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リュナの王国  作者: イヲ
第四章・燎原の火
39/49

12

 イリスの、天の御使いのようなおもてよりも、もっともっと、うつくしい顔をしたシグリは、黒いローブを脱いで、片腕にあずけた。

 呆然とするイリスを目にして、うつくしい顔がわずかにゆがむ。

 だがすぐに、くるりと表情を戻し、薄い紫色の()が、そうっと――まるで恋びとの機嫌をうかがうように、細められた。


「ゼ、ノ……?」

「そうだよ。俺のこと、おぼえてない?」


 さも傷ついた、とでもいうかのような表情をする。

 そんなものはただの仮面で、つくった表情だということは、分かった。


 イリスの弟弟子を名乗る男は、人形のようにうつくしい笑みをつくる。

 その笑みは、ほんもののように見えたがイリスの思い違いかもしれない。


「俺の愛しい兄弟子。俺は、あなたに会いに来たんだよ」

「俺に?」


 イリスとほぼ同じ身長のゼノは、ほんとうに嬉しそうに、まるで迷い子だった子どもが親にやっと出会えたかのように、両腕を広げた。


「あのね、知ってた? 俺、じょうずに殺せるようになったんだ。返り血もあびないし、靴もよごさない」


 応えないイリスに、ゼノはそれでもうつくしい顔をほころばせて、あのね、と。いとけない子どものように、笑った。

 ゼノの年齢は、おそらくイリスよりも下だろうけれど、ルカよりはずっと年上だろう。


「――そうか」

 

 イリスが答えられたのは、それだけだった。

 その声色に、とくに関心も、感動もなかったが。

 ゼノは兄弟子に認められた、ととったのか、嬉しそうにわらった。


 よく、笑う男だ、と。

 そう思うが。脳裏には、まるで霞がかったように、弟弟子という存在がよく思いだせない。

 だが、たしか誰かがいたような気は、する。


「イリスはどこに泊ってるの」

「この近くだ」

「ふうん。俺は、さっきここに来た。イリスが泊ってる宿、まだ空きある?」

「さあな」

「今度は誰をころすの」

「さあな」

 

 言ってはならない、と、瞬時に思う。

 この男は、どこか違う、とも。

 ゼノは、まだ幼い少年のようにほおを膨らませ、「おしえてよ」とねだった。


「シグリの掟を、わすれたのか」

「だって、俺……一緒にいたい」

「おまえの仕事はどうした」

「今は、ない」

「なら、なおさら教える道理はない。用があるならさっさと言え」


 紫色の目が、わずかに揺らぐ。

 そして、すう、と息をした。


「俺、イリスにおねがいがあるんだ」


 うつくしい顔で、イリスを見つめる。

 そこには、だまそうとしたり、嘘を言ったりなどというものは、まったく見られなかった。


「あなたの獲物を、俺にもわけて」

「……獲物?」


 手がつめたい。

 雪が、本格的に降りはじめてくる。

 やがて水を吸い、首元に適当にまいた布が、わずかに重たくなってゆく。


「あなたと一緒にいる、セヴェリ・ルカ・エクロス。ねえ。いつか、ころすんでしょう」

「……っ!!」


 凍えそうだったこころが一気に炎が燃え広がるように、熱を発する。

 こんな――こんな、激情、ともとれる感情に似たようなものが、いまだおのれの中にあったとは、思いもよらなかった。


「俺も殺したい。死に神の顔をした子は、どんな顔で死んでいくんだろう。俺、天の御使いの顔をした子を殺したことはあるけど、死に神の顔をした子は殺したこと、ないから」

 

 ふふ、と。

 ほんとうに、無邪気な幼少期の子どものような声で、わらう。

 

「だめだ」

「どうして」

「あいつは、俺の」


(俺の?)


「――殺害の許可はおりていないだろう」


 無意識に出そうになった声を飲み込み、あたりさわりのない返答をした。


「今じゃなくて、いいから」

「だめだ。シグリの掟を、知らないわけじゃねぇだろ」


(任務は、ひとりで行わなければならない。)


「部隊長に、おねがいする」

「だめだ」

「……俺の、愛しい兄弟子。あなたは、なにを隠しているの」

「おまえには関係ないだろう」

「関係あるよ。だって俺はあなたの弟弟子だから」

「約束、するんだ」

「やくそく?」

「ルカを、殺すのは、俺だけだ」


 もう、ゼノとはなしをしたくなかった。

 ゼノ・ウィールス。

 たしかに、部隊長にあいされたシグリだろう。

 たしかに、部隊長の目にとまったシグリだろう。

 だが。

 決定的に、違ったのは。

 イリスにないものが、すべてすべて、ゼノにあることだ。

 その年齢(とし)に合わず、無邪気で無垢で、なにより――人間らしい。

 ゼノにとっては、女王は女王として見ているのだろう。おのれの、飼い主として。

 そして、こうべを垂れ、膝を折るのだ。


 ゼノの視線は、背中に突き刺さったままだ。

 宿までつけられることが嫌で、ルカのもとに戻るのは今夜いっぱいは、無理だろう。


 ちいさな村の、細々と、そして粛々と生きている、村人のちいさな家の壁に、背中を預ける。

 ここまで奥まった場所にくれば、おそらく見つからないだろう。


 ふ、と息をつく。

 白いもやが、あたりを漂う。


 気配を消し、ただ存在することは得意だった。

 自分を消せばいい。

 自分のこころに蓋をすればいい。

 自分という存在を、心を、この世界から切り離せばいい。


 ルカ、と。

 声に出さずにつぶやく。


 背中を預けたまま、ずるずるとすわりこんだ。

 どうして、あんなことをしたのだろうか、と、今さら思う。

 この、手で。

 ――ここに。

 無意識に、そして勝手に動く心臓の音を聞かせるように。

 片手でつぶせそうな頭を、抱きよせた。


「俺は、なにを」


 片手をひらいて、そして、閉じる。

 今まで、他人のからだを心臓に近づけたことなど、一度もない。

 心臓を一突きにでもされたら、死ぬ。そんなこと、子どもでもわかるだろう。

 急所には、決して近寄らせない。

 誰であろうと。


(いや。)

(ひとりだけ、いたか。)

(部隊長。あなただけです。俺に、ふれようとしたのは。)


 ――俺の、からだ、に。


 鋭い剣先で裂かれた皮膚も。

 拷問にあったとき、焼ごてをあてられてできた、醜く爛れたやけどのあとも。

 

(あなたは、うつくしい、と。言ってくれた。)

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