8
「真実、とは。……なるほど。イリス殿。貴方は徹底的に、ひとを信じぬのですね。まあ、シグリである貴方なら、そうおっしゃるとは思いましたが」
「御託はいい」
「失礼いたしました。たしかに、私が知っている警邏は、たしかに人当りもよく、誰よりも勤勉でした。けれどそれは他人の評価です。裏ではどのような人間だったのかは分かりません」
ペルナはわずかに俯き、その警邏を悼むように目を閉じた。
それを視界の端で認めて、ふっと息をつく。
「裏ではわけのわからねぇことをしていたなら、余計普通のやり方では殺さないだろうよ。あるいは、口封じか、見せしめか。ルカが見た、その男とやらに」
「魔術は、いにしえから伝わる術。けれど使う人間は、この世界にはあってはならないのです。国を簡単に亡ぼすことのできる、術。それを人間にむけられれば、ひとを殺すことも容易でしょう」
ペルナは膝の上においた右手を、左手でつつみこみ、呟いた。
国を亡ぼせるのなら、たったひとりの人間の命を踏みにじることなど、赤子の手をひねるほどに容易いことだろう。
「わたしが見たのは、倒れていた警邏と――そして、長い影。女性とも、男性ともつかない、ただの影です。まるで……そう、あの形は、――国教の神の姿。男でも女でもない……異形の神」
異形の神。
ペルナ・レグルス――。
おそらく、年齢はルカよりも年下だろう。
まだ幼いくちびるが、異形の神、と、まるで憎々しげな色をまとわせたのを、イリスは感じた。
「それは一瞬のできごとでした。その影はまるで、地面に染み込んでいくようにして……消えたのです」
「男でも女でもない。なるほど。ひとりではなく、ひとりでもある。そう言っていたな」
「……そう、だな」
イリスは先ほどから、ネア領領主、クロノの名を伏せている。ルカも倣って、何も言わないことにした。
なにか、意図があるのだろう。
「だが、ルカは男だと断定した。ペルナ。おまえは男でも女でもない、と言った。それこそが真実なんだろ。この国を亡ぼす存在は確かにいた。魔術なんてくだらねぇものを使って、人間を殺すことができるなら――それこそ、シグリの面目丸つぶれだがな」
魔術があれば証拠も何も残さず、ひとを殺すことができる。
だがシグリは、「シグリ」という組織があるため、証拠は決して消えない。
魔術という単語自体、民には知らされていないのだから。
禁書になっている本以外には、その単語は、どの書物にも書かれていない。
その禁書もイルマタルにある、女王が住む城以外には出されておらず、知るものもいないだろう。
「だからこそ、シグリ所属ではない、ただの――殺しのやり口が非常に鮮やかな貴方に依頼をしたいのです。ペルナ様を嗅ぎまわっている、それを殺害してくださいませんか?」
「殺すのは俺の唯一の手段だがな、部隊長……いや、シグリをだまして殺しをやることは禁じられていることを、おまえたちは知っているだろ」
「ええ、知っております」
「おまえ、俺の首が刎ねられても痛くも痒くもないだろうがな」
イリスは一度黙り込み、冷めた目でケントゥリアとペルナを見据えた。
「俺は、先にやらなけりゃいけねぇことが、あるんだ」
「セハカ・ナル・エクロス。ルカ殿の父君を殺害する任務ですか」
「そうだ」
ルカの肩が、緊張のためか硬くなる。
ケントゥリアがなぜこの事を知っているのかなど、問題ではない。
むしろ、知っていなくてはおかしい。
「セハカは、俺の手で必ず殺す。俺の手でなければいけない。そう、約束したからな」
「ケントゥリア。先約があるのならば、そちらを優先するのが道理でしょう?」
「ペルナ様。ですが……」
「約束は守ってこそのもの。わたしなら大丈夫」
おそらくだが。
ペルナは、これまで何らかのものに襲われていたのかもしれない。
「……話が終わったなら、出ていけ」
「約束はして頂けないのですか」
ケントゥリアの、有無を言わせぬような言葉に、舌打ちをする。
「おまえ……シグリの掟を知っているはずだ。勝手に行動したシグリは、首を刎ねられる。……別に、寝床の上で死ねるとは思っちゃいねぇが、その時は俺が決める。俺が死ぬのは、やりあって殺されるときだけだ。掟に殺されるような、無様な死に方はしねぇ」
「イリスを――、イリスを殺すような真似を、するな!」
言葉に詰まったように、ルカが叫ぶ。
ケントゥリア、そしてペルナがベッドから立ち上がったルカを見た。
「イリスだって人間だ。イリスだって、人の心を持っている。それなのに、なんで、そんな」
そんな――。
そんな、道具みたいな。
なんで、そんな道具みたいな言い方しかできないんだ。
「ルカ。いい。俺はそういう男だ」
人間として生きていくことを諦めた、とでもいうかのような。
ふたりは何も言わず、ケントゥリアに背を押されるようにして、ペルナと共には部屋を出ていった。
静寂だけが、部屋を満たす。
ルカはベッドから立ち上がったまま、うつむいていた。
「ルカ」
その声は今まで聞いたことのないほど、耳に心地のよいものだった。
ルカがすわっていたベッドに、イリスがすわる。
視界の端に、白銀の髪の毛が見えた。
「俺は、俺たちは、そういうふうにできているんだ」
まるで、諭すように。
「だから、誰も気に病むことはない」
「……あんたはそれで、いいのか。シグリに……心を、殺されて、他の人間にも……心を殺されて、道具みたいに、人形、みたいに、そう、思われて」
声がわずかにふるえている。
怒っているのか――それとも、哀しんでいるのか。
イリスには、分からない。
「おれ、おれは、いやだ……。あんたは、人間だ。女王の玩具でも、道具でも、人形でも……ない」
「ルカ」
「おれは殺されたっていいんだ。セハカの子どもだから。だっておれは何もしなかった。知っていたんだ。セハカが何をしていたのか。たくさんの……おれと同じか、下の女の子たちを、残酷な方法で……殺してたのを、見ていたんだ……」
だから、殺されることなんて、たかがそんなこと。
そんなことは、悔しくも、哀しくも、おそろしくも、ない。
「クロノも言っていただろ。おまえは、何も悪くない。被害者だと。俺も、そう思う」
イリスの声はやさしかった。
やさしいひとだと。ルカは思う。
うわべだけの、安易なやさしさではない。
こころからの、素直な、そして単純なものだった。
だから、その言葉は本心そのものなのだろう。
「……シグリの部隊長と。それから……女王が、おれを殺せと、そう言ったなら……あんたは、おれを殺すんだろう」
「そうだな」




