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リュナの王国  作者: イヲ
第四章・燎原の火
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18

「だが……まあ、そうだな。それをあの女がこれをまっとうに使うのは想像できないし、開けたら開けたでくだらねぇことが起きるのは目に見えている」

「では、このままでいい、と?」

「今のままで、別に不都合も何もないだろ。領民も、知っていてなにも言ってこないなら」


 アーテルはその箱を見つめ、箱を、閉じた。

 安堵するように、あるいは、罪を閉じ込めるように。


「そう、ですね。そうするべきなのかもしれません」

「ですが、母上。また、シグリがきたら……」

「大丈夫よ。フェリ。あのひとも、このことを知っていた。だから」

「だがな、アーテル。あの女は平和のためなら何でもする奴だ。もし、シグリを使ってその箱を奪いに来たら、その時は渡せ」


 イリスの目は、真剣だった。

 本気で、そう言っているのだ。


「許されようと、許さなかろうと、それであの女に目をつけられたら、この領も危ない。……アーテル。あんたなら、こんな箱、必要ねぇだろう」

「ええ。そうですね」

「渡したあとは、俺たちの仕事だ」

「――え?」


 ルカの、疑問を感じたような声。

 だがイリスは念を押すように、こうも言った。


「必ず、渡せ。そうすれば、シオンにも狙われることもないだろうよ」

「心配してくださるのですね」

「今の俺に、関係のないシグリの仕事だからな」


 ルカの胸に、細いとげが刺さったような、感覚を感じる。

 喉に、なにかがつっかかってしまったような、そんな不快感。


「あなたがたは、まだこの領にいらっしゃる?」

「……すこし、調べたいことがある。あと、3日くらいはここにいるつもりだが」

「そうですか。よろしければ、この屋敷に滞在されたらいかが? よいおはなしを聞かせてくださったお礼です」


 ルカの肩が、こわばっている。

 いやだ、と思う。

 ここは、たしかにあの宿よりもきれいで、住み心地はよいだろう。

 けれど。

 けれど――ちいさくとも、ふたりだけでいられる部屋がいい、と、まるで子どものようなことを、思う。


(おれは、なにを。)

(言わないって。思わない、って。そう、イリスが言っていたのに。)


「いや、結構だ。一応、この領を出る前に一度、顔を出す」

「分かりました。それでは、そのように。フェリ、お願い」

「はい、母上」

 

 フェリが立ち上がり、机の端に置いてあった手燭台に火をともす。

 それに倣って、ふたりも立ち上がった。


「イリス殿、ルカ殿、ありがとうございました」

「いや」


 こうべを垂れるアーテルを再び顔をあげるまで見送り、部屋から出る。

 とたん、闇が広がった。

 フェリが持つ、燭台の灯りだけが頼りだ。


「おふたりとも、ありがとうございました。僕は、あの箱を見るのは初めてだったのですが……やはり、この領から出すべきなのではないのかもしれません」

「――ああ、そうだな」

 

