏は彼に頭をさげると、犬橇に再び乗り込んで、どこかへと駆けて行った。
家の扉までは、階段がある。そこにもすこしの雪が積もっている。屋根が突き出ているため、それほど積もらないつくりのようだ。
セハカは扉の取っ手に手をかけて、引く。
「ルカ、戻ったぞ」
しわがれた声に、返事をするものはない。
再びため息をつき、イリスに靴を脱いで上がれ、と手でさし示した。
イリスはそのとおりに、膝までのブーツの紐をほどき、脱ぐ。
家の中は思った以上にあたたかかった。
「………」
イリスは、ふいに奇妙な感覚におちいった。
部屋の隅に、まるで警戒する動物のような、少年とも、青年ともつかない年齢の男がいた。
その眼は夢と同じ、そして死に神の象徴である赤目をしていた。