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リュナの王国  作者: イヲ
第四章・燎原の火
42/49

15

 べつに。

 べつに赦されなくてもよいのだ。

 それだけの罪を犯してきた。

 罪に足る罰を、受け入れているのかどうかは、もう、分からないが。


 ふいに、思った。


「おまえは、怖くないのか」


 ぴたり、と。

 ルカの手が止まった。

 首筋をくすぐる、黒い髪の毛がわずかに動いて、そして、死に神の目が、イリスを認める。

 どこまでも億劫そうに。

 その双眸を細めて、イリスを見た。


「こわい、って言ったら、あんたは傷つくだろう」


 にじむその赤は、なにか、うつくしいものを見るような色をしている。

 当たり前のことを言うように、ルカは呟いた。


 自らにむけられる恐怖、そしてこれから必ず訪れる死への恐怖に、イリスは慣れていた。

 それこそ――当たり前だと思っていた。

 傷つくことも、傷つけることも当たり前だった。


「イリス。おれには、あんたが、人間に、見える」


 途切れ途切れに。


「昨日の晩、部屋に入ってきた男より、あんたは――人間、だ」


 そんな言葉を、望むことはなかった。

 人間(ひと)であることに、なんの未練もなければ後悔もない。


 おのれ自らを人形だと、玩具だと、そう断言した男を。

 あるいは悪魔の、あるいは死に神のおもてをした、少年とも青年ともとれない、年齢の男が。

 (かんなぎ)神勅(しんちょく)をのたまうように。


 ルカは再びねむったのか、それから言葉を交わすことはなく――心身ともに疲れていたのだろう。

 夕方まで、目を覚ますことはなかった。




 ルカが目をさますと、となりにあったはずの、ぬくもりはなかった。

 決して、あたたかいとは言えなかったけれど、たしかにここにあったぬくもりが。

 凝り固まった身体をほぐすように、ベッドの上で身動きをし、起き上がる。

 部屋のなかを見渡す。

 だれも、いなかった。

 ただ、ただ。

 すこし心もとない窓ガラスを叩く吹雪の音だけが、鳴り響く。

 これでは、清い鐘も響くことはないだろう。


 ルカを襲った男は、ゼノ、といった。

 ゼノに襲われたとき。

 恐怖はなかった。

 ただ、イリスの顔が浮かんだ。

 暗がりだったから、よくは見えなかったけれど。

 おなじ白銀の髪。

 おなじ色の剣と鞘。

 殺されるのだとは、思わなかった。

 その男がシグリだとも、思わなかった。

 ただゼノという男は、楽しそうに笑っていた。


『きみの、その感情は、想いは、俺は、知っているよ』

『あのひとは、とっても、きれいだから。自分だけのものにしたいのは、とっても、とってもよく分かる』

『でもねぇ、あのひとのこころもからだも、ぜんぶ、あのひとのもの。俺が、どんなにどんなに想っても、あのひとには、敵わないから。だから、あのひとに傷のひとつ、つけて、あのひとの重荷ひとつ、もらったら。あのひとは、どんな顔をするんだろう。それを見たいから、きみに、傷をあげるね』

 

 そう、口走るように宣言して、ゼノという男はルカの首筋に、ひとつ。傷を与えた。

 それから――あまり、憶えていない。

 ただ、ちいさな光が、見えた。

 あれはおそらく、火花だったのだろう。


「あのひと、って、だれ」


 ゼノの言い方は、あまりにも稚拙だったから。

 かたほうは、イリスだと分かったけれど、もうひとりの「あのひと」の正体は、分からない。

 ――「あのひと」の「もの」だ、と。

 イリスの、心と体はぜんぶ、「あのひと」のものだ、と。

 高らかに宣言した男に、嘘はないのだろう、と。


 ルカのこころに、ちいさな黒いものが浮かび上がった。

 ひざを曲げ、ひざに顔をうずめて、ベッドに座ったまま冷たい壁に背中をおしつけて、赤い目を開いている。


「だれ……」


 その黒いものが、ルカのこころを塗りつぶすのに、どれほどの時間がかかるか。

 それは、誰にも分からない。


 きい、と、ドアがきしんで開く音が聞こえる。

 ルカが顔を上げ、その白銀に目を細めた。


(ああ、たしかに。きれいで、うつくしい。)


「さすがに腹、減ったからな。もらってきた」


 右手にはサンドウィッチ、左手には、ぶどう酒。

 ベッドの上に座ったままだったルカは、ようやく床におり、おぼつかない足取りでイリスが貰ってきたという、それに手をつけた。

 野菜や鹿肉が挟まっているとはいえ、あいかわらずエクロス大陸のパンは硬かったし、ぶどう酒は渋さが残っていた。


「それから」


 硬いパンを咀嚼し、呑み込んだあと、イリスは独り言のように呟く。


「ここの領主に、明日会うことになった」

「……どう、して」

「知りたいことがあるんだと。……おまえはどうする? 来ても来なくてもいい、とは言っていたが」

「行く」


 イリスが行くならば当然行くものだと思っていたし、来ても来なくてもいい、ということは、ルカのおもてを知ってのことだろう。

 死に神のおもてをしているからと言って、このまま閉じこもっているわけにもいかない。

 国教徒が多くしめるオリアン領の領主ならば、領主も国教徒である可能性がある。


「そうか。……そういうと、思ったが」

「うん」

「おまえを、傷つけるかもしれない」


 ルカの相槌が、すこし、いとけなくなった、と思った。

 当の本人は別段、なんの意識もしていないようだが。


「そんなの、慣れている」


 赤い目を伏せ、サンドウィッチをかじりながら吐き捨てた。

 後ろ指をさされることも、陰口を言われることも。


 イリスは何も言わなかった。

 ただ、ぼんやりと暖炉を見つめている。

 なにを考えているのか、ルカには分からないが、すこしだけ知りたいと、思った。

 イリスが座っているベッドに、ルカもおなじように座る。


 彼が、ルカになにか話しかけることはなかったが、それでもよかった。


 すこしでも傍にいたかっただけ、だったから。


 それから風呂に入って、別々に眠った。

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