 あんな、おぞましいもの。


 ――俺が、言うのか。

 こんな、ひとを殺すだけしかしてこなかった、俺が。


 顔に出さず、失笑する。



 外は明るく、そして雪は固まり、凍っていた。

 門兵のいる場所までフェリは見送りをした。


「では、また」


 うやうやしく礼をしたフェリを背に、宿に一度戻ることにする。

 その道すがら、ルカは誰も通らないような小道で、ふいに立ち止まった。


「どうした」

「……イリス」


 いまだうつむいたまま、ルカはか細い声で、名を呼ぶ。

 先日から、ルカの様子がおかしかったのは分かっていた。

 だが、あえて何も言わずにいた――けれど。

 やはり、気にかけたほうがよかったのかもしれない。


「おれ、は、どう、すれ、ば」


 つかえつかえの言葉。

 うつむいたまま。

 イリスの上着のすそを握りしめ、ふるえる声で「おれはどうすればいいのか」と、問う。

 けれど、けれど――どうしたらいいのかなど、分かりはしない。

 いま、ルカのためにイリスができることといえば。


 ――人間、というものは不思議な存在だ。


 イリスは、部隊長のことばを思いだす。

 ぶどう酒を飲みながら、彼は笑った。


 ――こう、


 部隊長は、やさしい、やさしい笑みをうかべて、まだ幼かったイリスを抱きしめた。


 ――こうすると、安心するだろう。体温の違いはあるが、おなじ人間のぬくもりだ。

 ――心臓の音が、血が流れる音が、自分がここにいる理由なのだ、と、そう思えたなら。

 ――なあ、イリス。

 ――天の御使いのおもてをもつ、愛しい俺のちいさな暗殺者。

 ――そう思えたなら、とても、「よい」ことだ。

 ――俺たちは、所詮ひとごろしの道具だ。だが、なあ、イリス。たとえ地獄におちることが決まっていても、戦って死ぬことをさだめられていても、俺たちは、いま、生きているんだ。人形としてでも、玩具としてでも、道具としてでも、生きている。どうしようもなく、生きているんだ。


 ――生きているのなら、せめて――自分のために、そしてほかのもののために生きたって、ばちはあたらない。

 ――こんな、仕事をしていても。殺すことしかできなくてもいい。生きる意味を見失ってもしかたない。だが、これだけは覚えておけ、イリス。


「おまえは、生きているんだ。息をして、血が、流れている。その理由がわかるか? なあ、ルカ」


 饒舌になったな、とおもう。

 それはきっと、イリスが生きているからだ。息をして、体のなかで血が流れているからだ。


 ルカは、そうっと、おそるおそる、目を、イリスへ向ける。


「死ぬのは一瞬だ。一瞬で、永遠だ」

「……イリス、おれ、」

「だが、生きるってのは――有限、なんだよ」

「イリス」


 泣きそうな声でイリスの名を呼ぶルカは、いまだ迷い子のような目をしていた。


「泣くことも、わらうことも、生きているから、できることだ。……まあ、こんな――ひとごろししか能のない人間に言われても、分からねぇだろうし、理解もできなくて当然だがな」


 せめて、部隊長のようにこの手で抱きしめられたら、いいのだが。

 こんな血にまみれた手で、ふれられても、嫌な思いをするだけだろう、と。


 そう、思って、いた。


「っ、」


 呼吸が、一瞬とまる。

 ルカの腕が、背中に回っていた。

 

 なにかに、すがるように。

 たすけを、もとめるように。

 なにかを、かみしめるように。


 あまりにも、不慣れな抱擁だった。

 ――おさな子が母親に抱きつくように、ためらいはなさそうだったが。

 ただただ、不格好だ。

 抱きしめ返せない、この腕も。


(おまえは、求めないだろう。)

(俺の、手など。俺の腕など。おまえの父親を殺す、この手でふれることなど、できはしない。)


「……イリス」

「ああ」

「あんたは、セハカを殺すだろう」

「ああ」

「おれが殺したいと、いったら、あんたは」

「だめだ」


 それは。

 それだけは、だめだ。


「おまえの手を、汚すわけにはいかない。親ごろしの罪をおわせるわけには、いかない」

「けど」


 イリスの背中にまわされた手の爪が、服にしわをつくる。


「おれはあんたのこころ、に……少しでも、ちかづけたら、って。そう、おもって」

「そんなことのために、ひとごろしをする必要はないだろ」

「あんたは!」


 どん、と。

 イリスの胸をたたく。

 心臓の音を、かきけすように。


「あんたは、知らないんだ! おれがどんな、どんな思いで、あんたと……」

「俺の手は汚れている」

「しってる。あんたは剣を抜いていない人間も、平等に、殺した」

「……そうだな」

「躊躇しない。動揺もしない。だから、あんたは生きてる。生きるために必要だった、ことなんだろう」

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