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リュナの王国  作者: イヲ
第四章・燎原の火
38/49

11

「あんたは……残酷だけど、やさしい。……けど、ひどい、人間だ」


 やさしさ、という重み、は。ひとごろし、ひとでなし、と弄られる以上に重たく――こころが凍えるようだった。

 ルカが今、感じている痛みも、苦しみも分かる、などとは言えない。

 所詮、他人の感情は、他人である自分には分からないのだから。


「そうだな。俺は、そういう人間だ」


 だから、おまえが思うような、玩具になれたらいい。

 おまえが言うような、人形になれたらいい。

 ひどいモノに、残酷なモノに。――やさしい、モノに。


 泣いているのだ、と分かっている。

 けれどイリスの手は、慰めるための手ではない。

 ひとを殺すための、手だ。

 ひとを傷つけるための手だ。

 なぐさめるなどと、救えるなどと――なんて、おこがましい。


 ルカの頭が、そっと離れてゆく。


 床に、透明なしずくが落ちた。

 涙をふくすべすら知らないルカは、やはり一人きりだったのだろう。

 孤独だったのだろう。

 そして憎んだのだろう。

 この世界を。父を、そしてあるいは――母を。


「……ねる」


 イリスが包んでいた手をすり抜けて、顔をみせず、ベッドの上に体を投げた。

 ただ、うなずくことしかできない。


「俺は、すこし外を回ってくる。もうじき夕飯だ。食えるなら、食っとけ」


 これが、たったこれだけが、イリスがかけられる精一杯の言葉だった。


 部屋から出る。

 ドアに背中をあずけて、大きく息をした。

 喉に血がたまっているようで、無意識に片手でふれる。

 そして、たわむれに。

 ぐっと力をこめた。


「………」


 すこしだけ。くるしい、と思った。

 片手でひとは殺せる。

 だが。こんなことで、イリスは死なないし、死ねない。

 自死は、ゆるされない。そう、部隊長から躾けられた。

 どんな拷問でも、どんないたぶりでも、どんなに罵詈雑言を、刃のように投げつけられても、自死は許されない。

 任務につき、結果と情報という花の蜜を女王蜂(ハルユ)へ与えるためだけの、働き蜂にならなければいけないのだ。

 

 シグリが許されるただ一つの自由は、戦死。

 ただ、それだけだ。

 

 は、と息をつく。

 自分の片手は、首に痣ができるほど強く、握っていたようだ。

 けれど、死なない。


 床に落ちていた剣を、無意識に腰へ佩いていた。そう、無意識に。

 無意識にひとを殺す、ことが。できるこころと、からだになってしまったのだ。


 そっと床から片足をあげる。

 宿からでると、もう暗かった。

 ぽつぽつとした灯り。

 ランタンをもつ信徒たちが歩いている。


 こんなふうに、何かを、誰かを、信じられたら、幸せなのだろうか。


 分からない。

 分かろうとすると、途端に黒い霧によって、あるいは真っ黒な重たい緞帳(どんちょう)によって目の前を遮られてしまう。

 それがシグリの。

 去勢、という名の――躾、だ。

 まるで、洗脳のように。

 本名もしらぬ、部隊長から直々に躾けられたのは、イリスとあともうひとりだけだった。

 ほかのシグリの人間は、部隊長の部下がやっていた。

 そのひとりの顔もなまえも、憶えていないけれど。

 ただ、その人間を思いだそうとすると、やはり目を遮られるように、記憶から抹消しようとするように、するりと抜けてしまう。


 どうでもいいことだと。

 そう思い続けることが、部隊長の期待に応えることだと、そう思い込んでいる。

 部隊長の期待どおりに、部隊長の思うとおりに、部隊長の願いどおりに。

 部隊長の――愛、を。慈しみを。

 一身に受けるのは。

 天の御使いのすがたをした、イリスだけ、だと、そう思っている。

 知っている。

 部隊長の目が、視線が、手が、からだが。

 その体温が。

 イリスを、天の御使いのからだを、愛した部隊長。

 そこに心などなかった。

 愛するけれど、そこには――こころなど、必要なかったのかも、しれない。


 ほとり、と。

 粉雪が、イリスの青ざめたままのほおに、落ちる。

 夜空を見上げた。



『部隊長。どうして。』

『部隊長、俺を、』


 彼はわらっていた。

 やさしい、笑みだった。


 そして、何度も。何度も。何度も。

 なぶることはしなかった。

 いたぶることも。

 「敵」のように、殺そうとすることもなかった。


 ただ。

 やさしかった。


『あのね。部隊長。俺は部隊長の、ものだから。』

『そうなったら、うれしい?』


 彼は、笑って頭をなでてくれた。

 あれは――最初は、いくつのときだっただろう。

 忘れたが、それでも、あの手のいとおしさを、やさしさを、おぼえている。


――イリス。シグリは、すべて女王のものなんだ。


 と。

 まるで父親のように、やさしい声色で、イリスを否定した。

 その言葉を聞いて、たしか、すこしだけ泣いた覚えがある。

 

――我らシグリは、死を制限されている。

――その意味は、分かるな。賢い、おまえならば。



 とじた瞼に雪が落ちたあと、目を開いた。

 夜空が星を飲み込むように、黒々とイリスの目に映る。

 星も、月も。

 どうせ届かない。

 どうせ、飲み込まれる。光は、闇に。


 すっと、イリスを横切ったのは、黒いフードをかぶった人間だった。

 そのにおいは、あまりにも、あまりにも――嗅ぎなれたもので。

 フードから見えたのは、白く、整った鼻筋。

 頭からかぶったその布は、腰のあたりが大きくめくれている。

 すぐに、剣だと分かった。

 この村に剣や武器を佩く人間など、片手で数えるほどしかいないだろう。


 イリスの視線にきづいたのか、男か女かもわからないその人間は、足をたわむれのように止めた。


「イリス」


 うしろ姿を見せたまま、平坦な声でつぶやく。

 確信めいた声色だった。

 銅像のように動かないそれは、声を聞いても男か女か分からない。


「誰だ」

「つれないな、イリス。俺のことを忘れたの」


 ようやく、その「男」はイリスに体を向けた。

 フードを慣れたように手で払い、そのすがたをイリスに見せつけた。


「……おまえ……、は」

「イリスと同じだよ」


 それは、暗に自分はシグリなのだと言っているようなものだ。

 どこかで見たことがある、気がした。

 ただ目を覆われて、視界を遮られた、その先。


 その男は、誰だったか。


 髪色は、イリスと同じ白銀。

 けれど目は、薄い紫色をしていた。


「ゼノ。ゼノ・ウィールス。おぼえているだろう? 俺の、愛しい愛しい――兄弟子」


 くら、と。

 めまいをおぼえた。

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