12
イリスの、天の御使いのようなおもてよりも、もっともっと、うつくしい顔をしたシグリは、黒いローブを脱いで、片腕にあずけた。
呆然とするイリスを目にして、うつくしい顔がわずかにゆがむ。
だがすぐに、くるりと表情を戻し、薄い紫色の瞳が、そうっと――まるで恋びとの機嫌をうかがうように、細められた。
「ゼ、ノ……?」
「そうだよ。俺のこと、おぼえてない?」
さも傷ついた、とでもいうかのような表情をする。
そんなものはただの仮面で、つくった表情だということは、分かった。
イリスの弟弟子を名乗る男は、人形のようにうつくしい笑みをつくる。
その笑みは、ほんもののように見えたがイリスの思い違いかもしれない。
「俺の愛しい兄弟子。俺は、あなたに会いに来たんだよ」
「俺に?」
イリスとほぼ同じ身長のゼノは、ほんとうに嬉しそうに、まるで迷い子だった子どもが親にやっと出会えたかのように、両腕を広げた。
「あのね、知ってた? 俺、じょうずに殺せるようになったんだ。返り血もあびないし、靴もよごさない」
応えないイリスに、ゼノはそれでもうつくしい顔をほころばせて、あのね、と。いとけない子どものように、笑った。
ゼノの年齢は、おそらくイリスよりも下だろうけれど、ルカよりはずっと年上だろう。
「――そうか」
イリスが答えられたのは、それだけだった。
その声色に、とくに関心も、感動もなかったが。
ゼノは兄弟子に認められた、ととったのか、嬉しそうにわらった。
よく、笑う男だ、と。
そう思うが。脳裏には、まるで霞がかったように、弟弟子という存在がよく思いだせない。
だが、たしか誰かがいたような気は、する。
「イリスはどこに泊ってるの」
「この近くだ」
「ふうん。俺は、さっきここに来た。イリスが泊ってる宿、まだ空きある?」
「さあな」
「今度は誰をころすの」
「さあな」
言ってはならない、と、瞬時に思う。
この男は、どこか違う、とも。
ゼノは、まだ幼い少年のようにほおを膨らませ、「おしえてよ」とねだった。
「シグリの掟を、わすれたのか」
「だって、俺……一緒にいたい」
「おまえの仕事はどうした」
「今は、ない」
「なら、なおさら教える道理はない。用があるならさっさと言え」
紫色の目が、わずかに揺らぐ。
そして、すう、と息をした。
「俺、イリスにおねがいがあるんだ」
うつくしい顔で、イリスを見つめる。
そこには、だまそうとしたり、嘘を言ったりなどというものは、まったく見られなかった。
「あなたの獲物を、俺にもわけて」
「……獲物?」
手がつめたい。
雪が、本格的に降りはじめてくる。
やがて水を吸い、首元に適当にまいた布が、わずかに重たくなってゆく。
「あなたと一緒にいる、セヴェリ・ルカ・エクロス。ねえ。いつか、ころすんでしょう」
「……っ!!」
凍えそうだったこころが一気に炎が燃え広がるように、熱を発する。
こんな――こんな、激情、ともとれる感情に似たようなものが、いまだおのれの中にあったとは、思いもよらなかった。
「俺も殺したい。死に神の顔をした子は、どんな顔で死んでいくんだろう。俺、天の御使いの顔をした子を殺したことはあるけど、死に神の顔をした子は殺したこと、ないから」
ふふ、と。
ほんとうに、無邪気な幼少期の子どものような声で、わらう。
「だめだ」
「どうして」
「あいつは、俺の」
(俺の?)
「――殺害の許可はおりていないだろう」
無意識に出そうになった声を飲み込み、あたりさわりのない返答をした。
「今じゃなくて、いいから」
「だめだ。シグリの掟を、知らないわけじゃねぇだろ」
(任務は、ひとりで行わなければならない。)
「部隊長に、おねがいする」
「だめだ」
「……俺の、愛しい兄弟子。あなたは、なにを隠しているの」
「おまえには関係ないだろう」
「関係あるよ。だって俺はあなたの弟弟子だから」
「約束、するんだ」
「やくそく?」
「ルカを、殺すのは、俺だけだ」
もう、ゼノとはなしをしたくなかった。
ゼノ・ウィールス。
たしかに、部隊長にあいされたシグリだろう。
たしかに、部隊長の目にとまったシグリだろう。
だが。
決定的に、違ったのは。
イリスにないものが、すべてすべて、ゼノにあることだ。
その年齢に合わず、無邪気で無垢で、なにより――人間らしい。
ゼノにとっては、女王は女王として見ているのだろう。おのれの、飼い主として。
そして、こうべを垂れ、膝を折るのだ。
ゼノの視線は、背中に突き刺さったままだ。
宿までつけられることが嫌で、ルカのもとに戻るのは今夜いっぱいは、無理だろう。
ちいさな村の、細々と、そして粛々と生きている、村人のちいさな家の壁に、背中を預ける。
ここまで奥まった場所にくれば、おそらく見つからないだろう。
ふ、と息をつく。
白いもやが、あたりを漂う。
気配を消し、ただ存在することは得意だった。
自分を消せばいい。
自分のこころに蓋をすればいい。
自分という存在を、心を、この世界から切り離せばいい。
ルカ、と。
声に出さずにつぶやく。
背中を預けたまま、ずるずるとすわりこんだ。
どうして、あんなことをしたのだろうか、と、今さら思う。
この、手で。
――ここに。
無意識に、そして勝手に動く心臓の音を聞かせるように。
片手でつぶせそうな頭を、抱きよせた。
「俺は、なにを」
片手をひらいて、そして、閉じる。
今まで、他人のからだを心臓に近づけたことなど、一度もない。
心臓を一突きにでもされたら、死ぬ。そんなこと、子どもでもわかるだろう。
急所には、決して近寄らせない。
誰であろうと。
(いや。)
(ひとりだけ、いたか。)
(部隊長。あなただけです。俺に、ふれようとしたのは。)
――俺の、からだ、に。
鋭い剣先で裂かれた皮膚も。
拷問にあったとき、焼ごてをあてられてできた、醜く爛れたやけどのあとも。
(あなたは、うつくしい、と。言ってくれた。)




