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リュナの王国  作者: イヲ
第四章・燎原の火
40/49

13

 地面に直接座りこんで、ぼんやりと空を見上げる。

 夜は深く、月も白んでいた。


 呼吸をするだけで、何もしなかった。


 そういうことは、慣れている。

 何も考えず、何もしないでただ存在することは。


 血のにおいも、ゼノの気配もない。

 だが、シグリはにおいを消すすべも知っている。

 まだこの村にいるだろう、と、イリスの勘が告げている。


 雪が、膝に積もっていた。それを思い出したかのように払って、そうっと、立ち上がった。

 頃合いだ、と。

 座りこむのにはすこし邪魔だった剣を拾い上げ、腰に佩く。


 いまだ溶けず、流されず、ただ存在する、清く正しい新雪は、イリスの足にまとわりつくようだった。

 それを足蹴にし、穢しながら歩く。

 

 そろそろ、宿に戻ろうとした。

 今にして思うと、なぜあんな――人間らしいシグリに狼狽えなければならなかったのだろうか。

 見知らぬシグリなど、数え切れぬほどいるというのに。

 けれど。

 おそらく、だが、においが、あったからだろう。

 あのひとの――においが。


 宿に入り、部屋にもどろうとした、その時だった。

 がた、がた、と。

 木がこすれる、不吉な音が聞こえてくる。

 それほど、聞きなれた音だ。


 ドアは空いている。

 当たり前だ。

 ドアから(・・・・)、ふつうに入ってきたのだろうから。


 木のドアノブを素早くひねって押し、暗い部屋のなかにいる、その「男」めがけて、刃を横に薙ぎ払った。


 その間、一秒、にも満たない。


 びっ、と、布が引きちぎられる音が聞こえる。

 黒いローブの切れ端が、床に触れるまえに。

 次の一手を、男に向けた。いや――向けた、というよりも完全に殺すための、一手を完全に、完璧に、人間の急所へ差し出していた。


 火花が散る。


 それだけ、だった。

 この部屋にあるのは、荒い呼吸音。

 まだ、少年のような。

 けど、青年のような。


「ゼノ。なんのつもりだ」


 刃を喉もとにあてながら、問う。

 こくり、と、男が唾液を飲み込む動きをすると、わずかに刃が喉にめりこんだ。

 血がなめらかに――、剣が白粉(おしろい)をするように、すうっと撫でる。


「なんの、って」


 ふふ、とほほえむ。

 薄い紫の目をらんらんと輝かせて、恋びとに囁けるがごとく、甘い音色でこう、言った。


「愛しいあなたが執着する人間って、どんな悲鳴をあげるのかなって、おもった」

「だいじょうぶか」


 剣をおろし、ゼノの横を過ぎ、ベッドからシーツごと床に崩れ落ちているルカに手をさしのべる。

 ルカの目は、わずかににじむように濡れていた。

 泣いていたのかもしれない、と。

 そうおもった。

 ゼノに襲われて、おそろしくて泣いていたわけではないだろう。

 ただ、哀しかったのだろう。もしかすると、さみしかったのかもしれないし、痛かったのかもしれない。


「……イリス」


 からからに乾ききった声が、イリスの耳朶にふれる。

 ルカの手がさ迷うように揺れた。


「そんな声、してたんだ」


 無邪気な声が、容赦なくふりそそぐ。

 イリスの剣技で弾かれた剣を、引きずるように、再び手に取った。


「俺が夜襲をかけても、傷をつけても、何の声も出さなかったから。口がきけないのだと思った」


 イリスはの手は既に、ルカの首筋に布をあてていた。

 決して、そう。決して、殺すためではない、ただただいたぶるためのだけの、傷だった。

 

「出ていけ。ゼノ・ウィールス。こいつは、俺の――俺だけの、獲物だ」


 ゼノの目を見ず、姿をすでに認めず、ただ、言い放つ。


 知らず知らず、ルカの首にあてていた手に、力が入った。


「……手を出せば、おまえであろうと何であろうと、その首、刎ねてやるよ。シグリなら、分かるだろ。これは、優しさだ」


 首を刎ねれば、どうなるか。

 いきるものならば、分からないだろう、が。

 聞いた話によると刎ねられた頭は、わずかばかりの間、意識があるという。

 首のないおのれの身体を、その眼で焼き付け、そして死ぬのだ。

 ――絶望か、それとも何も思わず、ただ茫然としたまま死にゆくのか、分からないが。

 これはやさしさだろう?

 その死は、たったひとり。自分だけの、おわりだから。


「シグリは拷問などしない。ただ、正確に、そして確実に殺すだけだ。その意味が分かるだろう。――あのひとの、弟子なら」


 ルカはなかば自失していて、そのことばを聞いているのか、または耳朶にさえふれていないのか、分からない。


「また、あいにくるね。俺のイリス」


 ふふ、と。再びほほえんで、剣の切っ先を引きずりながら部屋を出ていった。

 律儀にもドアを閉めて、足音を消し、気配を消し、そして宿の外へ消えた。


「ルカ」


 彼はこたえない。

 ただ、目を伏せて――眠る直前のような呼吸をしている。

 そして。

 ルカのまだ幼さがのこる、その(かいな)を広げて、イリスを、抱きこんだ。


「……そう、だな」


 ねむろう。

 夢を、みないまでに。

 

 ルカの身体を抱き上げ、ベッドに横たえる。

 彼は何も言わないし、聞こうとはしていないようだった。


 横たえた体に毛布をかけ、自分のベッドに足を向けようと、した。

 ぐい、と。

 か弱いような、ひどく強いような、その不可思議な力で、イリスを引き止める。


 ルカの顔を見下ろすが、まぶたは閉じている。

 眠っていることは確かだ。


 ふ、とあきらめにも似たため息をつく。


 ああ、そうだな、と。

 それも、いいのかもしれない。


 もうじき、朝が来るけれど。


 ルカを壁際に押し、ベッドに体を横たえた。

 イリスの着物の端をしっかりと握りしめたまま。


 じき、朝が来て、それから――この夜のことを、忘れているかもしれない。

 いや、

 そうであってほしい、と、思った。

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