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リュナの王国  作者: イヲ
第四章・燎原の火
41/49

14

 夢をみた、気がする。

 白い手が、心臓に、脳に伸びて、体温もないその亡霊に、触れられた夢を。 

 死ぬのだ、と理解する。

 触れられた瞬間に、自分は今まで殺戮してきた人間の魂に、無念の想いに、怨みに、殺されるのだと。

 いつでも、殺される覚悟は持っていたつもりだ。

 むこうがその気なら。こちらも、その気になる。

 ただそれだけのはなしだ。

 けれど、これは違う、気がする。


 死人(しびと)が、生き物を殺すことはできない。


 夢ならば、余計。


 さめてしまえば、それは夢でしかなく、うつつなどではない。

 夢だと、分かっているからだろうか。


 目を開ける。

 ルカの目が、こちらをみつめていた。

 赤い瞳。

 死に神の、目。

 すう、とかすかな呼吸音が聞こえるだけで、ルカは何も言わない。

 ただ、イリスの顔をそのまま映している。


 ガタガタと、窓をひどく叩く音がした。

 吹雪いているのだ、と知る。

 身体を起こそうとするが、ルカの手がいまだ服を掴んでいたために、再びベッドに沈み込んだ。

 ぎしり。

 ベッドの軋みが、耳もとで聞こえる。

 

「あぶねぇだろう」

「イリス」


 なんともないように。

 昨晩の、重たくて、苦しくて、つらいできごとを、まったく覚えていないかのように。

 ただ、その名をよぶ。

 無垢な声で。


「イリス」

「ああ、ここにいる」


 ルカの手が、イリスの髪の毛にふれる。


「おれ、を、殺してくれるのか」


 一字一句、決して間違わぬよう。

 願うように、ルカは言う。

 やはり、昨日のことを憶えていたのだ。


「どうだかな」

「だって、昨日」

「悪いゆめでも、見たんだろ」

「夢じゃない。おれの、ここ、を――傷つけたシグリがいた」


 ルカは自分の首筋に手のひらを当てて、赤い目を一度伏せてから、イリスの目を見据える。

 確固たる意志を、もって。


「……ゼノ、っていう男には、おれの命をくれてやる義理なんて、どこにもない」

「そう、だな」

「あんたが言ったんだ。こいつは、俺だけの獲物だ、って」

「そんなこと……言ったか」


 まどろみにうずまるように、子ども同士、内緒話をするように、囁く。

 真正面にある、顔を見つめあいながら。

 

「おれは、耳がいいって、言った」

「そうだったな」

「おぼえていた?」

「記憶力はいいほうだ」

 

 そして、それから、ルカは、笑った。

 ほんの僅か。

 ほんの、一瞬。


 イリスの記憶を掘り返すと、笑みらしい笑みは、初めてだったかもしれない。

 少年らしい笑みだった。

 心もとない、笑みだったのかもしれない。


「腹減っていないか」

「へってない」


 この姿勢では、時計を見ることも、外を見ることもできないが。

 おそらく、昼ごろだろう。

 ルカが身動きをする。

 まだ幼い子どものように背中を丸めて、頭をイリスの肩にうずめた。

 甘えているのだろうか。

 甘えられたことなど、これっぽっちもないイリスは、どうしたものかとしばらく考えるそぶりをする。


「昨日はすこし、つかれたな」

「………」


 迷って、とりとめのないことを呟く。

 が、ルカは応えることはなかった。

 ただただ、甘えるように頭をすりよせてくる。


「今日は、このままが、いい」

 

 聞き取りにくい声を出しながら、イリスの腕を引く。

 考えるのもおっくうなのだろう。

 イリスも、この感覚は嫌いではない。

 なにも考えずに、ただただこうしていることは。

 自分とはちがう誰かの体温を、こうして感じることも――ひさしぶりだ。

 

 シグリであるイリスは、一日でも体を動かさなければ体がなまる。

 怪我をしてベッドに拘束される以外、一日たりともこうして、ずっとベッドの上で眠るように身体を横たえることは、なかった。

 

「イリス」


 かすれたような声。

 赤い目を見せず、イリスの肩口に額をうめたまま、幾度目かの名を呼んだ。


「はなしがききたい」

「俺のか」

「うん」


 まるで、いとけない子どものように、うなずく。

 ネア領にいたときも、そんなことを聞かれた。

 べつに、はなしができるような、そんなひとの生を生きてなどいないが。

 ただ、ただ。

 殺してきただけだった。名前さえ、性別さえ、年齢さえ忘れるほどに。

 決して誇れることはないだろう。

 ただの、ひとごろしには、誇りなどいらない。必要ない。


「……そうだな、何から話せばいいのか……」

 

 誰かに、自分の身の上話など語ったこともなければ、語ろうとしたこともない。

 部隊長が知っていることが、自分のすべてだ。


「俺は5歳でシグリに売られ、それから一週間後に剣を持った。ひとを殺すための、剣だ。それから――まるで、大事にされるように、家族のように、シグリのなかで生きてきた。シグリの大人たちは、子どもだった俺に、殺すことを強要しなかった。だが、仕事だといわれれば、子どもだった俺でも、ひとを殺した。子どもが子どもを。子どもが大人を、老人を。殺して殺して、殺しつくせば、褒めてくれるひとがいた、からな」

「うん」

「べつに、食うために殺してきたわけじゃあ、ない。シグリにいれば、少なからず食いぶちには困らなかったし、寝床もあった。ただ、地獄だった、ということは間違いじゃ、ねぇ」


 乾燥しているのだろうか。イリスの喉がすこしだけ、唾液を飲み込むように動く。


「ひとをひとり殺すごとに、なにか、欠けていった。それが何なのか、もう分かりはしねぇが」


 それほど、思いだすこともなく、思いだそうとすることもなく。

 ただ、それはすり減っていった。殺してきた。


「それは死ぬことよりもつらいことだ、と、まだ女王にはなっていなかった女は、嗤っていた。嘲笑った。自分だけの人形を持った女は、生まれながらに傲慢を持っていた。この世全ての傲慢を、わがままを、独りよがりを、手にしたようにな」


 ルカの手が、億劫そうにのびる。

 そのゆびの先を、見ようともせずに。


 そうっと、やわらかく――甘い甘いしぐさで、イリスの頭を撫でた。

 ルカの、手。

 それが、ゆっくりと動く。

 緩慢な動きは、イリスの罪の意識を、罰の存在を、思いおこされた。 

 さまざまな人間の恐怖や、恐慌、そういったものが種火のようなものになって、胸のうちがわを、灯した。

 それはやさしく照らすものなどではなく、イリスの罪や罰を、人前にさらけ出すようなものだった。

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