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リュナの王国  作者: イヲ
第四章・燎原の火
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 イリスは、ためらわずに頷いた。

 そのほうが、楽だった。

 軽々しい否定のほうが、つらかったから。


「それが、命令なら。俺はためらわずにおまえを殺すだろう。おまえがいう……心を、殺して」

「え……」


 何ともないように言う。

 ルカの身体が、糸が切れた人形のようにベッドにすわりこんだ。

 黒い髪が、ぱさり、と鳴った。


「心をもつことは、禁止されている、と。思っている。シグリは、そういう組織だ。いや……心をもつことを禁止する、という掟はない。ないが、ひとを殺していくうちに、心は死んでいく。そうしたほうが、楽だと、そう思うようになる。そして思うことすら、なくなる」

「あんたは、心がある」

「そうだな。おまえが言うのなら、そうなんだろうよ」


 イリスの言葉は、どこまでも投げやりだった。

 彼の顔を見る。

 視線にきづいたのか、イリスもこちらを見た。


「おれは、あんたの、何だ」


 思いもよらぬことばが、口から零れ落ちた。

 べつに、そんなことを思っていたわけじゃない。

 ただ。

 ただ、前に――。

 いちばんに、なりたい、と。

 そう思ってしまったときが、ある。


 それがどんな意味なのか、ルカ自身もわからない。


 ただ、心のなかのなにかが、零れ落ちたような。

 そう、今の言葉のように。


「――そうだな」


 イリスは、赤い目から視線を決してそらさずに。

 わずかに思考するそぶりを見せた。


「俺にとって、おまえは……なんだろうな。大事な、……いや。大切な――」


 視線をそらさずに、言葉を、さぐるように。暗がりから何かを、みつけるように。


「おまえが死ねば、俺は、つらい」

「けど!」


 ようやく見つけたその言葉を。

 ちいさな子どもが、とっておきの宝物を、親に見せるように。

 そんな、イリスの嘘いつわりのない言葉を、さえぎった。


「おれの、願いを……聞いて、ほしい」

「なんだ」

「おれを、殺すのは……あんたであってほしい」


 たとえシグリの誰かが、ルカを殺すよう命じられても。

 その役目を、イリスに。


「……ああ……」


 そうだな、とは。

 言わなかった。言ってくれなかった。

 ただ、相槌でも何でもない、ため息のような声で。イリスは、ささやいた。


「約束を、してくれないのか」

「おまえは殺されるようなことをしたのか。それとも――ただ、死にたいだけか」


 俺は自死を手伝えるほどの、やさしい人間じゃない、と。

 イリスは言った。


「そういうのは、神に、祈れ」

「イリス」

「おまえが神を信じようと信じまいと、俺はどっちでもいいが。そういう時のために、願いたい時のために、神ってのはいるんだろ」

「神がいたら、この世界はどうなっていたんだ」

「おかしなことをいうな、おまえは」


 ふ、と。

 碧眼の目が細められた。

 くちびるの端がわずかに上がり、そして、手にしたままだったクロノから借りた複製本の表紙に手を当てる。


「神がいるから、この世界はあるんだ」

「……本気で言っているのか」

「と、女王陛下(あのおんな)なら言うだろうよ。だが実際は、長い長い年月をかけて、猿が人間になっただけだ。神がいたら、この世界はどうなってたか、なんて考えたことはない。神がいないから、こんな世界になったんだよ」


 ルカは、すこし、安堵した。

 神を信じるイリスは、イリスじゃない、などと。

 そんな馬鹿げた、イリスに対する信仰心のようなものを押し隠して。

 自分の、足を見下ろした。


「ハルユがいう平和な国って、何なんだろうな……」

 

 イリスの、かすれたような声。

 この国は、表向きは他の国と比べれば平和だろう。争いが少なく、人びとはおだやかだ。

 だが、裏にはシグリがいる。シオンがいる。セハカのような、残虐な人間がいる。


 もし。

 シオンが壊滅して国民すべてが争わず、おだやかで、幸福を感じる人間しかいなくなったら。

 シグリは、どうするのだろう。


「まあ、そんなこと考えても、答えなんてでねぇか」


 イリスがベッドから立ち上がり、腰に佩いた剣をベッドの上に置いた。

 きしり、と。わずかな音をたてる。


「おれは……ほんとうは、この国のことなんてどうでもいい、のかもしれない」

「まぁ、そうだろうと思っていたが」

「あんたは? あんたは、この国を、どうしたいとおもう?」

「べつに、どうも。なるようにしかならねぇだろ、こういうのは」


 シグリに所属する人間は、みんな、こういう考えなのだろうか。

 国をよくしたいから、とか。

 そんなことを考える人間ばかりではないことは、イリスを見ていれば分かる。


「女王だけが悪いわけでも、民だけが悪いわけでもない。ただ……あの女は、良い悪いの区別が極端なんだ」


 呆れたように肩をすくめ、ふっと息をつく。

 それから――。

 それからイリスはふいに、顔を片手でおおった。

 

「……イリス?」


 体がゆれる。

 不安定にゆれて、膝が、折れた。


「イリス!」


 ルカの目に、それは焼きつけられた。

 イリスが、倒れた姿を。

 そして。そし、て。

 彼の口もとに、不吉にへばりついた、血液を。


 しばらく、その姿を凝視していた。

 どうすればいいのか、分からなかった。


「イリス……イリス?」


 ルカが床にひざをついて、その背中をゆするが目をつむったまま、微動だにしない。

 ゆびさきも。

 白いまつ毛も。

 青ざめた、喉もとも。


「……イリス」


 そっと、白銀の髪の毛に、手を差し入れる。さらり、と。指先から髪がすべりおちた。

 今の、イリスは。

 恐ろしいほどに清い、と思った。

 この、玩具入れのような王国のなかの誰よりも。

 いや――この世界の誰よりも、なによりも。

 うつくしい、とおもう。


 ずっと。

 ずっと、見ていたい、と思った。

 このまま、ずっと――。


 ごとん、と音がした。

 イリスを凝視していたルカは、のろのろとその音のほうへ顔を向ける。


 彼がいつも持っていた、鍔のない剣がベッドから落ちたのだった。


「……おまえは」


 おまえは、いいな。


 そう、くちびるから零れる。


「イリスを守れる。イリスの盾にも剣にもなれる。イリスの……すべてだ」


「あなたは、その男をどうしたい?」


 ふいに、重たいような、軽いような――そして、男のような、女のような声が降ってきた。

 黒い霧のようなものが、じわじわと部屋を侵食してゆく。

 ルカはそれを何故か、おそろしいとは思わなかった。

 黙っているルカを気にすることもなく、声はふりそそぐ。


「あなたは、どうしたい? この男を、このままにしておきたい? このまま――きれいなままに、しておきたい? それとも、目を覚まさせて」


 なぜ、これ(・・)は、こんなことまで知っているのだろう。

 甘い、花の蜜のように甘い声で、ルカの耳朶のそばにくちびるを寄せるようにして、なおも言葉はつづく。


「あなたのことを、好きだ、って。言わせたい?」


 ルカの、赤い目の、瞳孔が、ふくらむ。

 暗く、黒い場所を見つめる目だ。


 イリス、は。だれも、だれも、だれも、好きにならない。

 執着しない。

 そういうふうに、できている、から。


 だから。

 すき、なんて、言わない。

 

「にんげんは、とてもばか」


 呆れたようで、それでも何かをいとおしむような声。


「ばかで、おろかで、救いようがない。あなた。死に神の顔をした、あなた。一緒に、このせかいを――壊さない?」

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